80年代ジャッキー作品の製作年を検証する特別編の第2弾は、『プロジェクトA』や『五福星』での、いわゆるゴールデントリオ、またはBIG3とも呼ばれたジャッキー・サモハン・ユンピョウの3人の人気が急上昇する時期。
日本では武道館コンサートまで行われ、まさにアイドル人気が絶頂の時期でもあります。
しかし、ほとんど寝ずに掛け持ちでの映画製作を続けていたジャッキーは、あの悪夢の大怪我へ・・・。
- スパルタンX/快餐車(1984)
- プロテクター/威龍猛探(1984)
- 香港発活劇エクスプレス 大福星/福星高照(1985)
- ファースト・ミッション/龍的心(1985)
- 七福星/夏日福星(1985)
- ポリス・ストーリー 香港国際警察/警察故事(1985)
- 対象作品まとめ
- 商品情報
スパルタンX/快餐車(1984)
撮影は『プロジェクトA』の撮影完了後の1984年前半、スペインを中心にヨーロッパでのオール・ロケで行われ、6ヶ月の期間を要したとのこと。
(サモハンのインタビューによると2か月間滞在してから撮影が開始されたため、実質的な撮影は4か月とのこと)
ジャッキーはバルセロナに5ヶ月間滞在したらしいです。香港公開は84年8月15日。
ちなみに、その滞在中にジャッキーは渡辺徹と共演の「キリン生A」のCM撮影をマジョルカ島で行っています。
スペインロケということもあってこの時期には珍しく、他の作品と掛け持ちせず一つの製作に専念した作品でもあります。
『スパルタンX』の撮影が終わり、スペインから香港へ戻ったジャッキーは『プロジェクトA』でBIG3人気が絶頂に達していた日本へ84年7月14日に3人で来日し、武道館コンサートやテレビ出演をこなしています。
プロテクター/威龍猛探(1984)
来日後ジャッキーは1984年9月17日にアメリカ・ニューヨークへ『プロテクター』のロケに向かいます。
約1カ月間の撮影の後、10月16日にニューヨークでのロケを完了し、ふたたび香港にて12月まで撮影をしています。
9月のアメリカロケ以前に撮影されていたかわからないので、製作開始時期を9月と推定していますが、もしかしたらそれ以前にも香港で撮影されていた可能性もあります。
ちなみに、ムーン・リーの出演が決定したと10月26日の新聞記事にありました。アメリカでのロケ時には出演はまだ決まって無かったようで、この知らせを受けたムーン・リーは大変喜んだようです。英語の勉強も急遽始めたというようなことも書かれていました。
この作品は、『ドラゴンロード』撮影中の1981年春の時点ですでに製作が予定されていたにもかかわらず、次々と後回しにされた結果、それから4年半もの長い時を経て完成した作品でもあります。
公開は日本が最も速く、85年の6月15日に公開されています。
香港発活劇エクスプレス 大福星/福星高照(1985)
『プロテクター』の撮影完了直後の12月17日に「FNS歌謡祭」出演のため来日し、香港へと戻っていたジャッキーだったが、その数日後の12月21日(22日説もあり)、今度は『大福星』の日本ロケのため再来日しています。
撮影班はジャッキーよりも一足早く12月19日に到着。翌1985年の1月5日までロケが行われ、ジャッキーは翌6日に帰国しています。ちなみに日本ロケで撮影されたシーンは全体の約45%のようです。
ジャッキーは1月には『ポリス・ストーリー』の撮影に入っているため、『大福星』での出演場面はそれまでに撮り終えていると思われます。
この作品は前作『五福星』のヒットを受け(83年7月公開)、84年8月に製作が決定したみたいで、その時の予定では製作費1,500万HKドルが予算だったようです。日本公開時のチラシに製作費15億円と書かれており、これが本当だとすると5,000万HKドル近い製作費になってしまいます。サモハン監督は予算内に収めることで定評があったらしいのですが、実際はどうだったんでしょうね~。
また、製作決定時の8月時点で、撮影開始は10月の予定だったようですので予定通りに始まっていた可能性もあります。ただ、ジャッキーは『プロテクター』撮影中ですので不参加。
tera-chanさんより情報いただきました!
tera-chanさんのサイトほほーーっ・・・ | 我愛香港電影に大変興味深い写真がUPされています。
ここには、完成した作品では出演していないジョン・シャムの姿が。エリック・ツァンも同じ写真に載っていることを考えると『五福星』ではないようです。
また、私が尊敬してやまない谷垣健治さんのブログにもちょっと関連性のある記事が載っていました。
エリック・ツァン | 谷垣健治のアクションバカ万歳!
ようするに、当初はジョン・シャムも出演予定だったので、少し撮影していたが何らかの理由で降板。エリック・ツァンが脚本を書き直して現在の『大福星』になったということなんでしょうね。
ジャッキーも本来は忙しくそれどころじゃなかったと思いますが、きっとビッグマネーが動いたんでしょう(笑)。
ファースト・ミッション/龍的心(1985)
冒頭の訓練シーンなどは85年の2月頃に撮影されたものであるが、松竹との間に入っていたプロデューサーに出資金を持ち逃げされそうになったりとトラブルが発生し、一時は製作が危ぶまれていた。その後、王羽(ジミー・ウォングの協力により無事完成することはできたが、製作は長引き、ストーリーも当初の予定とは随分と変わってしまったようです。
結局撮影は、『ポリス・ストーリー』や『七福星』と並行して行われることとなり、85年の7月から8月上旬にかけて集中的に行われ、結果的に製作期間としては7カ月ほどかかっていることになる。そして公開は日本が最も速く、9月14日に公開されています。
ちなみに、自伝「僕はジャッキー・チェン」の中ではこの作品は100万HKドルしか稼げなかった(そんなバカな)と書かれているが、実際は2,000万HKドルを稼ぎ年間5位にランクインしている。
七福星/夏日福星(1985)
ジャッキーが『ポリスストーリー』や『ファースト・ミッション』との掛け持ち撮影で大変忙しかった85年夏に撮影されており、だから倉田保昭に劇中で負ける設定になった(真偽は不明)という。
前作『大福星』が2月に公開され大ヒットを記録、その直後の3月には製作がスタートしていると言われていますが、実際の撮影は下の記事のように5月21日からだと思われます。
- 新聞記事:1985年05月22日『華僑日報』『七福星』撮影開始
そして、香港では『大福星』のわずか半年後に公開され、85年の興行成績ランキング1位(『大福星』)と2位(『七福星』)を独占するというヒットを記録しています。
しかし、日本公開までに2年4カ月もかかっていることや、DVDの再発売が最も遅れたことなど微妙な謎が隠されている作品でもあります。実は私にとってはオープニングが最も謎な部分なんですがね・・・。
前述の通り、この時期ジャッキーは大変忙しく、本編での出番もさほど多くないことを考えると、作品の撮影自体は5月から始まっていたとしても、ジャッキーの参加は倉田氏も語っているように夏場だけではないかと考えています。
ポリス・ストーリー 香港国際警察/警察故事(1985)
撮影は1985年1月から8月中旬まで行われていたと伝えられています。
1月の『大福星』日本ロケ終了後あたりから撮影がスタートし、『ファーストミッション』、『七福星』の撮影に参加しながら、セカンドアルバムのレコーディングや、『大福星』の公開キャンペーンのための来日など大忙しの中撮影された作品であります。
その7月15日の『大福星』の公開キャンペーンではレイモンド・チョウやシベール・フーらとともに来日し、「筑波EXPO’85」や「成龍祭」と題してハッピ姿で御輿を担ぎ、18日に香港へと戻って再び『ポリス・ストーリー』、『七福星』、『ファースト・ミッション』の撮影に戻っていったようです。
この当時のジャッキーの睡眠時間は「1週間でたった5時間」だったと言われています。そして香港で3作品を完成を完成させた後、すぐに『サンダー・アーム』のロケに入り、今度は『ファースト・ミッション』公開のためのプロモーションで再来日、そしてその直後に瀕死の重傷を負ってしまうわけですね。まさに殺人スケジュールとはこのことです。
本作品の公開は、この時期としては珍しい日本と香港の同時公開で1985年12月14日となっています。
対象作品まとめ
『プロジェクトA』、『スパルタンX』とジャッキー・サモハン・ユンピョウによるBIG3(ゴールデントリオ)のアイドル人気が絶頂期であったこの時期、特に84年秋から85年夏にかけては1年間に5本の映画出演をしており、睡眠時間も1日2・3時間しか無かったとか。
まさに働き盛りで脂の乗った30歳、仕事づくりに専念できる環境で創作意欲もMAXだったわけですが、それが『サンダー・アーム』の大ケガへとつながってしまいます。
疲労が蓄積した中で3作が一気にクランクアップし、緊張が緩んでしまったのか・・・。
ジャッキーはそれ以降は基本的に掛け持ちをせず、1作品に集中してじっくり映画製作をするようになっていきます。
この時期の公開状況は下図のようになっています。まさに夢のような2年間ですね~。しかし、どうして『成龍拳』だけ劇場で見た記憶が無い(おそらく行ってない)んだろう・・・当時小学生だった私にも何か感じるものがあったんだろうか・・・。ちなみに『醒拳』も劇場には行ってませんね~。
それでは、ここで取り上げた6作品を一覧表にまとめてみます。
製作時期 | 初公開 | 邦題 (原題) | 製作会社 | 監督 | 香港興収HK$ (総合順位) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1984年前半 | 1984-08-15 [香港] | スパルタンX (快餐車) | 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 洪金寶 | 21,465,013 (5位) | 主演 スペインロケ |
1984年9月~12月 | 1985-06-15 [日本] | プロテクター (威龍猛探) | Gハーベスト ワーナー | ジェームズ・グリッケンハウス | 13,917,612 (13位) | 主演 アメリカロケ |
1984年10月(成龍は12月)~85年1月 | 1985-02-10 [香港] | 香港発活劇エクスプレス 大福星 (福星高照) | 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 洪金寶 | 30,748,643 (1位) | 準主演 日本ロケ |
1985年2月~8月 | 1985-09-14 [日本] | ファースト・ミッション (龍的心) | 寶禾影業 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 洪金寶 | 20,335,429 (5位) | 主演 |
1985年5月~7月頃 | 1985-08-15 [香港] | 七福星 (夏日福星) | 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 洪金寶 | 28,911,851 (2位) | 準主演 |
1985年1月~8月 | 1985-12-14 [香港・日本] | ポリス・ストーリー 香港国際警察 (警察故事) | 威禾電影 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 成龍 | 26,626,760 (3位) | 主演 |
下記はこの頃の製作時期イメージ図になります。
商品情報
はじめまして!
楽しく拝見しております。
大福星の製作費は当時のムックで日本ロケだけで1億8000万円かかったと読んだことあります。
当時のレートで1香港$あたり37円位だったらしいので総予算1500万香港$は信憑性高いかもしれませんね。
佐藤さんはじめまして。
実際の映画作りの現場を知らない私としては、いつも製作費を聞いて、
どこにそんなに使っているの?と思ってしまいます(^_^;)
俳優さんたちのギャラに消える分はわかるんですけどね。
たった今「我愛香港電影」のサイトを見てきましたが、あっまさにこの写真ですね。
こんばんは。
「曹恩玉」の名前が出てくるのってホントこの「夏日福星」のみなんですよ。
データーベースを見てもそうですし、不思議です。
「焦點影人 曾志偉」は同じ内容が中文と英文別ページで両方表記されていますので時間掛ければなんとか攻略できるかもしてません。
確かに私も手にしたのはいいんですが完全に理解できないので残念なんです。
いつかチャレンジしたいと思っています。彼のその時代を語った発言は資料的価値が高いですからね。
中身を読むと「笑拳怪招」から「踢館」にかけての事も語っているようです。
「福星高照」も最初は「奇謀妙計五福星」の「完全な続編」として作られていたらしいスチール写真を雑誌「銀色世界」で紹介されてたのを昔あるサイトで見たことがあります。
清掃会社のつなぎを着ていた5人の中に岑建勲がちゃんといたのを覚えています。
その後何らかの事情で岑建勲が降板し、曾志偉のその話につながっていくわけでしょうね。
ジャッキーとサモ・ハンが孤児院でというやりとりや、馮淬帆が警察の人じゃなくなっているなど設定が変わってしまってますもんね。
映画のクレジットはホントに不思議で、公開される場所によって変えているのでしょうか。
例えば、「龍的心」も香港版は「出品人 王羽」ではないですし、
私が持っている「龍少爺」VHS(編集は大陸版 國語吹替)でも「羅維影業」のファンファーレから始まり、「拳威影片有限公司 撮製」「成龍 領銜主演」「龍少爺」「監製 陳自強」「編導 成龍」の順で表記されるというゴールデンハーベスト関係者が全くクレジットされていない不思議さ。
同じ編集のFS版と比較してみても、「嘉禾ロゴ」から「監製 鄒文懷」「成龍 領銜主演」「龍少爺」「策劃 何冠昌」「編導 成龍」となりますが・・・不思議ですね。
そうですね。
当サイトの別記事でも触れているように
まさしく「龍少爺」や「龍的心」なんかは版権の問題でしょうね。
おそらくその出品人のもとにお金が転がり込むと言う・・・。
あと、同じタイミングで、まさしく「大福星」の写真を掲載されていたサイトの
tera-chanさんからもコメント頂いてました。
http://kungfutube.info/6015#comments
こんばんは。
「夏日福星」については謎がありまして、オープニングのクレジットなのですが、
なぜ出品人はサモ・ハンの当時の奥さんである曹恩玉なのか。
イマジカ版のDVDは所持していないのですが、現在のフォーチュンスター版DVDや香港版ポスターでは彼女がクレジットされてます。
その答えにまではなりませんがヒントになるであろう証言が、曾志偉です。
谷垣健治さんのブログ(谷垣健治のアクションバカ万歳!)でも紹介されてますが(2008年12月26日付)、
「焦點影人 曾志偉」という現在ヤフオクでも出品されている本でその辺のところ(「夏日福星」「最佳福星」が作られた経緯)を語っています。
私もブログを読んですぐこの本を手に入れました。
ただ、ポニーキャニオン版VHSでは「出品人 鄒文懷」なんです。その理由はわかりません。
yasuhaさんこんばんわ。
たしかに謎ですね。気が付きませんでしたよ。
谷垣健治さんの記事観ました。とても興味深い話ですね。
おそらくこのサモハンが投資、でも自分の名前は何らかの事情で表に出せないから
奥さんの名前でってことなんでしょうかね。
「焦點影人 曾志偉」、面白そうな本ではありますが、中国語ですよね・・・、残念。
映画の出品人あたりを見るとなんかその映画の裏事情が少し垣間見れて
面白いですよね。