今回は、『少林寺木人拳』のあとにほぼ同時に企画が進行していた『ファイナル・ドラゴン(風雨雙流星)』、『蛇鶴八拳(蛇鶴八步)』、『成龍拳(劍花煙雨江南)』の3作品を中心に1976年秋から1977年春ごろまでのジャッキーの動きを追ってみたいと思います。
自伝の記述を確認
自伝「僕はジャッキーチェン」の今回の範囲を要約すると次のようになります。
『少林寺木人拳』の次の作品である『キラードラゴン/流星拳(ファイナル・ドラゴン)』は、労働面のコストを抑えるため韓国で撮影することになった。
さらに興行成績を良くするためにかつてのビッグスター、ジミーウォング(王羽)を主役に抜擢。ジャッキーは俳優兼スタント・コーディネーターとして12000HKドルのギャラだったが、ジミーは50000HKドル貰っていた。
しかし、すでにジミーの人気も落ち目となっており、この作品も失敗に終わってしまった。
次の主演作である『成龍拳』も混乱した複雑なストーリーの暗い映画となり、失敗。
暗いタイプの主人公を続けて演じ失敗に終わったジャッキーは、ウィリーにもっと軽い役をもらえるよう羅維に頼んでもらい、次のプロジェクト『蛇鶴八拳』にとりかかる。
以前よりは自由を感じ、自分のアイデアやスタイルを取り入れることが出来たがやはり羅維の要求に弾圧されている感じは拭えなかった。
父親との約束である2年間の期限が迫っていたジャッキーは既に精神的に限界を迎えていた。
そして映画業界で、「ジャッキーチェンは興行成績を毒する俳優」としてのイメージが徐々に定着化しつつあった。
また、「愛してポーポー」では、この時期の記述を以下のように要約できると思います。
『新精武門』と『少林寺木人拳』のあと続けざまに『蛇鶴八歩』に主演し、俳優としてみんなの注目を集め、はじめて映画界でいわゆる「スター」と呼ばれるようになっていた。
その後数本、羅維監督のもとで映画を撮ったが、特にヒット作もないまま、父親との約束の2年が経ってしまった。
そのまま映画界に残るにしてもビザの関係もあるのでいったんオーストラリアへ戻ることに。
ジャッキーはそれまでに稼いだお金で父親にボルボの新車をプレゼントする。
撮り残しの作品があったので、オーストラリアはわずか1週間滞在し、再び香港に舞い戻った。
「僕はジャッキーチェン」の方ではとにかく悲惨な状況が続いているように書かれていますが、実際のところは「愛してポーポー」に書かれているイメージが現実に近いような気がします。
そこそこ「スター」(候補生)として注目されてはいるものの、ヒット作に恵まれず徐々に注目度が少なくなってきていた・・・というのが実情のようです。
3作品を同時進行?
今回の範囲で出てくるのは、『ファイナル・ドラゴン』、『蛇鶴八拳』、『成龍拳』の3作品ですが、私が見つけた記事で最も古いものは、次の記事になります。
- 新聞記事:1976年08月16日『工商日報』|羅維、ウィリーらと台湾へ、一斉に4作品を製作
- 新聞記事:1976年08月22日『華僑日報』|羅維、台湾で古龍原作の『風雨雙流星』と『剣花煙雨江南』、同時に陳誌華監督の『蛇鶴八部』
ただ、微妙に訳し方がわからないのですが、現在撮影中っていうわけでもなさそうです。
次に9月7日の記事で、古龍作品の『成龍拳』の主役にジミー・ウォング、共演にノラ・ミャオを抜擢。ジミーと羅維は4年前のゴールデンハーベストでの『海員七號』、『冷面虎』に続いて3度目の合作とあります。
- 新聞記事:1976年09月07日『工商日報』|羅維、『剣花煙雨江南』で王羽と3度目の合作
おそらく最初は『成龍拳』の主演に王羽が予定されていてノラも共演する予定だったみたいですね。
ちなみにジャッキーは8月と9月の記事には名前すら上がっていない状態です。
以上の事から、この9月7日の時点では『ファイナル・ドラゴン』や『成龍拳』はまだ企画段階で撮影には入っていないと考えられると思います。
ファイナル・ドラゴン(キラードラゴン流星拳)/風雨雙流星
本作品は、監督ローウェイ、主演ジミー・ウォング、原作古龍、ジャッキーは悪役で準主演の映画です。
また、自伝中ではジャッキーが武術指導をしたことになっています(公式サイトも)が、クレジット上は陳信一となっています。おそらく実際はジャッキーのような気もしますが、台湾系の作品ではなぜか陳信一がクレジットされることが多い気がします。
『ファイナル・ドラゴン』の手掛かりとなる新聞記事
本作品の撮影記事で発見出来た最も古いものが次の9月28日の華僑日報になります。
- 新聞記事:1976年09月28日『華僑日報』|台湾で『風雨流星剣』と『剣花煙雨江南』、羅維は韓国へロケに
これによると最近羅維は台湾で『風雨流星剣』と『剣花煙雨江南(成龍拳)』の撮影を開始(?)。王羽が主演で、『風雨流星剣』の主演女優には藍毓莉、『剣花煙雨江南』の主演女優には張玲。韓国でのロケを予定していて、昨日(9月27日)、羅維は韓国へ飛びロケの準備(下見?)。王羽は台湾を離れられないのですべて台湾で撮影。というようなことが書かれていると思います。
『風雨流星剣』というのはもちろん『風雨雙流星(ファイナル・ドラゴン)』のこと(韓国題は『流星剣』)ですが、この時点ではまだ『成龍拳』の主演もジミーさんで、主演女優も張玲という人を予定していた(結局、出演していない)ことを考えると、『成龍拳』はまだ撮影開始していないと考えられます。
『ファイナル・ドラゴン』のほうも、、ジミーさん主演は間違ってはいませんが、藍毓莉は一応出演はしているものの(クレジット上は主演)、実際には玉霊龍(丁姫)が主演女優です。
また、『ファイナル・ドラゴン』の撮影記事は10月30日の工商日報にも掲載されています。
- 新聞記事:1976年10月30日『工商日報』|羅維のケガで『風雨雙流星』撮影中断、6日後に再開予定
羅維が鼻の血管が破裂して(ケガか病気か不明)、6日後に『ファイナル・ドラゴン』撮影。なにやら羅維は胆石なども多く、年内に手術しなきゃならんようなことが書いてあると思います。
次の記事は、『少林寺木人拳』が公開された11月10日直後の11日の新聞で、羅維とノラ・ミャオはPRのため香港へ来たが、ジャッキーチェンは『ファイナル・ドラゴン』の撮影で台湾を離れられないとあります。『ファイナル・ドラゴン』は台湾の悪天候や王羽の都合で撮影が伸びているようなことが書かれていると思います。
- 新聞記事:1976年11月11日『工商日報』|『風雨雙流星』撮影中
そして次の記事が、12月30日の工商日報(29日の華僑日報にも同様の記事あり)で、ローウェイ夫婦・ジャッキー・陳誌華が台湾から、ウィリーとノラ・ミャオは香港からそれぞれ1月15日に韓国へ向かい、羅維監督の2作品と陳誌華の『蛇鶴八歩』について、ソウルで寺院や平原のロケを行う計画とあります。羅維の作品について具体的な作品名は挙げられていませんが、この時期の羅維作品は『ファイナル・ドラゴン』と『成龍拳』しか考えられません。
- 新聞記事:1976年12月30日『工商日報』|来年1月15日から韓国ロケ
続けて1月7日の記事では、羅維は前年の12月12日(羅維の誕生日)に『成龍拳』を台湾で撮影開始しており、これから徐楓らが韓国へ向かうとあります。また、9月の記事にもありましたが、『ファイナル・ドラゴン』のジミー・ウォングは諸事情(たぶん裁判とか事件がらみ)により台湾から離れることが出来ず、すべて台湾で撮影していたようです。
- 新聞記事:1977年01月07日『華僑日報』|徐楓らが韓国へ
つまり、『ファイナル・ドラゴン』のジミー・ウォング出演シーンはすべて台湾で撮影されており、それがようやく終わったので韓国ロケが出来るようになったということだと思います。
ジャッキーの出演シーンはすべてジミーさんと一緒にいるシーンなので、すべて台湾ということになりますね。
一応、韓国との合作ということになっているようなので、韓国でも撮影していたのだと思いますが、映像を見る限り韓国らしい場面は発見できませんでした。ジミーさんが出てこない場面ってそう多くはないんですがね~、冒頭の夜の部分も台湾だし・・・(どなたかわかります?)
76年の9月末に羅維は韓国へ行っているようですがおそらくロケハンのみで撮影はしていないと思われます。ということは韓国で撮影されているとすれば77年1月に行われたということになります。
『ファイナル・ドラゴン』のロケ地
冒頭の夜のシーンや王羽がジャッキーとの最初の闘いのあと放り出されるシーンなどは『少林寺木人拳』や他の映画でも使われています。台湾の電影文化城でしょうか。
次の屋敷はよく使われていますね。
花雨洞天と書かれている滝のシーンは、台湾の有名な「十分瀑布」と思われます。
次の画像の2本の大きな木の場所は、『成龍拳』や『蛇鶴八拳』なんかにも出てくる場所です。ほとんと同じ方向からのカットが見れるので、葉の枯れ具合などから季節を推測するのに使えるかも知れません。
王羽が岩の上で寝ているシーンですが、ここは『飛龍神拳』でも使われています。
花満開のシーンも出てきますが、台湾って秋でもこんなに花が咲いてるんですね~。(本物じゃないのかな?)
王羽が出てこないシーンは私が見た限りでは3場面。1つは冒頭の夜の屋敷のシーンですが、これは後に成龍との最初の闘いのあとに王羽が出てきます。2つ目は洞窟内のシーンですが、こちらも後々王羽が登場します。3つ目が唯一、王羽が出てこないシーンで成龍と王羽の会話中に「四天王」の回想シーンで、下画像になります。
どうも韓国っぽくは見えないのですが、もしかしたら当初は韓国ロケを予定していたが、王羽が台湾を離れられないためにこの作品の韓国ロケは中止になったのかもしれません。
『ファイナル・ドラゴン』でのジャッキーチェンの顔と髪型
前作の『少林寺木人拳』から3~4カ月ほど後に出演されたと思われるジャッキーの顔は、この期間に大きく変わっています。前作『少林寺木人拳』公開時に、主役として華が無いと指摘されたことも影響しているのでしょう。3~4カ月のインターバルもそう考えると納得です。
全編武侠顔(?)ですが、瞼は二重になっています。また、眉毛もガッチリ描かれているため精悍な顔つきに見えます。個人的にはこの頃のジャッキーの顔は少しぽっちゃりしているイメージがあります。この頃の作品でジャッキーが脱いでいる作品は『蛇鶴八拳』でケガをした時ぐらいしか無いと思いますが、その時もちょっと肉がついているように見えました。ジャッキーの歯は前作『少林寺木人拳』と同じです。髪型はおそらくカツラと思われるため長さなどは判別できませんでした。
『ファイナル・ドラゴン』の公開情報
76年の12月31日に台湾で公開されたと言う情報もネット上にはあるようです。真偽は不明ですが、本編中に韓国での撮影場面を見つけることが出来ないため、1月の韓国ロケはこの作品に関しては行われていない可能性があります。そうすると、この12月台湾公開説もあり得る話だと思います。ただ、HKMDBのデータベースでは1976年8月21日となっていますが、さすがにそれは間違いだと思われます。
公開日として確実なものは、韓国での1977年5月12日が今のところ最も古く確実な情報となります。下の画像は5月11日に韓国の新聞に掲載された広告になります。香港では公開されていないようです。
余談ですが、自伝ではジャッキーが武術指導兼出演で12,000HKドルのギャラに対し、ジミーさんは50,000HKドルだったと書かれていました。ただ、当時のトップクラスのスターでは、1本の作品で40万HKドル貰っていた人もいたようなので、やはりこの時期にはジミーさんの人気も落ち目になっていたのは事実のようですね。
『ファイナル・ドラゴン』まとめ
『ファイナル・ドラゴン』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 風雨雙流星 流星剣(韓国) |
---|---|
邦題 | キラー・ドラゴン流星拳/ファイナル・ドラゴン |
初期タイトル | 風雨流星剣 |
監督 | 羅維 |
武術指導 | 陳信一(/成龍) |
新聞記事 |
|
ロケ地 |
|
成龍の顔・髪 | 顔:二重瞼、前歯は依然として不揃い、隙間もあり 髪:おそらくカツラ、本来の長さは判別不能 |
撮影時期 (推定) | 1976年9月中頃(か10月)~1977年1月頃 (王羽や成龍出演場面は76年12月上旬頃までには撮影終了していたと思われる) 王羽が台湾を離れられないことや悪天候などで撮影が長期化。 |
公開日 | 1977年5月12日(韓国) ※1976年12月31日(台湾)・・・真偽不明 ※1976年8月21日・・・間違い 香港では未公開と思われる |
興行成績 | 不明 |
成龍拳/劍花煙雨江南
本作品も、監督ローウェイ、原作古龍の作品。ジャッキー主演で、共演は徐楓、申一龍、玉靈龍など。また、ジャッキーは武術指導も兼任している。
当初はこちらの作品も王羽(ジミー・ウォング)主演で、主演女優はノラ・ミャオを予定。その後、張玲(『ドラゴン特攻隊』などに出演)が主演女優としてピックアップされていたようですが実際は実現しませんでした。
そしてこの作品は、古龍原作で人気女優徐楓を起用したにも関わらず、この前に主演した『少林寺木人拳』や『レッド・ドラゴン』よりもさらに悪い興行成績を記録してしまいました。
『成龍拳』の手掛かりとなる新聞記事
さきほどの『ファイナル・ドラゴン』と同様に、その作品名が初めて登場するのは76年8月の記事で、その後9月には主演にジミー・ウォングやノラ・ミャオが予定され、9月末にはジミー・ウォングと張玲は主演予定だったようです。
- 新聞記事:1976年08月22日『華僑日報』|羅維、台湾で古龍原作の『風雨雙流星』と『剣花煙雨江南』、同時に陳誌華監督の『蛇鶴八部』
- 新聞記事:1976年09月07日『工商日報』|羅維、『剣花煙雨江南』で王羽と3度目の合作
- 新聞記事:1976年09月28日『華僑日報』|台湾で『風雨流星剣』と『剣花煙雨江南』、羅維は韓国へロケに
当初から韓国でのロケを予定していて、9月27日には羅維は韓国へ飛びロケの準備(下見?)をしています。
本格的な撮影開始は1月7日の記事にあるように、1976年12月12日(羅維の誕生日)に台湾ではじまったようで、1月中旬には韓国ロケを行っているようです。
- 新聞記事:1977年01月07日『華僑日報』|徐楓らが韓国へ
- 新聞記事:1976年12月30日『工商日報』|来年1月15日から韓国ロケ
そして、1977年3月3日の記事では、『成龍拳』の撮影があと10日ぐらいで終了すると出ていました。このときは台湾で撮影しています。
以上の事から、『成龍拳』の撮影時期は1976年12月12日~1977年3月中旬と推測できます。
『成龍拳』の公開情報
『成龍拳』の香港公開日は1977年7月22日となっています。ただ、7月2日には香港でプレ上映されているようで、台湾での公開はそれよりもさらに前のようです。
韓国では1977年9月24日(下は韓国の新聞掲載の広告)、日本では1984年5月12日に公開となっています。
興行結果は、29万HKドルで1977年の総合187位という結果で『レッドドラゴン』や『少林寺木人拳』よりもさらに悪化してしまいました。
『成龍拳』のロケ地
『成龍拳』は台湾と韓国で撮影されており、12月に台湾で撮影開始~1月中頃から韓国でロケ~台湾に戻り3月中頃まで撮影という流れだと思います。
場面ごとに見て行くと、まず玉靈龍との外景シーンは雪が見えることから韓国で撮影。
次の成龍と玉靈龍の思い出の家(?)、ジャッキーが襲われる場所ですが、こちらは植物の状態から見て台湾だと思われます。また、申一龍もこの場所で出演しており、(申一龍は12月に台湾での撮影に参加)ソウルの出演場面以外での登場はこの場面のみということからも台湾と考えて問題ないと思います。
次はよく見かける平原に大きな木が立っている場所。
これは、『ファイナル・ドラゴン』でもジミーさん出演シーンで出てくるので台湾ということになりますね。(下は『ファイナル・ドラゴン』の画像)
次の茶屋やこのあとの林でまたジャッキーが襲われるシーンも植物から見て台湾での撮影シーン。(『蛇鶴八拳』でも同じ場所のシーンあり)
次はソウルにある「昌慶宮の明政殿」。
次もソウルで、世界遺産にもなっている「宗廟」。こちらもこの頃のジャッキー映画によく出てきますね。
こちらもソウルの世界遺産、「昌徳宮の宙合楼」です。
次は徐楓の家で滝の場所なんですが、撮影時期と花や植物から考えると台湾だと思います。『蛇鶴八拳』の隠れ家としても使われている場所です。
ラストの申一龍とのバトルでは、さきほどの昌徳宮や下の画像の「洪陵・裕陵」で撮影が行われています。
ジャッキーがとても寒かったとボヤいていた冬の韓国ロケで上半身裸で頑張る申一龍にも驚きですが、世界遺産とは思えない使い方の連続にもまた驚かされます。(当時は世界遺産じゃ無かったんですが・・・)
『成龍拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
基本的には『ファイナル・ドラゴン』と同じ顔つきです。左の画像ではカツラ?の境目がはっきり見えます。中央の画像はちょっとブレてますが、ジャッキーの歯並びを見るため掲載しています。(前歯並びと隙間)右の画像は鼻の傷がわかる画像です。ジャッキーが本作品の撮影中に鼻を負傷したのは新聞にも載っていました。作品の流れとしてはこの場面の後に鼻に傷を負うのですが、撮影順が逆のため本編ではいきなり理由無く鼻に傷が出現します。また、印象としてはやっぱり顔の輪郭が全体的に丸いというかむくんだ感じに見えます。
で、終盤に髪を下ろしたときのジャッキー。作品中の顔の傷があるので顔は判別しにくいですが、このシーンはすべて韓国ロケで77年1月頃のものなので、『蛇鶴八拳』の韓国でのシーンと同時期ということになります。長さ的には『少林寺木人拳』からの期間を考えると妥当な長さだと思われます。
『成龍拳』まとめ
『成龍拳』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 劍花煙雨江南 |
---|---|
邦題 | 成龍拳 |
監督 | 羅維 |
武術指導 | 成龍/陳信一 |
新聞記事 |
|
ロケ地 |
|
成龍の顔・髪 | 顔:基本的に『ファイナル・ドラゴン』と同じ、台湾のシーンで鼻に傷(他作品では見られない)、前歯並びはまだ悪く、隙間も見える 髪:オカッパヘアー |
撮影時期 (推定) | 1976年12月12日~1977年3月中旬 |
公開日 | 1977年7月22日(香港) ※1977年7月2日(香港プレ上映)、台湾ではそれ以前に上映 1977年9月24日(韓国)、1984年5月12日(日本) |
興行成績 | HK$292,664(1977年香港総合ランキング187位) |
今回の対象作品まとめ
『蛇鶴八拳』もこの時期なんですが、かなりやっかいなので後回しにします。ひとまず今回の2作品をまとめたイメージが下図になります。
商品情報
この頃のジャッキーが一番好きです。
ここから集大成の「ヤング・マスター」まで、本当に色々なテイストの映画を作っています。
売れなかった分、色々工夫したのでしょう。
また、当時の未来に対するジャッキーの胸中もあわせて考えると感慨深い時期だったと思います。
売れて好き勝手にできるより、売れない時代に試行錯誤するほうが興味深いのですよね。
題名も「風雨双流星」とか「剣・花・煙雨江南」など武侠小説のノリでカッコいいものが多いです。