1970年代のジャッキーチェン出演作の製作年を探る連載シリーズ第2回は、ジャッキーが中国戯劇学院を去ってから、初の大役『ファイティング・マスター(頂天立地)』に出演する直前まで、1971年から1972年半ばまでの動きを探ってみようと思います。
自伝の記述を確認
ジャッキーチェンが中国戯劇学院を去ってから、初の大役『ファイティング・マスター(頂天立地)』までの動きを、自伝「I AM JACKIE CHAN―僕はジャッキー・チェン」からまとめました。
父親から卒院後はオーストラリアで一緒に暮らそうと言われたジャッキーだったが、映画スタジオと2年の契約を結んだと嘘を言い、香港に残ることを選択した。その結果、父親からアパートを買ってもらう。
その後、ショウブラザーズなどの映画スタジオで死体の役や群衆シーンのエキストラなどジュニアスタントマンとして下積みを重ねる。
しだいに一人前のスタントマンとして認められつつ、酒、タバコ、喧嘩、ギャンブルに明け暮れる日々を送っていたが、好景気は終わりを告げ、最もベテランのシニア・スタントマンでさえ仕事が無くなってきていた。
途方に暮れていたジャッキーは学院の先輩サモハン・キンポーと再会。1か月後には海外で挫折を経験し香港に戻ってきたユンピョウとも再会する。
そういった仲間たちと映画について熱く語り合い、共に数ヶ月を過ごす日々の中で、ユンピョウはジュニアスタントマンとして仕事をはじめ良い評判を取り始めていた。
サモハン自身もシニア・スタントマンからスタント・コーディネーターに出世し、ゴールデンハーベストと契約。そのサモハンの紹介でジャッキーはブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』でスタントをやることに。
ジャッキーはスタント分野ではトップとなり、ハイクラスのスタントマンの中でもベストに数えられた。
また、自伝「愛してポーポー」では、
映画スターなんかになるつもりはなかったジャッキーは、学院で習ったことを生かして映画の武術指導者の仕事につくことが理想だった。
学校を出ると、当時有名な武術指導だった「徐二牛」のグループに入れてもらい、しだいに認められるようになっていった。
そのころ、ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳(精武門)』にもスタントで参加し、ブルース・リーに褒めてもらったこともあった。
と書かれています。
各作品を調査
金毛獅王
何夢華(ホー・メンホア)監督によるショウブラザーズ作品で、香港公開が1975年。ジャッキーがこの頃のショウブラザーズ作品に出るのは不自然だと思っていたのですが、調べてみると1971年1月頃に撮影が開始され、その後一時中断(出演者の都合?)し、1972年2月頃に撮影終了していたみたいなんです。
そして、この作品の武術指導が「徐二牛」だったんです。納得。
- 新聞記事:1971年01月17日『華僑日報』|撮影開始予定
- 新聞記事:1972年01月27日『華僑日報』|撮影中断中
- 新聞記事:1972年02月01日『華僑日報』|撮影中
- 新聞記事:1972年02月20日『華僑日報』|まもなく撮影終了
惡虎村
岳楓(ユエ・フォン)監督のショウブラザーズ作品で、こちらの作品は1974年01月の香港公開なんですが、製作が開始されたのは1971年3月頃のようです。
そして、この作品も武術指導は「徐二牛」が担当しています。サモハン・キンポーも端役で出演しているようです。
- 新聞記事:1971年03月23日『華僑日報』|撮影開始の記事
新聞記事を調べ出して初めて知ったのですが、製作から公開まで1年以上の期間がある作品って随分と多いんですね~。
埋伏
続いて、何夢華(ホー・メンホワ)監督のショウブラザーズ作品で、これも武術指導が「徐二牛」。サモハン・キンポーも端役で出演しているようです。
こちらは香港公開が1972年03月ですが、製作は1971年08月頃のようです。当初は『十面埋伏』のタイトルで進められていたようですね。
- 新聞記事:1971年08月11日『工商日報』|新作『十面埋伏』に関する記事
1971年以前もサモハンは徐二牛の武術指導作品にかなり出演しているみたいですが、ジャッキーチェンが出演している作品もまだあるかもしれませんね。
精武門(ドラゴン怒りの鉄拳)
言わずと知れたブルース・リー主演、羅維(ロー・ウェイ)監督によるゴールデンハーベスト作品。
1972年03月香港公開の本作品は、1971年10月から12月にかけて製作されたようです。
- 新聞記事:1971年10月23日『工商日報』|撮影開始
- 新聞記事:1971年12月01日『工商日報』|大部分撮影済み、末には完成予定
自伝によると、本作品は既にゴールデンハーベストと契約していたサモハンの紹介でジャッキーがスタント参加したようです。
蕩寇灘
次の作品は、富國影業公司の創業作品で吳思遠(ウー・シーユェン)監督、袁和平と袁祥仁が武術指導の『蕩寇灘』です。
1972年05月に香港公開ですが、2月頃には完成していたみたいです。いつごろから製作されたかは定かではありませんが、1971年05月の時点で製作は計画されていて何らかの理由で延期されたみたいです。時期的には1971年後半ということですね。
- 新聞記事:1971年05月11日『華僑日報』|計画をしばらく延期
- 新聞記事:1972年02月02日『華僑日報』|そろそろ完成
- 新聞記事:1972年05月03日『工商日報』|公開時期の記事
ジャッキーはこの後も富國影業の『石破天驚』や関連会社である帝國影業の『除霸』などに出演していますが、袁和平(もしくは袁祥仁)つながりなんでしょうか、それとも吳思遠がらみか、出演経緯は謎です。
唐人客
独立プロの遠東影業作品で、1972年10月に香港公開。製作時期はハッキリとはわかりませんが、1972年01月と07月に撮影に関する記事がありました。
私の語学力では解読不能ですが、なにやら撮影が難航しているような記述かもしれません。
- 新聞記事:1972年06月26日『工商日報』|1月から撮影苦戦中?
- 新聞記事:1972年07月29日『工商日報』|撮影中
この作品へは、武術指導を担当している徐松鶴がらみでジャッキーは出演したのかもしれませんね。
この徐松鶴という人にはジャッキーがお世話になったらしいのですが、徐松鶴が武術指導している作品でジャッキーの出演が確認できているのはこの作品のみ。
そもそも、この徐松鶴と言う人物は徐二牛の家族なんでしょうか。
合氣道
アンジェラ・マオ主演のゴールデンハーベスト作品で、サモハン・キンポーが武術指導兼準主演をつとめるこの作品は、1972年10月に香港公開されていて、1972年の4月から7月にかけて撮影されたようです。
- 新聞記事:1972年04月12日『工商日報』|撮影開始
- 新聞記事:1972年07月23日『華僑日報』|撮影終了
出演経緯はサモハン・キンポー関係でしょうかね。
以上が、おそらくジャッキーが卒院後、『頂天立地』に出演する前までに出演した作品だと思われます。
今回の対象作品まとめ
今回の7作品をまとめると次のようになります。
製作時期 | 公開 | タイトル | 製作会社 | 監督 | 武術指導 | キーマン (推定) |
---|---|---|---|---|---|---|
1971年1月~(中断) ~1972年2月 | 1975-12-21 | 金毛獅王 | ショウブラザーズ | 何夢華 | 徐二牛 | 徐二牛 |
1971年3月~ | 1974-01-12 | 惡虎村 | ショウブラザーズ | 岳楓、汪平 | 徐二牛 | 徐二牛 |
~1971年8月 ~ | 1973-01-05 | 埋伏 | ショウブラザーズ | 何夢華 | 徐二牛 | 徐二牛 |
1971年10月 ~12月 | 1972-03-22 | 精武門(ドラゴン怒りの鉄拳) | ゴールデンハーベスト/四維 | 羅維 | 韓英傑 | 洪金寶 |
~1972年2月 | 1972-05-17 | 蕩寇灘 | 富國影業 | 吳思遠 | 袁和平、袁祥仁 | 袁和平? 袁祥仁? |
1972年1月~ 7月~ | 1972-10-04 | 唐人客 | 遠東影業 | 關山 | 徐松鶴、陳星 | 徐松鶴 |
1972年4月~ 7月 | 1972-10-12 | 合氣道 | ゴールデンハーベスト/嘉聯 | 黃楓 | 洪金寶 | 洪金寶 |
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