前回のサモハンに引き続き、当時ジャッキーが関わった人物について簡単にまとめつつ、未知なるジャッキー作品の可能性についても軽く考えてみたいと思います。
本当はサモハンの時みたいに、関係者の全作品の製作年度を調査しようと思ったのですが、あまりの大変さに途中で挫折しました。
また、この当時のことについて私は特別詳しいわけではないので、当時の新聞記事などの適当和訳をベースに私自身勉強しながら書いています。ですので、間違った解釈などあるかもしれませんが、どうかご了承ください。
けっこう広範囲の人脈を持っていたジャッキー
まずは簡単にこの頃のジャッキーの人物関係をまとめてみました。
すべてのベースとなっているのは、やはりジャッキーが10年間居た中国戯劇学院ですね。
まずジャッキーは、サモハンも師事していた武術指導家の徐二牛のグループに入りながらも、ちょくちょくサモハン絡みの仕事もこなす。
次のステップとして、富國影業の仕事と大地影業をはじめとした陸正行の開發系の仕事を2本柱に、武術指導としてのキャリアと役者としてのキャリアを積む。
最終的に、不況の中サモハンのアシスタントとして働く。
と、そんな流れになります。
それでは、それぞれの人物についてもう少しだけ突っ込んでみようと思います。(サモハンは前回やったので今回省略)
中国戯劇学院関係者
すべてのベースとなる中国戯劇学院の関係者たちです。
元秋(ユン・チウ)
林秀とか甘家鳳、フェニックス・キム(すごい名だ)とも言うみたい。ご存知、ジャッキーのビゲスト・シスターで「七小福」メンバーです。
1950年生まれなので、ジャッキーの4つ上ですね。
1972年にショウブラザーズの『林沖夜奔』でデビューし、その後すぐに大地影業と契約、ジャッキーも出演した『頂天立地』と『女警察』に出演。その後も同じグループの『烏龍賊阿爸』などにも出演していたようですが、思っていたよりも出演作は少ないみたいで、1985年まで毎年1~2作品ペースで出演しています。
1985年、結婚を機に一時引退するも、2003年に復帰。2004年に出演した周星馳(チャウ・シンチー)の『功夫/カンフー・ハッスル』でのいかついオバさん役で有名ですね。(台湾金馬獎の最優秀助演女優賞を獲得)
2009年の『ジャッキーチェンのカンフーキッド/尋找成龍』でジャッキーと37年ぶりの共演を果たしている(からみは無し)。
自伝「僕はジャッキーチェン」にあるように(名前は出てこないし作品名も違うが)、ジャッキーが初の大役をゲットするのに力を貸した人物。橋渡しをしたのが、朱牧なのか陸正行なのかはわかりませんが、結果はどうあれ、ジャッキーチェンの役者人生において恩人であることは間違いないでしょう。
ただ、『頂天立地』と『女警察』以外の作品については、陸正行つながりの『烏龍賊阿爸』も製作が73年11月と時期的には厳しく、他の作品もジャッキーが絡んでいる可能性は低そうです。
元奎(ユン・ケイ/コーリー・ユエン)
ジャッキーと同じく「七小福」メンバーで、1951年(50年説もあり)生まれとジャッキーよりも3つ年上ですが、サモハンとかとは違い、同期の仲間といった感じで、とても仲が良かったみたいですね。
俳優のほか、武術指導や監督として多数の作品に関わっており、ジェットリー作品の監督や武術指導も多くこなしている。ちなみに初の武術指導作品はジャッキーと共同クレジットの『廣東小老虎』。
最近では『レッドクリフ』2作品やジャッキーも特別出演している『新少林寺』の武術指導を行っている。
ジャッキーとは端役時代に多くの作品に出演しており、70年~72年あたりに製作された作品の中に未知なるジャッキー作品が存在する可能性はじゅうぶんあると思います。
数が多いので今回は作品を個別に検証するのは無理でした。が、他の要素(製作会社や監督、出演者など)に「元奎」が加わると、ジャッキー出演の可能性はグンと高くなると思います。
元彪(ユン・ピョウ)
1957年生まれで、ジャッキーの3つ年下。愛すべき弟分です。
初期のころはサモハン関係の仕事がやはり多く、ジャッキーとも同じ作品に端役で出ていたりします。ただ、元彪を手掛かりに未知なるジャッキー作品を探すのはあまり意味がなさそうです。
また、サモハンやジャッキーを含め他の学院メンバーと一切関わらない海外との合作系作品に多く出ているのも特徴ですね。
元華(ユン・ワー)
1950年生まれ(52年説もあり)で、ジャッキーの4つ年上。「七小福」メンバー。7歳の時に学院に入学したようです。
俳優のほか武術指導もこなすが、1990年代以降は俳優としての活動が主。元秋と共演した『功夫/カンフー・ハッスル』で香港電影金像賞の最優秀助演男優賞を受賞しています。ハリウッド映画なんかにもいきなり出ていたりするのでちょっと驚きます。
ジャッキーとはもちろん初期の頃も一緒の作品が多いが、中期の作品にも俳優として多くの作品に出演している。
ただ、未知のジャッキー作品への手掛かりとしては元奎で十分な気がします。
ところで、ジャッキーと元華の関係ってどんな感じなんですかね。年は元華の方が上だけど、ジャッキーの方が先に入っているから先輩なんでしょうか。
呉明才(ウ・ミンサイ)
学院時代は元庭。初期作品では端役としてジャッキーと同じ作品に数多く出ています。
しかし、その後はジャッキーとの絡みもほとんど無く、キンフー作品の常連ぐらいしか知識がありません。
年齢も不詳ですが、もしかしたら自伝「僕はジャッキーチェン」で、学院を逃げ出した先輩「ユエン・ティン」というのはこの呉明才(元庭)のことなんじゃないかな~と思っています。愛嬌のある顔も、自伝のイメージに合っているような気が・・・。
実際は、黒社会ともつながりが深いなんて噂もあるようですが、もしかして学院での生活と挫折が暗い影を落としたなんて想像が飛躍しすぎでしょうかね。
さて、呉明才も未知のジャッキー作品を見つける手掛かりとなる人物ではあるのですが、やはり元奎ほどではないかな~。
武術指導家
ジャッキーと関わりの深い武術指導家といえば、卒院後に師事した徐二牛が有名ですね。あとは、徐松鶴にもお世話になっていたようです。
あと、サモハンはもちろんですが、袁和平と袁祥仁の兄弟も忘れてはいけませんね。
徐二牛(チュイ・イーアン)
自伝「愛してポーポー」にも具体的に名前が挙げられているように、学院を去った後のジャッキーはこの人のグループに入ったようです。
そうはいっても、いまのところ徐二牛の作品でジャッキーが関わっているのは『金毛獅王』、『惡虎村』、『埋伏』の3作品だけで、時期的には1971年になります。
以下の表は1970年代後半までに徐二牛が武術指導を担当した作品一覧になります。
製作時期 | 公開 | タイトル | 製作会社 | 監督 | 武術指導 | 備考 | 成龍 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
不明 | 1969-06-18 | 血羅巾 | 繁榮製片 | 王風 | 徐二牛 | – | – |
1968年9月 | 1969-08-14 | 虎膽 | ショウブラザーズ | 羅維 | 小麒麟、徐二牛 | – | – |
1968年12月 | 1969-09-10 | 神經刀 | 國泰 | 王天林 | 韓英傑、陳少鵬、徐二牛 | – | × |
1969年1月 | 1969-10-15 | 龍門金劍 | ショウブラザーズ | 羅維 | 徐二牛、洪金寶 | – | – |
1969年1月 | 1970-06-11 | 屠龍 | 國泰 | 易文、梁銳 | 陳少鵬、徐二牛 | – | × |
1969年2月 | 1970-03-19 | 鷹爪手 | 國泰 | 文石凌 | 韓英傑、陳少鵬、徐二牛 | – | × |
1969年2月? | 1970-07-01 | 十二金牌 | ショウブラザーズ | 程剛 | 徐二牛、洪金寶 | – | – |
1969年7月 | 1970-03-26 | 五虎屠龍 | ショウブラザーズ | 羅維 | 洪金寶、徐二牛 | – | – |
1969年12月 | 1971-10-29 | 冰天俠女 | ショウブラザーズ | 羅維 | 徐二牛、田俊 | – | – |
1970年3月 | 1971-10-15 | 鳳飛飛 | ショウブラザーズ | 高寶樹 | 韓英傑、徐二牛 | – | – |
1970年7月 | 1971-02-18 | 聾啞劍 | 明星電影企業 | 午馬 | 徐二牛、徐松鶴 | 元奎出演 | △ |
1970年7月 | 1971-05-12 | 鬼太監 | ショウブラザーズ | 葉榮祖 | 徐二牛 | 火星出演 | △ |
1970年9月 | 1971-08-06 | 影子神鞭 | ショウブラザーズ | 羅維 | 徐二牛 | – | – |
1970年10月 | 1972-04-20 | 小毒龍 | ショウブラザーズ | 岳楓 | 徐二牛 | 元奎、吳明才出演 | △ |
1971年1月~(中断)~1972年2月 | 1975-12-21 | 金毛獅王 | ショウブラザーズ | 何夢華 | 徐二牛 | 元奎、火星出演 | ◎ |
1971年3月~ | 1974-01-12 | 惡虎村 | ショウブラザーズ | 岳楓、汪平 | 徐二牛 | 吳明才、元奎、元華、火星出演 | ◎ |
~1971年8月~ | 1973-01-05 | 埋伏 | ショウブラザーズ | 何夢華 | 徐二牛 | 元奎、元華、火星出演 | ◎ |
不明 | 1971-11-06 | 火併 | ショウブラザーズ | 楚原 | 徐二牛、徐松鶴 | – | – |
1971年9月 | 1972-06-15 | 風雷魔鏡 | ショウブラザーズ | 孫仲 | 徐二牛、徐松鶴 | – | △ |
不明 | 1972-04-14 | 太陰指 | ショウブラザーズ | 鮑學禮 | 徐二牛、徐松鶴 | – | – |
1972年6月 | 1972-09-07 | 愛奴 | ショウブラザーズ | 楚原 | 徐二牛 | 元奎出演 | △ |
不明 | 1972-12-16 | 黑店 | ショウブラザーズ | 葉榮祖 | 徐二牛、徐松鶴 | 元華、火星出演 | △ |
不明 | 1973-12-21 | 龍虎金剛 | ゴールデンハーベスト | 羅維 | 徐二牛 | – | – |
1973年12月 | 1975-02-18 | 血滴子 | ショウブラザーズ | 何夢華 | 徐二牛 | – | – |
1974年 | 1974-12-19 | 捉鼠記 | ショウブラザーズ | 桂治洪 | 徐二牛 | – | – |
不明 | 1976-09-08 | 你係得既 | 李氏 | 李香琴、沈殿霞 | 徐二牛 | – | – |
1977年8月 | 1977-10-06 | 血海螳螂仇 | 協利電影 | 徐二牛、張森 | 徐二牛 | – | – |
不明 | 不明 | 黑帶恨 | 協利電影 | 張森 | 徐二牛 | – | ? |
ところで、ジャッキーがカメオ出演しているとの噂がある『黑帶恨』(1978)ですが、おそらく香港では公開されておらず(おそらく台湾?)、製作時期も特定できませんでした。一応、徐二牛つながりで、もし製作時期がかなり早めならばわずかでも可能性があるかなと思ったんですが、そこまで昔の作品でもなさそうです。だからといって、100%関わって無いとはもちろん断言はできないんですけどね。
でも間違いだとしたら、どこから湧いてきたのか。ネットをざっと見た感じでは発端は英語圏じゃないかと。つまり、『黑帶恨』の英題である『Two in Black Belt』に端を発しているような気がします。この英題が表記されていない中華圏のサイトではジャッキーの作品としてカウントしているところは見当たりませんでした。
では、この『Two in Black Belt』と間違えそうな作品はあったかというと、そのようなタイトルは見つかりませんでした。
ただ、ずっとどこかで観た記憶があったんで、いろいろ探したところこの画像が出てきたんです。
これは、ジャッキーとジェットリーが出ていてインパクトがあったんで覚えてたんですが、ジャッキーが72年に端役で関わった『唐人客』(英題:The Brutal Boxer)とジェットリーのたぶん『少林寺』?の2本セットで「Black Belt Theatre」というレーベル?(シリーズ?)のもので、他にも功夫系の作品をだしているようです。
いや、ひょっとすると英語圏発祥のこの2本セットの「Black Belt」から原題を探ったところ「Two in Black Belt(黑帶恨)」が見つかって、それをサイトに載せて広まった・・・てな感じかもな~なんて思ったりしました。
まぁ『唐人客』自体、ジャッキー作品としてはマイナーなほうなので何とも言えませんが・・・。
袁和平(ユエン・ウーピン)と袁祥仁(ユエン・チョンヤン)
ちょっと話がそれたので戻しますが、次はご存知、袁和平(ユエン・ウーピン)と袁祥仁(ユエン・チョンヤン)について。
袁和平(ユエン・ウーピン)は1945年生まれ。『酔拳』の師匠袁小田(ユエン・シャオティエン)の長男で、袁祥仁の兄。
『酔拳』の監督、そしていまやハリウッドのアクション映画にもかかせない武術指導家として有名ですね。
自伝「僕はジャッキーチェン」では、吳思遠にジャッキーのレンタルを提案したのが袁和平ということになっていて、中国戯劇学院の先輩だったがジャッキーが学院に入るころには既に卒業していて、「彼のブラザーで、何年か前僕が仕事をした映画のスタント・コーディネーターだった人を通して会い、友達になった」と書かれています。はたしてこのブラザーは誰だったかはわかりませんが、袁和平が学院出身なのは本当みたいで、そのころの名は「元慶」だったみたいです。
ジャッキーとは『酔拳』以降は、『ツインドラゴン』と『ドラゴンキングダム』ぐらいしか接点が見つかりませんが、それ以前は『蕩寇灘』、『石破天驚』、『除霸』というすべて富國系での武術指導作品にジャッキーが参加しています。
実は、富國系以外の作品で絡んだ形跡が見つからず、他の作品にジャッキーが出演していた可能性はゼロでは無いにせよ低いかもしれません。なのでここでは袁和平の作品リストは検証せず、富國系作品の検証時に合わせて考えたいと思います。
次は弟の袁祥仁(ユエン・チョンヤン)ですが、インパクトのあるお顔のせいか、個人的には武術指導家としてよりは演者としてのほうが目立っている気がします。
でも実際は、かなりの作品の武術指導をこなし、『マトリックス』も袁和平と共同、『チャーリーズ・エンジェル』なんかでも武術指導をしていたみたいですね。
ジャッキーとの関わりですが、初期においては袁和平よりも関わりは深く、さきほどの富國系3作品のほかに、大地影業での『頂天立地』、『女警察』の武術指導(『女警察』はジャッキーと共同)も担当しています。
しかし、ここでもそれ以外の作品でのカラミは見つかっていないため、他の作品にジャッキーが関与していた可能性はあまり高くはなさそうです。
ところで、兄の袁和平は中国戯劇学院卒業生のようですが、袁祥仁は違ったんでしょうかね。
富國影業公司
今のところ、ジャッキーチェンが関与した作品としては『蕩寇灘』、『石破天驚』、『除霸』の3つが確認されています。
私の”にわか”知識では、この会社は、ほとんどの作品で監製をつとめる朱煥然という人がつくった会社で、立ち上げにはあの吳思遠も関わっていたらしいです。あと、帝國影業というのも関係会社のようです。
下の表が、朱煥然が関わっている、もしくは富國系の作品一覧です。今回は製作時期は調べていません。(台湾作品が多いので公開時期すら不明なものが多いです)
創業作の『蕩寇灘』が吳思遠のおかげもあって、大ヒット。次の『硬漢』もそこそこ。3作目(公開)の『餓虎狂龍』がまた吳思遠監督でヒットします。しかし、その立役者である吳思遠や看板スターたちも徐々に去っていき、興行成績もどん詰まりとなっていったようです。
タイトル | 公開日 | 製作会社 | 監督 | 武術指導 | 香港興収(HK$) | 備考 | 成龍 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
蕩寇灘 | 1972-05-17 製作は1972年2月頃 | 富國影業 | 吳思遠 | 袁和平、袁祥仁 | 1,731,484(総合 12位) | – | ◎ |
硬漢 | 1972-10-19 | 富國影業 | 江洪 | 袁和平 | 807,286(総合 51位) | 元奎、火星出演 | △ |
餓虎狂龍 | 1972-12-06 | 富國影業 | 吳思遠 | 梁小龍、金銘、李家鼎 | 1,248,293(総合 16位) | – | – |
石破天驚 | 1973-05-23 製作は1972年9月頃 | 富國影業 | 方龍驤 | 袁和平、袁祥仁 | 439,052(総合105位) | 元華、火星出演 | ◎ |
除霸 | 1973年? 製作は1972年9月頃 | 帝國影業 | 朱煥然、吳宇森(副) | 袁和平、袁祥仁 | 不明 | 元華出演 | ◎ |
賊王 | 1973-09-22 | 帝國影業 | 葉榮祖 | 袁祥仁、元華 | 373,252(総合124位) | 元奎、元彪出演 | △ |
師兄出馬 | 1973-11-29 | 帝國影業 | 江義雄 | 梁少松、梁小龍、李家鼎 | 269,544(総合168位) | 元華出演 | – |
黑色星期五 | 1973年? | 不明 | 文石凌 | — | 不明 | – | – |
猛漢 | 1973年? | 不明 | 黃源盛 | 李超、黃梅、周潤堅 | 不明 | – | – |
狼狽為奸 | 1974-05-22 | 富國影業 | 午馬 | 袁和平 | 156,149(総合226位) | 元奎、元彪出演 | △ |
蛇妖精 | 1974年? | 不明 | 余積廉 | 袁振洋、元彬、元奎 | 不明 | 元奎出演 | △ |
國術十段 | 1974年? | 帝國影業 | 陳誌華 | 元奎、袁振洋 | 不明 | – | △ |
醒龍伏虎 | 1974年? | 不明 | 朱煥然 | — | 不明 | – | – |
人魚戀 | 不明 | 帝國影業 | 葉榮祖 | — | 不明 | – | – |
ジャッキーの関与について、この表だけ見ると、非常にクサイ作品は多いんですよね。製作時期が判明すればもっと絞りこめると思うのですが、『國術十段』あたりで実は陳誌華と仕事してたりすると面白いんですが。
ただ、製作時期が73年以降だと、ちょっと厳しいかな~。単純に条件だけでいうと『硬漢』なんかは関わっていても全然不思議じゃないんですけどね。
ところで、ジャッキーがここと関わったのはやはり袁和平か袁祥仁がキーマンだったんでしょうかね。わかっている範囲ではこの『蕩寇灘』が袁家や吳思遠との初仕事だと思います。(共演は除く)
ジャッキーは目立った活躍はしていませんが、袁兄弟、吳思遠、吳宇森、(もしかしたら陳誌華も)と、後のジャッキーに深く関わる人物たちと多く絡んでいるのも興味深いですね。
ただ、吳宇森と絡んだのは富國系では『除霸』のみで、この時点でジャッキーと親交があったかどうかは微妙です。
陸正行の開發集圑
72年から73年頃のジャッキーにとって深く関わりのある陸正行グループですが、現時点では5作品の関わりが判明しています。(『廣東小老虎』は推測)
その当時の新聞には頻繁に陸正行の開發集圑の記事が載っていましたがわずか数年で消えてしまったようです。私は当時の香港映画界の諸事情に詳しくないのでちょっと不思議なのですが、ショウブラ、ゴールデンハーベストに続く第3の勢力として注目されていたみたいですが、話題性のわりに大きくヒットも飛ばしていないのが不思議でなりません。いったい陸正行とは何者だったのか・・・いまだ解けない謎だったりします。
わかっていることは、73年春の時点では、
- 陸正行自身が直轄する「開發電影公司」
- 羅馬の「羅馬電影公司」
- 朱牧の「大地影業公司」
- 靳蜀美(鮑學禮の奥さん)の「世界影業公司」
という4つの企業といくつかの独立プロで形成されていたようです。また、設立から2年の73年11月の時点で15作品がつくられたと新聞記事にありました。
この記事にはその15作品中14作品のタイトルが挙げられていて、さらに今後製作予定の作品も列挙されています。
しかし、『廣東小老虎』は無いんですよね~。その製作済みのあと1本のことなのか、それとも独立プロ系の作品は含まれていないのか、そもそも関係ないのか・・・
また、台湾系の作品も多いため情報が少ないのですが、開發系でわかっている作品の一覧になります。
タイトル | 公開日 | 製作会社 | 監督 | 武術指導 | 香港興収(HK$) | 備考 | 成龍 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
龍形八劍 | 1972-02-04 (台湾) | 香港威靈公司, 台灣開發公司 | 金聖恩 | 劉天龍 (即游天龍) | — | 別名: 龍虎大決鬥 製作:1972年2月以前 | – |
火戀 | 1972-02-23 | 香港第一影業機構 | 羅馬 | 陳少鵬 | 294,595 (173位) | 別名: 龍虎大決鬥 製作:1971年10月 | – |
女獨臂刀 | 1972-04-27 | 不明 | 金聖恩 | — | 118,050 (298位) | 製作:1972年4月以前 | – |
銅頭鐵臂 | 1972-08-03 | 香港開發電影公司 | 金聖恩 | 劉天龍 (即游天龍) | 235,023 (206位) | 製作:1972年8月以前 | △ |
黑名單 | 1972-11-02 | 香港開發電影公司 | 羅馬 | 梁少松 | 1,235,117 (17位) | 製作:1972年11月以前 | △ |
頂天立地 | 1973-01-12 | 大地影業公司 | 朱牧 | 袁祥仁 | 69,336 (323位) | 撮影・脚本:魏海峰 製作:1972年7月~8月 | ◎ |
女警察 | 1973-04-26 | 大地影業公司 | 朱牧 | 袁祥仁、成龍 | 287,493 (159位) | 撮影・脚本:魏海峰 製作:~1972年11月・12月~ | ◎ |
大徐害 | 1973-03-15 | 香港開發電影公司 | 羅馬 | 梁少松 | 671,901 (54位) | 製作:1973年3月以前 | △ |
滿州人 | 1973-06-28 (台湾) | 世界影業公司 | 靳蜀美、吳宇森(副) | 劉家榮、黃培基、成龍(副) | — | 製作:1973年1月~4月 | ◎ |
碼頭大決鬥 | 1973-10-04 (台湾) | 香港開發電影公司 | 黃達 | 成龍 | — | 助理指導:袁和平、元奎・元彪出演 ‘製作:~1973年6月 | ◎ |
廣東小老虎 | — | 香港順利影業 | 魏海峰 | 成龍、元奎 | — | 製作:1973年8月 | ◎ |
烏龍賊阿爸 | 1975年? | 香港開發電影公司 | 羅馬 | — | — | 元秋、米雪出演 製作:1973年11月 | – |
雙龍谷 | 1974-01-23 (台湾) | 香港開發電影公司 | 歐陽俊、邱戴安平/歐陽俊 (即蔡揚名), 邱剛建 | — | — | 製作:1973年11月以前 | – |
潮州拳王 | 1974-12-14 | 香港開發電影公司 | 徐增宏 | 方野、山怪、楊斯、解元 | 175,439 (219位) | 製作:1973年11月以前 | – |
逃獄犯 | 1977-09-21 | 香港開發電影、羅馬電影公司 | 羅馬、余積廉 | 劉家榮、黃培基 | — | 製作:1973年11月以前 | – |
晨星 | 1975-05-29 (台湾) | 香港開發電影公司 | 宋存壽, 焦姣 | — | — | 文芸作品 製作:1973年11月以前 | × |
黑人物 | 1975-12-05 | 羅馬電影公司 | 羅馬 | 劉家榮、黃培基 | 19,485 (307位) | 製作:1973年11月以前 | – |
大小兩條龍 | — | 不明 | — | — | — | 製作:1973年11月以前 | – |
殺手四五天 | — | 不明 | — | — | — | 製作:1973年11月 | – |
狼煙 | — | 不明 | — | — | — | 製作:1973年11月 | – |
第一個春天 | — | 不明 | — | — | — | 文芸作品 製作:1973年12月 | × |
鬼胎 | 1976-01-21 | 不明 | 羅馬 | — | 205,585 (170位) | — | – |
新潮紅樓夢 | — | 不明 | 邱剛健 | — | — | — | – |
七海蛟龍 | — | 不明 | — | — | — | — | – |
う~ん、あらためて見てもジャッキーが関わっていそうな可能性のある作品は少ないですね。時期的には1972年6月~73年8月頃の作品は関わっていてもおかしくはないんですけどね。
それにしても、一応参考までに香港での興行成績も載せたんですが、結構悲惨なものがあります。台湾系の作品が多いのでこれだけでは何とも言えませんが、ヒットといえるものは『黑名單』ぐらいのようです。
あと、ここでの重要人物としては魏海峰がいます。彼は、撮影監督として数多くの作品を担当しており、ジャッキーの『頂天立地』や『女警察』でも撮影を担当しています。また、この表にはありませんが同時期の『麒麟掌』でも撮影を担当していました。
そして、『廣東小老虎』では監督ということになっています。しかし、自伝の記述を頼りにするならば、作品は未完成で監督とプロデューサーが夜逃げしたとありますので、実際は魏海峰は撮影監督をしており、本来の監督(誰かは不明)がいなくなったため、後付けで監督としてクレジットされた可能性もあります。
また、余談ですがジャッキーと8年間交際していた女優の米雪(ミシェール・イム/Michelle Yim)と『女警察』で共演しています。きっとここから始まったんでしょうね。
未知なるジャッキー作品と残された謎
今まで見てきた関係人物のほかにも、マース(火星)あたりも要チェック人物ですね。ジャッキーたちの中国戯劇学院出身ではないにしろ、マースも北京戯劇研究学院という学校で京劇の訓練を受けていたそうで、ジャッキーとも同じ歳、体格も似ているということで、端役時代も数多くの作品で一緒になっています。
『ヤングマスター』以降、成家班として本格的に共に活動を始めますが、このころの2人の関係ってどうだったんでしょうかね。ちょっと気になります。
今回、触れていない作品として、まず『香港過客』があります。同名の作品が72年公開のショウ・ブラザーズ作品として存在しますが、出演場面は確認されておらず、作風や関係者から考えても関与していない可能性もあります。ジャッキーが関わったジョン・ウーの『過客』のことではないか、とか、『廣東小老虎』の別題(もしくは初主演作)として『香港過客』と表記しているものもあったりと、いまだ解明されていません。ただ、ショウブラの『香港過客』が製作された71年3月の前後にジャッキー・チェンが出演する3本のショウブラザーズ作品が判明していることから、ジャッキーが関与していた可能性も十分あり得ます。
また、『死党(死黨)』という作品も80年頃の出版物に書かれていて、こちらはその存在自体が確認できていません。
実際、72年以降のある程度名前が売れたあとの作品に関しては、未知の作品はそう多くは無いような気がします。
1970~71年ごろのショウブラザーズ作品にはまだまだ未知の作品が埋まっていそうです。(死体役とか・・・)学院末期はおそらくそんなに仕事が無かったと思うので、ジャッキー曰く100本ぐらいの映画に端役やスタントで関わったというのは本当だとすれば、1971年~1972年前半の時期で、この頃に作られた(1年で30~40本つくられていた)ショウブラ作品すべてに絡んでいたとしてもおかしくはないかも。
また、75年あたりのサモハン助手作品に関して言えば、ついでに出演していなければ証明する手段すらありません。
次章ではサモハン助手時代についてもうちょっと掘り下げて見ながら、前編の総まとめをしてみたいと思います。
ユン・ワーについてですが、1952年生まれ説もあります。中国戯劇学院に入学したのは7歳前後のはずです。こちらの画像を見ても14歳以上には見えませんよね。
http://1861.img.pp.sohu.com.cn/images/blog/2008/7/9/23/10/11bae052a6cg213.jpg
ユン・ワーは14歳の時に母親が亡くなっています。(ちなみに母子家庭でした)おそらくその情報と入学時期の情報が錯綜しているのではないでしょうか。ユン・ワーのインタビューによりますと、自分が入学した時ジャッキーはまだいなかったと言っていたので、ユン・ワーの方が先輩で間違いないです。
情報ありがとうございます。
そうですね。あらためて調べてみたらやはり7歳で入学したみたいですね。
本文記事も訂正させて頂きます。
http://orientaldaily.on.cc/cnt/entertainment/20090619/photo/0619_00282_072b1.jpg
こちらの画像の後ろから二番目が袁祥仁です。
そう言われたらまさにですね(^-^)
サモハンと同時期に在籍してたんですね~。
もしかして一番後ろがウーピンでしょうか。
袁祥仁も中国戯劇学院の卒業生です。写真も残っています。
袁和平とともに1年ほど学院にいたみたいですね。
私も学院関係の写真はかなり収集しているつもりなんですが、
袁祥仁が写っているのか、いないのか判別できていません(^_^;)
徐松鶴や關正良らも在籍したことがあるみたいですね。