今回は、『蛇鶴八拳』をいよいよ攻略。多くの新聞記事に作品名が出てくる割にはハッキリとした製作時期がいまひとつつかめない謎多き作品であります。ここでは、1976年中頃から1978年3月の香港公開まで約2年近い長期間に渡ってジャッキーの動きを追ってみたいと思います。私自身も迷いながら書いてますのでいまひとつまとまってないと思いますがどうかご勘弁を。
※本記事では、ジャッキーの本作品でのあの独特の髪型をオカッパヘアーと記述しています。厳密に言うと違うのかもしれませんが、ご了承ください。(ボブカット?)
- 『蛇鶴八拳』に関する新聞記事【1976年編】
- 『蛇鶴八拳』に関する新聞記事【1977年編】
- 『蛇鶴八拳』の公開日
- 新聞記事と公開日からの撮影時期まとめ
- 『蛇鶴八拳』のロケ地検証
- 謎多き追加撮影
- 『蛇鶴八拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
- 『蛇鶴八拳』まとめ
- 商品情報
『蛇鶴八拳』に関する新聞記事【1976年編】
まずは、『蛇鶴八拳』に関する新聞記事を古いものから順に見て行き、後ほど他の要素と合わせて検証していこうと思います。
後編の第3章でもご紹介しましたが、76年の8月には羅維が古龍原作の『ファイナル・ドラゴン』、『成龍拳』と陳誌華監督の『蛇鶴八部』を含む4作品(もう1作品は汪平監督による現代劇らしいが不明)を一斉に製作スタートするという記事がありました。
- 新聞記事:1976年08月16日『工商日報』|羅維、ウィリーらと台湾へ、一斉に4作品を製作
- 新聞記事:1976年08月22日『華僑日報』|羅維、台湾で古龍原作の『風雨雙流星』と『剣花煙雨江南』、同時に陳誌華監督の『蛇鶴八部』
第3章で検証したように、『ファイナル・ドラゴン』は10月頃、『成龍拳』は12月に撮影開始となっており、すべて同時に開始されたわけでは無さそうです。
困ったことに次に関連記事が出てくるのが、11月1日のおそらく撮影中と思われる陳誌華の記事になります。
- 新聞記事:1976年11月01日『工商日報』|陳誌華、台湾で『蛇鶴八歩』撮影中
陳誌華はこの年公開され160万HKドルの興行成績を記録したヒット作『官人我要』の監督として注目されていたようで、羅維とは監督として3年契約を結んだようです。
具体的にいつから撮影が始まったかがわかりません。とりあえず8月から11月の間に撮影が開始された可能性があるということです。
このすぐ後の11月5日の記事では10日に公開される『少林寺木人拳』のPRに『蛇鶴八拳』で共演のノラ・ミャオが協力しているとあり、さらに公開日の10日の新聞ではジャッキーは台湾で『ファイナル・ドラゴン』撮影中で離れられず、香港に来ることが出来ないが、羅維とノラ・ミャオは香港に戻ってきています。
- 新聞記事:1976年11月11日『工商日報』|成龍、『ファイナル・ドラゴン』撮影中で来港出来ず
ここでは作品名は挙げられていませんが、ノラとの共演作が年内再開予定とありますので、これが『蛇鶴八拳』のことだと思われます。
当時売れっ子だったノラ・ミャオのおかげもあり、『蛇鶴八拳』の新聞記事は他の作品にくらべ多く重要な手掛かりとなります。このあと11月24日の記事ではノラは自身の主演作『絶不低頭』の撮影をしていますので、少なくとも11月は『蛇鶴八拳』の撮影には参加していないと思われます。
そして12月12日には『成龍拳』が台湾で撮影開始され、27日のノラ・ミャオに関する記事でも、羅維の韓国との合作映画で成龍と共演予定で近く韓国で撮影を行うと書かれていました。
さらに、すでに第3章でも紹介済みですが、12月30日の記事では、ローウェイ夫婦・ジャッキー・陳誌華が台湾から、ウィリーとノラ・ミャオは香港からそれぞれ1月15日に韓国へ向かい、羅維監督の2作品と陳誌華の『蛇鶴八歩』について、ソウルで寺院や平原のロケを行う計画とあります。
- 新聞記事:1976年12月30日『工商日報』|来年1月15日から韓国ロケ
『蛇鶴八拳』でノラが出演していない場面を撮影していた可能性もないとは言えませんが、他の作品との絡みなどを考えるとやはり11月から1月の韓国ロケ前までの間は撮影は行われていないと考えられると思います。
つまり、
1976年に『蛇鶴八拳』が撮影された可能性がある期間と場所は、8月中旬から11月の台湾で、ほぼ確実なのは10月末に羅維のケガで『ファイナル・ドラゴン』の撮影が中断されていた11月上旬の1週間ほどの間で、その時にノラ・ミャオが参加していたかどうかは不明。
と推測されます。
『蛇鶴八拳』に関する新聞記事【1977年編】
77年1月には、『成龍拳』とともに『蛇鶴八拳』のロケが韓国で行われました。作品中の雪地のシーンなどはすべてここで撮られたものだと思われます。
ノラ・ミャオが出演していないシーンも『蛇鶴八拳』には多数存在するので、イコール成龍の動きとはなりませんが、ノラは1月の末には香港へ戻り、再び『絶不低頭』の撮影に戻っています。
韓国ロケがどのくらい続いたのかここではわかりませんが、『成龍拳』の撮影時期は76年12月~77年3月中旬頃と考えられ、結構韓国でのシーンが多いことや韓国ロケでは『蛇鶴八拳』(『ファイナル・ドラゴン』も?)との並行ロケだったことを考えると、ノラが参加していたと思われる半月程度ではさすがにキツイかな~と思うのですがどうなんでしょう。1ヶ月くらいは滞在していたように思うのですが・・・。
そしておそらく韓国ロケ後は、ジャッキーはひとまず『成龍拳』に専念したのではと思います。
次に『蛇鶴八拳』の情報が出てくるのは、飛んで5月6日の記事。またもノラ・ミャオの記事からです。
- 新聞記事:1977年05月06日『工商日報』|ノラ・ミャオ、台湾で『蛇鶴八拳』撮影に参加
1月以降もノラの記事は多数存在しており、昨年から撮影している主演作『絶不低頭』のほかにも複数の作品に参加しています。ここでは、ようやく『絶不低頭』の撮影が完了して、今晩(5月6日)、台湾へ向かい『蛇鶴八拳』の撮影に参加、しかし16日には他の作品の撮影予定と相変わらず多忙のようです。
これで、すくなくても5月上旬~中旬は台湾で『蛇鶴八拳』の撮影が行われていたことになりますね。
また次の6月28日の新聞記事では、羅維プロでは現在『金鎖匙』と『蛇鶴八拳』を製作中で、これから3D作品『飛龍神拳』を製作予定、すでに完成している『成龍拳』はまもなく公開となっていますので、この時点ではまだ『蛇鶴八拳』は完成していないことになります。
- 新聞記事:1977年06月28日『華僑日報』|羅維プロの製作状況と今後の計画
この後、7月5日には『飛龍神拳』が正式に台湾で撮影開始され、前章でも書いたようにしばらくは『飛龍神拳』に専念していたようです。
そして次の記事は『飛龍神拳』撮影中の時期に掲載された新聞記事で、陳誌華監督の『鳥龍大侠』が台湾で7月20日に撮影開始というものです。
- 新聞記事:1977年07月14日『華僑日報』|『蛇鶴八拳』、『天中拳』下半期に完成予定
『鳥龍大侠』とはまさしく『カンニング・モンキー天中拳』(以下『天中拳』)のことで、韓国での公開タイトルともなっていますが、製作時期の『天中拳』の記事はこれしか見つかっていないと言う超貴重な記事になります。
実際に『天中拳』がこの時期から撮影開始されたかは別途検証するとして、『蛇鶴八拳』もやはりこれから完成させるという内容になっていると思います。
この後、18日には『飛龍神拳』の撮影はひと段落していたようなので、ほぼ計画通りに進んでいたということでしょう。
これ以降はしばらく記事がなくなり、11月になって再び記事になり始めます。
- 新聞記事:1977年11月06日『華僑日報』|ノラ・ミャオ、最近『蛇鶴八拳』完成
- 新聞記事:1977年11月07日『工商日報』|『蛇鶴八拳』プレ上映、呉思遠が成龍のレンタル要請
完成した『蛇鶴八拳』のプレ上映が1977年11月はじめに行われていたようです。
ここでちょっと興味深い記事がありました。プレ公開直後の記事で『蛇鶴八拳』は羅維のお気に入りのシナリオで、かなり多額の製作費を用いて作られたようです。
- 新聞記事:1977年11月16日『工商日報』|羅維、多額の製作費で『蛇鶴八拳』を製作
特に建築費に多くの予算を割いたようです。細かい訳はかなり不安なのですが、皆が住めるようなきちんとした家を造ったようで、台湾の山辺に造られたとか。家の前には水があり、脇には草花がありと書かれていますが、『成龍拳』で徐楓の家として使用され、『蛇鶴八拳』では隠れ家として使われていた滝の麓の家のことではないかと思われます。
『蛇鶴八拳』より
『蛇鶴八拳』より
『成龍拳』より
下は『成龍拳』での同一場所での1カットですが、「聖人瀑布」という場所に似てるかな~とも思ったんですが、どうでしょうか。違うかな?
『成龍拳』の1カット
現在の「聖人瀑布」の写真
そして、11月のプレ上映後、ジャッキーは1月26日まで『蛇拳』の製作を香港で行っています。
以上まとめると、
1977年に『蛇鶴八拳』が撮影された可能性がある期間と場所は、1月中旬から2月頃まで(ノラは1月末まで参加)韓国でのロケ、『成龍拳』完成後の3月下旬から6月末まで台湾(ノラは5月上旬から中旬まで参加)、『飛龍神拳』完成後の7月下旬からプレ公開直前の10月までおそらく台湾。
と推測されます。(あくまで可能性です。)
『蛇鶴八拳』の公開日
香港でのプレ上映が1977年11月上旬。
翌年の2月7日には韓国で公開。同じく2月に台湾でも公開されていたようです。
香港での本公開は1978年3月8日となっています。
ちなみに下は1978年2月6日と7日の韓国の新聞に掲載された広告です。
1枚目の広告はかろうじて成龍主演になってますが、あとの2つは悲しいことに完全にどこかに行っちゃってます(笑)。
また、興行の結果は同時期公開の『蛇拳』が270万HKドル稼いだにもかかわらず、本作品は66万HKドルで1978年の総合118位という結果に終わってしまいます。
新聞記事と公開日からの撮影時期まとめ
ちょっとごちゃごちゃしてきたので、一旦ここまでの情報をまとめて図にしてみました。
『蛇鶴八拳』のロケ地検証
ここでは少しでも手掛かりになるようなものを探るため、場面ごとの撮影場所を特定していきたいと思います。
まず冒頭の8人の長老たちの場面は、よく見かけるソウルの「宗廟」。
続いてジャッキーが釣りをしているところも冬の韓国ですね。
次の街中でのシーンやお店の中のシーンはおそらく台湾ではないかと。電影文化城っぽいです。
ノラ・ミャオとの初対面のシーンですが、ジャッキーの鼻に『成龍拳』の時に出来た傷らしきものが確認できます。その傷は1月の韓国ロケ時には無かったはずですので、このシーンは台湾での撮影じゃないかと思われます。
その後の屋敷のシーンで使われているのは『成龍拳』や『天中拳』でも使われている屋敷なんですが、韓国か台湾かが判別できません。
そして先ほども製作費のところで出てきた滝の家。台湾だと思われます。『ファイナル・ドラゴン』でも使われています。もしかしたら「聖人瀑布」という場所かもしれません。
このあと4人組と闘うシーンは韓国。
次も韓国で、ソウルの洪陵・裕陵です。この場所もこの頃のジャッキー映画によく出てきます。『成龍拳』での最後の闘いの場所ですね。
ジャッキーが戦闘のあと裏切られるシーンですが、韓国か台湾か判別が困難です。私の推測ではこのシーンでのジャッキーの顔と動きから、撮影期間の中でも後期の時期だと思われますので台湾ではないかと思っています。
屋外の茶屋のシーンは台湾。『成龍拳』でも同じ場所が使われています。
平原で金正蘭が殺されるシーンは、『ファイナル・ドラゴン』、『成龍拳』でも登場する2本の木が立っている場所(台湾)です。
そしてラストの闘いは台湾の平原になります。
謎多き追加撮影
ただでさえ撮影が長期に渡っていて時期が特定しにくい作品なのに、さらに混乱させるのが終盤の追加撮影部分です。
はじめはオカッパから始まって金剛と対決、しかし歯が立たない。
3人組が登場し金剛と交替して対決。この時も最初はオカッパだが・・・
途中からウェーブヘアーに。顔つきも精悍な感じになり、蛇鶴八拳を使いだす。
3人組を倒した後、再び金剛との対戦。蛇鶴八拳で打ち倒す。顔だけ見るとかなり後期(笑拳やヤンマスあたり)のジャッキーに見えてしまいます。
顔だけではなく、動きも数段良くなっているように感じます。また、ジャッキーの蛇鶴八拳はこの前の本編中に1度出てきますが、その時とは型が違っているようにも感じます。その後の『蛇拳』や『拳精』に通じるものを見ることができますね。
追加撮影に絡んでいるのは主要キャストでは3人組と金剛だけで、他の出演者のシーンは追加撮影前のものでしょう。つまりノラ・ミャオなんかは追加撮影には参加していない。そして、遠くから映したラストシーンでは全員集まっていることから、追加と言うよりは差し替えされた可能性が高いようです。
問題なのはその撮影時期ですが、5月にノラが撮影に参加していて、ノラの出演シーンではジャッキーはオカッパバージョンですので、その後と言うことになります。
本当は、11月のプレ上映後に追加撮影されて一部が差し替えられ、翌年2月に韓国、台湾で公開、3月に香港で本公開という流れが個人的にはしっくり来るのですが、そうなると『蛇拳』の後は数日しかなく、ジャッキーの髪の長さ(本物の髪だとして)も無理がありますので、可能性があるとすれば『蛇拳』前の11月ということになります。
しかし、次の画像によってその考えが打ち砕かれました・・・
これは「香港影畫」という雑誌の1977年8月号に掲載された記事らしいのです。これと全く同じ角度ではありませんが、下の画像のように3人組との戦闘中の1シーンで、ジャッキーがウェーブヘアーの時のものに違いありません。
この「香港影畫」という雑誌自体、私は持っていませんので確かなことは言えませんが、日本の雑誌なんかは8月号といえば1ヶ月ぐらい前に発売されますが、確か「銀色世界」だったか「嘉禾電影」か忘れましたがあちらの雑誌は8月号は8月1日発売だったような気がします。
そうだとすると、追加撮影の時期は7月18日頃に『飛龍神拳』の撮影が一段落してすぐに取り掛かったと考えられます。つまり、5月にノラ・ミャオが撮影に参加するころまではオカッパジャッキーでその後撮影は中断、そしてジャッキーがイメチェン、その後オーストラリアへ行き、戻って『飛龍神拳』を撮影後に『蛇鶴八拳』の撮影を再開という流れになります。
また、再撮影は『天中拳』とともに『笑拳』のあたりに行われたという説もネット上にはあるみたいですが、さすがに『笑拳』の時には羅維はジャッキーをコントロールすることは出来なくなってますし、その根拠の一つとして言われている3人組が同一人物というのもどうやら間違いのようです。
下が『蛇鶴八拳』の3人組。左はおそらく茅敬順、中央が王圻生、右が彭剛。
そして下が『笑拳』の3人組。左は何興南、中央が王圻生、右が彭剛。
たしかに2名は同じ人物ですが、3人とも同じではありません、また、茅敬順は『成龍拳』と『飛龍神拳』に出演、彭剛は『拳精』、『天中拳』、『龍拳』なんかにも出演していますし、王圻生は『新精武門』や『成龍拳』に出演しています。この頃は監督やプロダクションが同じで出演者もかぶるというのは珍しいことではないので、『蛇鶴八拳』の再撮影が『笑拳』時に行われた根拠としてはちょっと厳しいと思います。
そもそも、78年3月までにすでに香港・台湾・韓国で公開されている作品の再撮影をその後に行うでしょうか。確かに日本ではまだ未公開ですが・・・。また、ジャッキーの髪の長さやスケジュールから考えても3月の香港公開以降に再撮影された可能性は限りなく低いと思われます。もしあるとすれば『蛇拳』終了後の78年2月から髪を伸ばして4月中頃から『拳精』の撮影が始まる直前が唯一可能性があると言えます。
ということで、やはり私はさきほどの77年7月再撮影説を押したいと思います。
『蛇鶴八拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
今度は、本編中のジャッキーの顔や髪型を中心に、ハッキリとわかっている撮影場所などの情報を加えて見てみたいと思います。(個人的な憶測も多々含んでいますので、参考程度にご覧ください。)
(A)初期顔-オカッパ-台湾-1976年11月頃
まずは1976年に『ファイナル・ドラゴン』と同時もしくは、羅維のケガで撮影が中断していた11月上旬ごろに台湾で撮影されたと思われるシーンから。
顔的には(B)の韓国撮影時とほぼ同じだと思われます。代表的なシーンとしては、ジャッキーが台湾の電影文化城と思われる場所で金正蘭と初めて出会うシーンや、滝の隠れ家で生き残った長老から八長老殺害時の話をジャッキーやノラたちが聞くシーンなんかはこの時期ではないかと思っています。
(B)初期顔-オカッパ-韓国-1977年1月頃
次は、1977年1月中旬に韓国へ行き『成龍拳』と同時期に撮影されたと思われるシーンです。
宗廟や洪陵・裕陵などわかりやすい場面や雪地での場面はこの時に撮影されたものだと思います。その場面が韓国だと特定できれば撮影時期は77年1月頃と言えるでしょう。
(C)後期顔【傷有り】-オカッパ-台湾-1977年4~5月頃?
本編のジャッキーをよく観察すると、鼻筋の左側に傷がある場面がかなりあります。ジャッキーは『成龍拳』撮影時に鼻をケガしたらしく、『成龍拳』本編でも数カット確認できます。(詳しくは第3章の『成龍拳』の項をご覧ください。)『成龍拳』が76年12月に撮影開始され、77年1月の韓国ロケ時にはまだ傷が見られないこと、また本編中に数カットしか見られないことから考えると、傷を負ったのは『成龍拳』撮影のかなり後期(77年3月)だと思われます。
そう考えると、これらのシーンは77年4月や5月頃に撮影されたシーンではないかと推測されます。
本編中のシーンで言うと、金正蘭とジャッキーが出会ったあとに店内で戦闘になるシーンや廃屋でノラ・ミャオと初めて出会い戦闘するシーン、2人の女性(劉雅英と王筠)と屋敷内で戦闘するシーン、金正蘭とノラ・ミャオがそれぞれ部屋でジャッキーを待っているシーン、ケガをしたジャッキーをノラ・ミャオが看病するシーンなどです。
(D)後期顔【傷無し】-オカッパ-台湾-1977年5~6月頃?
どうしても個人的にジャッキーのオカッパヘアーが生理的に受け付けないので見落とすところだったんですが、よく見ると髪型を無視すれば顔は追加撮影(再撮影)の時とかなり同じ感じの顔がちょくちょく見られます。
戦闘シーンの大半がこの頃の撮影ではないかと思っています。牢を逃げ出したジャッキーと武德山が出くわす岩場での戦闘シーンや平原で金正蘭が殺されてしまう戦闘シーン、そして最後の3人組や金剛との戦闘の追加撮影シーン以外の場面などがこの時期の撮影シーンだと思います。
それにしても、ジャッキーのオカッパ髪。とっても残念でなりません。(『天中拳』も)
アレクサンダー・フーシェン(傅聲)の影響なんでしょうか。羅維の指示なのかジャッキーの意思なのかはわかりませんが・・・
(E)後期顔【傷無し】-ウェーブ-台湾-1977年7月頃
最後は、3人組との戦闘後半と金剛との2回戦でのウェーブヘアーの時。時期は77年7月頃と推定しています。
まだ残る疑問点とその他の手掛かり
撮影場所が韓国と断定できる(B)や傷がハッキリと確認できる(C)に関してはほぼ合っていると思うのですが、(A)と(D)に関してはジャッキーの顔ぐらいしか判断材料がないので少し不安が残ります。
また、ノラ・ミャオは77年1月の韓国ロケに参加しているはずなのですが、ノラ・ミャオが出演している韓国での撮影シーンが不明です。
ほぼ確実に台湾と思われるシーンとジャッキーの鼻に傷が確認できるシーンを除くと、残るのは武德山がはじめて登場するシーンや、ジャッキーの救出に佟林のもとに乗り込むシーンぐらいです。これが韓国のシーンなんでしょうか。
あと、うまく関連付けできなかった手掛かりがいくつかあるのでご紹介します。
まずは、『ファイナル・ドラゴン』、『成龍拳』と本作で出てくる2本の大木がある平原のシーン。
『成龍拳』は12月から3月の撮影で、このシーンはジャッキーが鼻に傷を負った直後のシーンと思われますので3月頃の状態だと思われます。葉の付き方を見ると、『ファイナル・ドラゴン』と『蛇鶴八拳』の時の状態は似ているように思われます。
次は、『成龍拳』と『蛇鶴八拳』で出てくる滝の家のシーンの比較です。
『成龍拳』でのシーンは花もあり緑も『蛇鶴八拳』よりは豊かに見えます。『成龍拳』は12月~3月の撮影と思われるので、3月頃の撮影なんでしょうか。一応、ジャッキーの顔から見た『蛇鶴八拳』のこのシーンの予測時期は11月頃じゃないかと思っていますが、さきほどのシーンも含め、どうも台湾の季節感というか草花の状態がよくわからないので確信が持てません。
その他は細かいことですが、『蛇鶴八拳』に出演している李文泰の鼻が赤い時期と赤くない時期があります。
ノラ・ミャオは左頬に吹出物がある時と無い時があります。また、眉間に傷も見えますがこれは目立つか目立たないかという差で全編に渡って存在する気がします。
ただ、どちらも有効な材料としては使えませんでした。
『蛇鶴八拳』まとめ
ここまでが私の限界です。スッキリしない部分もまだ多いのですが、私なりにまとめてみました。
原題 | 蛇鶴八步 蛇鶴秘拳(韓国) |
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邦題 | 蛇鶴八拳 |
初期タイトル | 蛇鶴八部 |
監督 | 陳誌華 |
武術指導 | 成龍/杜偉和 |
新聞記事 |
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ロケ地 |
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成龍の顔・髪 | 顔:二重瞼、多少丸いイメージの顔とシャープなイメージの顔 多くの場面で鼻に『成龍拳』撮影時に負傷したと思われる傷あり 髪:オカッパヘアー、ラストの戦闘は途中からウェーブヘアー |
撮影時期 (推定) | 1976年11月頃から何度も中断しつつ77年7月に完成(76年11月、77年1月・3月・5月・7月?) |
公開日 | 1977年11月上旬(香港プレ公開) 1978年2月7日(韓国) 1978年3月8日(香港本公開) |
興行成績 | HK$ 662,851(1978年香港総合ランキング118位) |
※以下のストーリーは私個人の想像を多く含みます。
羅維は『少林寺木人拳』撮影後(76年7・8月頃)、かねてから指示していたジャッキーの目の手術を実行させる。
76年8月頃には、羅維プロの製作プロジェクトとして、羅維監督で『ファイナル・ドラゴン』・『成龍拳』、陳誌華監督で『蛇鶴八拳』が計画される。
9月には『ファイナル・ドラゴン』・『成龍拳』の主演として王羽やノラ・ミャオらが予定されていたが、王羽が裁判などの問題で台湾を離れられなくなり状況が変わっていく。
まずは王羽主演で『ファイナル・ドラゴン』の撮影を開始、ジャッキーも主演ではないが準主演級の出演となり、羅維のもう1本の新作『成龍拳』の主演をジャッキーがやることに。ノラ・ミャオはスケジュールの都合で『成龍拳』ではなく、『蛇鶴八拳』の方に出演することに。
羅維監督作品を優先した結果、陳誌華の『蛇鶴八拳』は後回しとなり、76年の撮影は10月末に羅維のケガにより『ファイナル・ドラゴン』の撮影が中断された1週間程度に留まる。
翌77年1月には韓国ロケが行われ、『成龍拳』と『蛇鶴八拳』の撮影が同時に行われる。
韓国から戻ったジャッキーは『成龍拳』の撮影に専念。3月には撮影が終了するが、終了間際に鼻を負傷する。
その後、ようやく『蛇鶴八拳』の撮影を再開するが、ノラ・ミャオのスケジュールの都合もあり、一時中断、ふたたび5月にはクライマックスを含むアクションシーン中心に撮影が行われる。
また、その頃羅維は4月に公開された3D映画「空飛ぶ十字剣」を見て急遽3D作品の製作を企画、5月末から『飛龍神拳』の製作準備を進める。
『蛇鶴八拳』の撮影はまた中断され、ジャッキーは7月上旬に両親のいるオーストラリアへ1週間滞在した後、台湾で『飛龍神拳』の撮影に駆り出される。
3D作品ということで製作費がかかる『飛龍神拳』の撮影は最優先で行われ、2週間ほどの短期集中で撮影がほぼ終了。7月下旬にようやく『蛇鶴八拳』の最後の撮影に取り掛かり完成。
う~ん、やっぱり最後の再撮影の部分がスッキリしません。ここまで撮影が断片的になることなんてありえるんでしょうかね。そもそも、今まで最後の戦闘シーンは一旦完成したが、追加もしくは再撮影されたという前提で考えてきましたが、ではなぜこの短期間で追加撮影することになったのかがわかりません。新聞記事を見る限りでは、完成した後に追加または再撮影ではなく、ずっと未完のまま最後の撮影を迎えているようなので何らかの理由で撮影が中断されただけかもしれません。
『蛇拳』などのヒット後に、内容にテコ入れしたのであれば理由としては説得力があるようにも思えますが、前述したように公開日やジャッキーの髪の長さ、78年のスケジュール、77年8月の雑誌記事などを考えるとやはり無理があります。
ひとまず『蛇鶴八拳』については、ここで検証を終了し、次回はもっとも情報量の少ない『天中拳』は飛ばして、『龍拳』『拳精』『酔拳』の3作品を見て行く予定です。
商品情報
はじめまして。
昨年の秋頃このサイトを発見して虜になってしまいました!
僕は特にロー・ウェイ時代の作品に愛着があり、「蛇鶴八拳」「天中拳」とかの製作時期の謎を早くから推理したりしていたのです。
でも巷のジャッキーのファンサイトとか覗いてもその辺に関心のある風には見えず、そういうことに疑問に感じてたりするのは僕だけかなぁと思っていたところだったんです。
本当に記事を見つけ読ませて頂いた時には興奮しました!
そして長年の謎を解いてくださり本当にありがとうございます!
自分が推理していた部分と一致してるところがいくつかありそれも嬉しかったです!
これからもマニアックな探求をお願いします。
本当にありがとうございました!
junktionさんはじめまして。
こちらこそ来ていただいて感謝です!
この時期の作品に関しては映像を観る限り、
結構、え?と思う部分を感じる人は多いと思いますよ。
だって顔が作品によってあまりに違いすぎるもんで。。。
ただ、私もそうだったのですが、あの自伝の影響も大きかったのでは、
と思います。
あれはあれで話の流れ的にはスムーズだったので。
各種フィルモグラフィーもあの自伝に追随してますしね。
現在、フィルモグラフィーのために個別作品をUPしているところなので、
突っ込んだ検証記事はまだしばらく先になるかと思いますが、
また来てください♪