ジャッキー・チェンが『バトルクリーク・ブロー』、『キャノンボール』に続いて出演したハリウッド作品。監督・脚本は『エクスタミネーター』で知られるのジェームズ・グリッケンハウス。
この作品でハリウッドに再チャレンジしたジャッキーだったが、アメリカでは100万ドルすら稼げず、成功は得られなかった。
本作品が公開された1985年には香港でジャッキー出演映画が5本も公開されているが、本作品だけは興行成績トップ10にランクインできず13位という結果に終わっている。
『プロテクター』の動画集
この作品のサントラ動画は、プロテクター(1985)サントラ をご覧ください。
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『プロテクター』の作品詳細
基本情報/スタッフ&キャストなど
製作年 | 1984年 |
---|---|
公開情報 | 香港:1985-07-11/日本:1985-06-15 アメリカ:1985-08-23 |
時間 | 91分 |
興行成績 | 香港:HK$ 13,917,612 年間ランキング13位 日本:約12億円 全米:981,817$ 年間ランキング152位 |
製作会社 | 嘉禾電影有限公司(ゴールデンハーベスト)/ワーナー・ブラザーズ |
製作 | 何冠昌(レナード・ホー) |
監督 | 占士.格力堅荷斯(ジェームズ・グリッケンハウス) |
脚本 | 占士.格力堅荷斯(ジェームズ・グリッケンハウス)/鄧景生(エドワード・タン) |
武術指導 | 成家班 |
出演者 | 成龍(ジャッキー・チェン)/
丹尼愛華奴(ダニー・アイエロ)/
李賽鳳(ムーン・リー) 喬宏(ロイ・チャオ)/ 楊群(ヤン・チュン)/ 葉倩文(サリー・イップ) 比華禮士(ビル・ウォレス)/ 沈威/ 李海生(リー・ホイサン) VictorArnold/ 馮克安(フォン・ハックオン)/ 尹發 張華(チャン・ホァ)/ 尹相林/ 李發源 鐘榮/ 太保(タイ・ポー)/ 黃鑑波 PatrickJamesClarke/ JohnStudd |
PICK UP アーティスト
成龍(ジャッキー・チェン)
丹尼愛華奴(ダニー・アイエロ)
李賽鳳(ムーン・リー)
喬宏(ロイ・チャオ)
楊群(ヤン・チュン)
葉倩文(サリー・イップ)
比華禮士(ビル・ウォレス)
沈威
李海生(リー・ホイサン)
公開時の新聞広告
香港公開時の新聞広告です。(1985年7月)
興行成績ランキング
1985年の香港興行収入ランキングです。(外国語映画を含む総合ランキング)
各国タイトルリスト
漢題 | 威龍猛探(繁体字) 威龙猛探(簡体字) |
---|---|
邦題 | プロテクター |
英題 | The Protector |
西題 | El protector |
仏題 | Le Retour du Chinois |
独題 | Der Protektor |
希題 | Pyrinos exolothreftis |
あらすじ
ニューヨーク市警サウスブロンクス管区。刑事ビリー・ウォン(ジャッキー・チェン)にとって今日は特別な日だ。彼が香港からアメリカ合衆国に移民してきてちょうど十年目の記念日、相棒のマイクルと祝杯をあげるべくバーにくり出した。
ウォンがトイレに立った間に四人組のギャングが襲ってきた。凄まじい銃撃戦の末、ウォンは三人まで片づけたが一人が逃走、マイクルは死んだ。
クルーザーで逃げるギャングを追うウォン、救援のヘリからロープをたらしてもらいそのロープで空中に舞うと無人になったクルーザーはギャングの乗ったクルーザーと激突、二艘のクルーザーは大破炎上した。
署長の怒りをかったウォンはファッション・ショーの警備という冴えない仕事に回されたが、そこでスラム育ちのガローニ刑事(ダニー・アイエロ)と出会う。
ショーの主催者はローラ・シャピロ(ソーン・エリス)といい、実業界の大物の娘だがショーが始まると数人の覆面の男たちがショーの会場を襲いローラを誘拐した。
彼女が誘拐されたということで署長は青くなり、ビリーとガローニを香港に派遣した。しかしふたりを迎えた香港警察署長ホワイトヘッド(ロン・バラディ)は迷惑そうな表情を隠そうともしない。
おかまいなしに捜査を開始したビリーたちは情報屋の口から“ハロルド・コー”という名前を聞かされる。コー(ロイ・チャオ)は慈善家という表看板の陰で香港シンジケートのビッグボスと目されている男だ。
ローラの父親はかつてこのコーと取り引きがあり代金を全額支払っていなかったためにローラが誘拐され香港につれてこられたのだ。
造船所の内に作られた麻薬製造所をつきとめた二人は早速乗り込みローラを救出したが、ガローニがつかまってしまった。
ローラとガローニの人質交換に応じたウォンは香港警察に応援を依頼し、再度、造船所に乗り込んだ。だがそこで待っていたのはガローニを捕えたコーとローラを捕えていたホワイトヘッド署長だった。
署長こそ最大の裏切り者だったのだ。ウォンはコーの部下で空手の名手ガルッチ(ビル・ウォレス)を激闘の末倒した。やがて香港警察がかけつけてきて一味は捕えられた。
ニューヨークに帰ったウォンとガローニは香港とニューヨークの麻薬組織を壊滅した功績で市長から表彰されるのだった。
小ネタ
- アメリカではニューヨーク市がロケを全面協力。悪名高いサウスブロンクスのロケの時には「パンクス」と呼ばれる街のアウトローたちがビールだけ(といっても約405リットルの量)のギャラで友情出演した。
- 香港では王立香港警察がロケを全面協力し、数百人の警察隊が協力。クライマックスの武装ヘリのシーンでは3機のヘリコプターがクズ鉄同然の姿になってしまったらしい。
- 冒頭のクライマックスであるヘリコプターのシーンでは、4000フィートのフィルムが消費され、このシーンだけで50万ドル(約1億2000万円)もの製作費が投入された。
- 本作品が撮影されたのは84年であるが、81年の時点で既に企画されていた。
- ジャッキーはロケのために、1984年9月17日にニューヨークへ。約1カ月間の撮影の後、10月16日にロケ完了し香港へと戻り、ふたたび香港にて12月まで撮影をしている。
- 撮影中からジャッキーと監督のジェームズ・グリッケンハウスは特にアクション関係の演出について意見が食い違っていたようで、ワーナーとの協議の結果、アジアでの公開バージョンはジャッキーの自費による再撮影を行うことになった。現在では、国内で発売されているDVDによって両方の演出による違ったバージョンを見ることが可能。(12月発売ジャッキーDVD&BD購入レビュー(2)に関連記事があります。)
- 製作当時の新聞記事やロケ地などその他の情報は、ジャッキー映画製作年の謎【特別編-2章】84~85年-アイドル人気絶頂期をご覧ください。
評価一覧・レビュー
大手レビューサイトでどのような評価付けをされているかの一覧です。
サイト名 | 言語 | 評価イメージ | 評価点数 | /最大点数 |
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amazon.co.jp | 日本語 | 評価9 | 4.4/ | 5 |
goo映画 | 日本語 | 評価8 | 75/ | 100 |
Yahoo!映画 | 日本語 | 評価8 | 3.86/ | 5 |
みんなのシネマレビュー | 日本語 | 評価6 | 5.87/ | 10 |
ぴあ映画生活 | 日本語 | 評価7 | 74/ | 100 |
IMDB | 英語 | 評価5 | 5.1/ | 10 |
allmovie | 英語 | 評価5 | 2.5/ | 5 |
amazon.com | 英語 | 評価5 | 2.7/ | 5 |
Filmaffinity | スペイン語 | 評価5 | 4.9/ | 10 |
Daum | 韓国語 | 評価7 | 6.5/ | 10 |
豆瓣电影 | 中国語 | 評価6 | 6.1/ | 10 |
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パンフレット
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小ネタです
2014年11月26日発売のブルーレイ特典のメイキング映像で、『ダブル無しでヘリにぶら下がった~』という言い方をしていますが、実は違います。
ジャッキー本人は自分でやりたかったのですが、米国では規制が厳しい為に渋々ダブルを使ったそうです。
(保険料が莫大になる為でしょうか?)
当時の映画雑誌のインタビュー記事に書いてありました。
やはりハリウッド系の作品はその辺り厳しいんでしょうね。
そういう意味では今こそ安全対策万全なハリウッドで活躍して欲しいです。