せっかくなので、オマケの特別編として80年代のジャッキー作品についても、3回に分けてその製作時期の特定をしておこうと思います。
まず第1弾は『プロジェクトA』を製作しながらも、『ドラゴン特攻隊』、『五福星』、『キャノンボール2』に出演した1982年から83年の2年間のジャッキー・チェン作品の製作時期を見ていきます。
この時期、ジャッキーは羅維からの完全な解放と、私生活でも夫となり、父となった時期です。そんな環境から名作『プロジェクトA』が生まれることになります。
- ドラゴン特攻隊 /迷你特攻隊(1982)
- 五福星/奇謀妙計五福星(1983)
- キャノンボール2/Cannonball Run II(1983)
- プロジェクトA/A計劃(1983)
- 結婚、房祖名の誕生など祝ラッシュ
- 対象作品まとめ
- 商品情報
ドラゴン特攻隊 /迷你特攻隊(1982)
まずは、羅維との契約問題でジミー・ウォングに大きな借りを作ってしまったジャッキーが強制的に出演させられたとされる『ドラゴン特攻隊』から。
なぜかジミーさんが絡んでいる作品は情報が少ないものばかりなんですが、一般的には『プロジェクトA』撮影中に製作されたとされるこの作品ですが、具体的にいつ頃撮られたものなのでしょうか。
公開は82年に台湾で、83年2月13日に香港でと言われることが多いようですが、実際には台湾での公開が83年2月13日で、香港では公開されていないと言うのが正解のはずです。(年間総合20位の興行成績だったとのデータもあり)
この作品についての新聞記事は83年1月3日に見つかっています。、
監督の朱延平についての記事なんですが、まずこの監督は『紅粉兵團』という作品を作ります。この作品には『アマゾネス・コマンドー 美女脱獄囚:地獄のX作戦』という何ともC級臭たっぷりの邦題が付けられているのですが、82年7月3日に台湾で公開されるや興行成績上位を獲得し大ヒットしてしまいます。
それを受けて、同じようなメンバーを集めてジミー・ウォングやジャッキーを加えた『ドラゴン特攻隊』が製作されることになったのです。
ですので製作時期は、『紅粉兵團』公開後の8月頃から『ドラゴン特攻隊』公開の83年2月までの間ということになります。おそらく82年秋ということになるのではないでしょうか。
余談ではありますが、台湾の王晶(バリー・ウォン)とも言われる監督の朱延平は、この2作品以外にもブリジット・リンほかおなじみメンバーを集めて似たような作品をほかにも作っています。
まず『紅粉游俠』、これまた邦題が『セクシー・コマンド部隊/ピンク・フォース』とトホホなタイトルで、『紅粉兵團』の後の作品のように言われることが多いようですが、それよりも前の1982年5月9日に台湾で公開されているようです。
ほかにも、1983年に『四傻害羞』や『1938大驚奇』という作品もブリジット・リンほか同様の面子でつくられているようです。
まさにチーム朱延平。それにしてもブリジット・リンが不憫でなりませんなぁ・・・
五福星/奇謀妙計五福星(1983)
同じくこちらも、『プロジェクトA』製作中に撮られたと言われている作品で、83年2月に関連記事が見つかっています。
- 新聞記事:1983年02月08日『工商日報』|ユンピョウ『五福星』武術指導
- 新聞記事:1983年02月28日『工商日報』|『プロA』順調に撮影中『五福星』にカメオ
また、『五福星』パンフレットによれば、ユンピョウは『チャンピオン鷹』の撮影のため、ムーン・リーとともに1日だけのカメオ出演となったとあります。実際に、3月にはユンピョウが『チャンピオン鷹』撮影中の記事が複数見つかってますのでこれも事実のようです。
ユンピョウは『蜀山奇傅 天空の剣』のあと、『プロジェクトA』に出演、『五福星』では武術指導しながらカメオ出演、で『チャンピオン鷹』で主演とジャッキー顔負けの忙しさだったようですね。
ということで推測される撮影時期は83年2月~3月頃と思われます。その後、7月7日に香港で公開されています。
キャノンボール2/Cannonball Run II(1983)
こちらも『プロジェクトA』の撮影を一時中断して、83年に参加した作品。
83年の夏にアリゾナ州ツーソンへ3週間ロケに行ったとされており、パンフレットには現地へ取材に出かけたのが7月と記載されています。
昼間の気温は48.8度という炎天下で、スタッフ総勢1000人での撮影だったそうです。
また、日本公開前の1983年11月20日にはプロモーションで共演者のリチャード・キールとともに来日しています。
プロジェクトA/A計劃(1983)
撮影は1981年11月に開始されたとも言われているが、おそらくここではまだ準備段階だと思われる。この時期は『ドラゴンロード』撮影直後で、ジャッキーは12月まで編集作業を自ら行っている。また、『ドラゴンロード』でのセミロングヘアーから『プロジェクトA』で見られるショートヘアーに変えたのは82年の夏と言われているため、実際の撮影はそれ以降ではないかと推測されます。
また、その82年前半は香港の豪邸が完成、日本にも来日、林鳳嬌が頻繁に香港に来てジャッキーと逢っているという噂が立つなど、映画製作以外で話題にのぼることが多い時期でした。
その後、本格的に撮影がスタートされますが、82年末の段階では次の作品として『プロテクター』が予定されていたようです。結果的には、次の作品は『スパルタンX』となり、『プロテクター』の撮影はその後まで延期されるのですが、『プロテクター』の企画はもともと81年春頃から予定されており、完成まで実に4年近くかかったことになります。
ジャッキーはその長い撮影期間の中で、ジミー・ウォングに借りを返すため『ドラゴン特攻隊』に出演したり、サモハンの『五福星』や『キャノンボール2』にも出演しています。
余談ですが、83年には『キャノンボール』シリーズの監督であるハル・ニーダムが、ジャッキーとブリジット・リン共演による『TERRY AND THE PIRAPES』という作品を持ちこんだが、『プロジェクトA』の撮影を理由に断られています。ちょっと観たかったなー。
で、『プロジェクトA』は1983年の10月末に一旦完成するも、11月から黄曼凝(イザベラ・ウォン)などを加えて追加撮影を行っており、最終的には12月10日ごろに終わったと言われています。また、11月下旬には『キャノンボール2』のキャンペーンで来日もしています。
そして、それから2週間もたたない12月22日に香港で公開され大ヒットを記録します。
製作に要した期間は約2年間で、そのうち実際の撮影日数は197日間。使用したフィルムは20万フィートだったようです。
結婚、房祖名の誕生など祝ラッシュ
自伝「僕はジャッキー・チェン」には、奥さんの林鳳嬌(リン・フェンジャオ)との出会いから結婚までのいきさつについて書かれていますが、結婚は『プロジェクトA』撮影中の83年とあります。
その出会いについては81年アメリカから帰る途中に台湾に立ち寄った際、パーティーの席上で出会ったとあります。
出会いについては、1981年1月。ちょうど『ドラゴンロード』のロケ地を韓国から台湾に変更した時期と思われます。
結婚の時期については、82年の12月3日に房祖名(ジェイシー・チャン)が生まれる前日の82年12月2日というのが通説のようです。そして、ロサンゼルスでの挙式は翌83年ということになります。やはり房祖名の誕生が結婚の決め手になったということでしょうね。
このほか、『五福星』撮影中には、息子が3人だったサモハンに待望の娘(ステファニー・ハン:洪煦榆)が誕生。
そしてなんとユンピョウも83年6月に結婚。
と、このように1982年から83年の『プロジェクトA』製作期間は、ビッグ3全員にめでたいことが起こった時期だったようです。
対象作品まとめ
ようやく羅維との問題にケリがつき、心機一転再スタートを切ったこの時期、『プロジェクトA』の2年間という長期の製作期間も、実際には6カ月半ほどの撮影時間であり、その間に出演した作品もさほどハードなものではなかったことから、比較的余裕をもって撮影に臨んでいたのではと思われます。
そして羅維からの解放に加えて、林鳳嬌とのロマンスの後、夫となり父となりまさに人生の転機とも言えるこの時期は「第2のジャッキー」の幕開けとも言えます。
『ドラゴン特攻隊』や『醒拳』の公開など、多少羅維事件の余波はあったものの、途中出演した『五福星』も大ヒットするなど非常に良いメンタル状態で撮影に臨んだからこそ、いまだに「ジャッキー作品のベスト1」とも言われる作品が出来上がったのでしょうね。
また、この『プロジェクトA』製作中の2年間ですが、日本では8本の作品が劇場公開されています。途中9カ月ほど空白期間がありますが、この時期はテレビでジャッキー映画が盛んに放映されていた時期だと思います。余談ではありますが、私もこの時期にテレビでジャッキーを見て目覚め、『蛇鶴八拳』で初めて劇場でジャッキーを見ることになります。(もしかしたら『龍拳』とかの再上映の方が先かも)
それにしても香港のファンは『ドラゴンロード』から1年待たされた挙句に『ジャッキーチェンの醒拳』公開とは・・・当時のファンはこれを見てどう思ったんでしょうかね・・・。
それでは、ここで取り上げた4作品を一覧表にまとめてみます。
製作時期 | 初公開 | 邦題 (原題) | 製作会社 | 監督 | 香港興収HK$ (総合順位) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1982年秋 | 1983-02-13 [台湾] | ドラゴン特攻隊 (迷你特攻隊) | 香港正明影業 | 朱延平 | 香港未公開 (台湾では20位) | 王羽への恩返し的準主演 |
1983年2月~3月頃 | 1983-07-07 [香港] | 五福星 (奇謀妙計五福星) | 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 洪金寶 | 21,972,419 (2位) | 準主演 |
1983年7月 | 1983-12-17 [日本] | キャノンボール2 (Cannonball Run II) | Gハーベスト | ハル・ニーダム | 3,751,004 (62位) | 準主演 |
1982年1月(撮影は夏)~83年12月 | 1983-12-22 [香港] | プロジェクトA (A計劃) | 嘉峰電影 (発行)Gハーベスト | 成龍 | 19,323,824 (3位) | 主演 |
下記はこの頃の製作時期イメージ図になります。
商品情報
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