情報量が少ない『カンニング・モンキー天中拳』をひとまず後回しにして、ジャッキーの羅維時代も後半に突入。1978年に『蛇拳』でブレイクした後、『拳精』・『龍拳』・『酔拳』と立て続けに製作された時期のジャッキーの動きを探っていきます。
自伝の記述を確認
自伝「僕はジャッキーチェン」の今回の範囲を要約すると次のようになります。
羅維が企画した3D作品の、『飛龍神拳』のあともジャッキーと羅維の関係は悪化したままで、撮影中は直接口をきかず、撮影監督を通して演技指導をする状態になっていた。
次に羅維自身も脚本に携わったコメディ作品の『拳精』を撮影するも、配給先が決まらずお蔵入り。
続けて、一転してシリアス調の『龍拳』に主演するもこちらも配給が決まらず、ついに羅維プロの資金は底をついてしまう。
しかし、配給会社がジャッキーチェンの映画には手を出さないという苦境に陥ったジャッキーのもとに救世主が現れる。 独立プロで、若いタレントの起用に定評のある呉思遠(ウー・シーユェン)からジャッキーのレンタル要請があったのだ。
ジャッキーの顔も見たくなかった羅維はこれを承諾、ジャッキーは学院のビッグブラザーでもある袁和平(ユエン・ウーピン)監督のもと、『スネーキーモンキー蛇拳』を撮影、そして香港のみならずアジア全域で最大のヒットを飛ばす。
続けて同じスタッフで製作された『ドランクモンキー酔拳』は『蛇拳』以上の爆発的ヒットを飛ばし、一躍ジャッキーチェンはスーパースターの仲間入りを果たす。
羅維が映画1本につき3,000HKドルしか払わなかったのに対し、呉思遠はジャッキーに50,000HKドルの報酬を支払う。一気に富と名声を手にしたジャッキーは、どんどん有頂天になっていくのだった。
自伝では『拳精』『龍拳』が立て続けにお蔵入りとなり、羅維に見放されたジャッキーが呉思遠のもとに貸し出され、『蛇拳』『酔拳』で連続ヒットを記録しスーパースターの仲間入りを果たすというストーリーになっていますが、実際は『蛇拳』のあと、『拳精』『龍拳』『酔拳』がほぼ同時進行で製作されていたようです。
手掛かりとなる新聞記事
この時期は3作品の製作時期がかなり入り組んでいるため、まずは時系列で新聞記事を見て行き、そのあとで個別の作品ごとに検証を進めて行こうと思います。
『蛇拳』のヒットを受けてジャッキーの再レンタル計画【78年3月~4月上旬】
自伝では、『蛇拳』と『酔拳』の2作品が当初から予定されていたような記述がされていますが、実際は『蛇拳』のヒットを受けて2作目が計画されたように思います。
1978年3月8日の『蛇鶴八拳』公開時の記者会見の記事で、ジャッキーのレンタルに関する記事があり、自伝の記述と同じく6万HKドルという記述もあり、また15万HKドルという金額も書かれていました。今後貸し出す際には15万HKドルに金額が跳ね上がったということでしょうかね。
そして、3月31日の記事で、『蛇拳』の成功により呉思遠がユエン・ウーピン監督による類似の作品が計画していることが書かれています。
- 新聞記事:1978年03月31日『工商日報』|呉思遠がウーピン監督による類似作品を計画中
4月11日の時点でもまだ『酔拳』は計画段階で、呉思遠がジャッキーの再レンタルを希望している状態だと思われます。
- 新聞記事:1978年04月11日『工商日報』|呉思遠がジャッキーの再レンタルを希望
羅維と呉思遠の合作計画と『拳精』撮影開始【78年4月中旬】
1978年4月中旬には公開間近の『飛龍神拳』の記事や『拳精』についての新聞記事が掲載されるようになります。
- 新聞記事:1978年04月14日『華僑日報』|羅維と呉思遠の合作計画、『拳精』撮影開始
- 新聞記事:1978年04月16日『工商日報』|『拳精』撮影開始、『飛龍神拳』上映決定、羅維が成龍に新車プレゼント
- 新聞記事:1978年04月19日『工商日報』|羅維、成龍に新車プレゼント、成龍に女性の噂
4月14日から19日までの3つの記事に書かれていることを要約すると、
- 羅維がジャッキーの誕生日に新車のスポーツカーをプレゼント。(自伝では『笑拳』の成功を祝してと記述あり)
- 羅維と呉思遠が合作の協議。羅維側からはジャッキーが、呉思遠側からはユエン・ウーピンがそれぞれ借りだされ、5月に2本の新作を製作。
- 呉思遠が羅維から『飛龍神拳』で使用した3D映画用の機材を借りて3D作品を製作予定。
- 『飛龍神拳』の香港での上映がようやく決定。
- ジャッキーに女性の噂。この頃話題になっていたのは、徐杰(徐楓の妹?)や韓国女優の趙美來など。
- 新作『拳精』の撮影が4月15日に撮影開始。(台湾の林のロケから)
また、4月21日の記事によると、「成龍影迷天地」(おそらくファンクラブのことだと思う)が設立されたようです。
『拳精』撮影中に『酔拳』も撮影開始【78年4月下旬~5月】
4月22日の記事では、ジャッキーは4月27日の『飛龍神拳』公開に向けたプロモのため台湾から香港入り。今日か明日にでも『酔拳』(この時点では『蛇形』続集)の製作を開始となっています。
- 新聞記事:1978年04月22日『華僑日報』|近日中に「蛇拳續集」(酔拳)撮影開始予定
次の30日の記事では羅維がジャッキーのレンタルを渋っているようで(ちょっと訳に不安があります)、羅維と呉思遠の作品を同時に製作しながら、さらに6月には羅維の作品(『龍拳』のこと?)を製作予定のようです。この時にユエン・ウーピンが香港の新界で撮影中とありますが『酔拳』のことかどうかハッキリしません。次の5月1日の記事にあるように30日にはジャッキーは羅維とともに香港から台湾へと戻っています。
- 新聞記事:1978年04月30日『工商日報』|羅維が成龍のレンタルを拒否?
- 新聞記事:1978年05月01日『工商日報』|羅維と成龍、昨日香港から台湾に戻る
そして、5月30日には工商日報と華僑日報両誌に成龍の記事が掲載されています。
- 新聞記事:1978年05月30日『工商日報』|『拳精』と『酔拳』
- 新聞記事:1978年05月30日『華僑日報』|『拳精』と『酔拳』
要約すると、
- 羅維は成龍のレンタルについてようやく合意し、ずっと延期されていた『蛇拳』続集の撮影が出来ることに。
- 昨日(5月29日)に羅維とジャッキーが台湾から香港入り。
- しかし、6月8日にはふたたび台湾へ戻って羅維の『拳精』の撮影に入らなければならないため、時間が無く焦っている呉思遠は昨日ジャッキーが香港に戻ってくるのを空港で待っていて、すぐに『蛇拳』続集の撮影に入った。
- また、羅維とジャッキーは『拳精』撮影中にもめたようで、韓国でのロケが延期されたようである。
と、こんな感じでしょうか。『拳精』撮影中に、『酔拳』の撮影もはじまり、『拳精』の台湾と『酔拳』の香港を行ったり来たりしていたようです。
また、『拳精』撮影中の5月にジャッキーは羅維や田俊らとともに『百戰保山河』の撮影にも参加しています。(詳しくは別章で検証予定です。)
具体的な新聞記事はありませんが、6月8日に台湾へ戻って『拳精』の撮影を行う時に、当初の予定(4/30の記事)通りに『龍拳』の撮影も開始されていて台湾での場面を先に撮り始めていたと推測しています。(他に『龍拳』台湾撮影のタイミングが見当たらない)
ジャッキーの取り合い【78年7月】
その後1カ月間、手掛かりが無く、7月4日にようやく続報を発見できました。
- 新聞記事:1978年07月04日『工商日報』|羅維が約束の期限が来ても成龍を手放さず
どうも、羅維と呉思遠はその後もジャッキーの取り合いでモメていたみたいですね。上の記事を要約すると、
- ジャッキーは6月8日から20日間羅維の元で撮影し、呉思遠に再度貸し出される予定が25日たった今もまだ羅維が韓国でジャッキーを手放さない。
- 期限を守らない羅維はそのまま韓国でジャッキーに自分の次の作品(おそらく『龍拳』)に出演させ、今月(7月)15日にようやくジャッキーを手放す予定だ。
この時、ジャッキーは韓国で『拳精』の撮影を終了した後、続けて『龍拳』を撮影しているようです。で、次の記事は7月19日。
- 新聞記事:1978年07月19日『工商日報』|『拳精』撮影終了、『酔拳』撮影中
要約すると、
- ジャッキーは羅維のもとで、『拳精』の撮影終了後、続けて『唐山神拳(龍拳)』を撮っていたがようやく呉思遠の香港での『酔拳』撮影のため貸し出される。
- 7月26日には再び香港から韓国の羅維のもとに戻って撮影する予定だ。
おそらく先ほどの記事にあるように15日頃にようやく『酔拳』の撮影に戻れたジャッキーだったが26日にはまた羅維の元に戻らなければならないということでしょう。続いては25日の続報。
- 新聞記事:1978年07月25日『工商日報』|成龍、『酔拳』撮影中に瞼にケガ
要約すると、
- ジャッキーが香港の新界で『酔拳』撮影中に右瞼(まぶた)に全治10日のケガを負う。
- ケガを負っているため撮影は厳しいが予定通り26日には羅維の待つ韓国へジャッキーを戻さなければならない。
という感じでしょうか。そして7月最後の記事がこちら。
- 新聞記事:1978年07月28日『華僑日報』|成龍解放されず『酔拳』撮影出来ず
『酔拳』はジャッキーが解放されないので、撮影出来ず。羅維のもとでの韓国撮影が終了後にジャッキーを香港へ呼んで撮影をする予定ということでしょうか。
『酔拳』公開【78年9月】
これら3作品の撮影に関する記事はさきほどの7月以降は残念ながら見つかりませんでした。
『龍拳』の撮影がいつ終わったのかはわかりませんが、さきほどの記事を参考にすれば『龍拳』の撮影が終わった後に『酔拳』の撮影がふたたび行われたと考えられます。
その『酔拳』ですが、次の記事にあるようにはじめて公開されたのは78年の9月23日の台湾のようです。
- 新聞記事:1978年09月23日『工商日報』|蛇拳続集は「酔拳」に決定、完成直後に台湾で上映
上の記事では、長らく『蛇拳』続集として伝えられてきたものがはじめて『酔拳』というタイトルに決まり、撮影が終わって一昨日の晩に編集を終えたばかりだが急遽台湾での上映(9月23日)が決まったというようなことが書かれていると思います。
その後の記事では、どうやら『酔拳』の撮影はかなりの厳戒態勢で秘密主義で行われていたようです。
ここまでが3作品の撮影に関する記事になります。次項からはそれぞれの作品ごとにロケ地やジャッキーの顔などを検証していこうと思います。
拳精
監督ローウェイ、ジャッキーが武術指導を兼任。共演者はおなじみの田俊(ジェームス・ティエン)、石天(ディーン・セキ)など。
撮影は1978年の4月中旬の台湾からスタートして、途中何度か中断、そして6月頃(7月上旬の可能性もあり)に韓国で撮影終了しているようです。
また自伝中ではお蔵入りしたことになってますが、製作後、公開するまでの期間を考えると、実際はそうではなかったようですし、羅維プロの作品としては最大のヒット作となっています。よほどジャッキーの羅維に対する恨みが強いのか、自伝では散々な書かれ方をしている作品であります。
『拳精』のロケ地
まず最初に出てくるのは韓国の金山寺弥勒殿。
その後のタイトルバックも韓国の金山寺です。
武文秀が寺にやってきた時に入っていくのは韓国の佛國寺(画像は大雄殿)で、その他にも佛國寺の場面は多く出てきます。ちなみに佛國寺は韓国でも大変有名なお寺で世界遺産にも登録されています。
これは佛國寺の天王門。
これも佛國寺で青雲橋・白雲橋。
そして、ジャッキーが少林寺の僧たちと闘うシーンでは『少林寺木人拳』でも使われたと思われる台湾の行天宮。
田俊との最初の闘いのシーンは台湾(おそらく電影文化城)だと思われます。
ラストの戦闘シーンはふたたび佛國寺。無説殿です。
なんだか観光案内のようですね。お寺の内部のシーンは台湾と韓国のどちらで撮影されたかわかりません。たぶん台湾じゃないかとは思ってますが・・・。
時期的には台湾のシーンは4月~5月、韓国のシーンは6月に撮影されたものと思われます。
『拳精』でのジャッキーチェンの顔と髪型
さきほどの新聞記事検証を踏まえたうえで映像を見ると、やはり『酔拳』と同時撮影していたため同じような顔をところどころに確認できます。劇中の表情によって大分受けるイメージが違ってくるのであくまで推測ではありますが、台湾で撮影された部分を『拳精』前期とするならば、(1)おそらく前期の中でも初期のころだと思うが『酔拳』でも一部見られる垢抜けない髪が短いジャッキー、(2)顔の肌が荒れ気味(『酔拳』でも見られる、(3)場面によっては髪が内側に跳ね気味、というような特徴が見られます。
そして6月に始まったと思われる韓国でのロケ(『拳精』後期)では、そのすぐ後の『龍拳』と同じイメージの顔が確認できます。
『拳精』の公開情報
『拳精』でわかっている範囲での最も古い公開日は香港の1978年11月23日です。台湾での公開時期がわかっていませんのでもしかしたらそれよりも早くに公開されていた可能性はあります。
自伝では『龍拳』と同様にお蔵入りしたとありましたが、実際はそうでも無かったようです。羅維自体、ジャッキーを逃がさないように(おそらくこの後の契約問題でのゴタゴタはある程度予測出来ていたはず)、他の作品の撮影を連続で行っていて忙しかったでしょうし、『酔拳』の大ヒットを見て公開の時期を伺っていたのかもしれません。また別章でも検証予定ですが、ジャッキーの羅維プロで製作された作品の撮影終了から初公開までの期間は『飛龍神拳』を除いたほとんどが3~4カ月半後となっています。
そう考えると78年の6月頃に撮影が終了したと思われる本作品はお蔵入りとは言えないでしょう。というかそもそも『蛇拳』でヒットを飛ばした後に製作された作品なので、配給が決まらないと言うのもどうかと思いますが・・・。
韓国での公開は遅めで、1982年3月12日(日本では1980年)となっています。
興行成績は、『蛇拳』や『酔拳』には及ばないものの、240万HKドルを稼ぎ出し、年間の総合ランキングでは19位。私が調べた範囲ではこの後も含め羅維プロとしては最大のヒット作になっています。
『拳精』まとめ
『拳精』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 拳精 金剛血印(韓国) |
---|---|
邦題 | 拳精 |
初期タイトル | 拳精 |
監督 | 羅維 |
武術指導 | 成龍 |
新聞記事 |
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ロケ地 |
|
成龍の顔・髪 | 顔:『酔拳』でも見られる短髪で垢抜けない感じ(肌荒れ)と『龍拳』のイメージに近い肩ほどの髪で精悍な顔のイメージ |
撮影時期 (推定) | 1978年4月中頃~1978年6月(または7月上旬) ※途中、『百戰保山河』や『酔拳』で数度中断 |
公開日 | 1978年11月23日(香港) 1980年06月14日(日本) 1982年03月12日(韓国) |
興行成績 | HK$ 2,393,383(1978年香港総合ランキング19位) |
龍拳
『拳精』に引き続き羅維が監督した作品で、そのほとんどが韓国で撮影されている。武術指導はジャッキーが担当し、共演者には3作目の共演となる苗可秀やその後『笑拳』で共演する任世官など。
撮影開始の時期はハッキリとはわからないのですが、当初は6月に韓国で撮影されていた『拳精』終了後に続けて撮影が開始されたと思っていたのですが、4月の新聞記事で6月から『龍拳』と思われる作品を製作予定と書かれていることや、『拳精』終了後の7月以降は羅維が台湾で撮影していることが確認できないので、6月上旬に『酔拳』の一部を撮影後台湾に戻った時に、『拳精』と『龍拳』の台湾撮影部分を撮影、その後韓国へ行き『拳精』を完成させた後、続けて韓国で『龍拳』を撮影、と言う流れだと推測しています。
台湾で撮影された場面は少ないですが、数場面で確認できます。
『龍拳』のロケ地
オープニングでジャッキーの師匠が大会で優勝する場面は『少林寺木人拳』や『拳精』でも使われている台湾の行天宮だと思われます。
その後、任世官が乗り込んでくるシーンも台湾のような気がしますが場所は特定できませんでした。
東軒と書かれた屋敷や街中のシーンなど韓国の民俗村で多くの場面が撮影されています。
子供が殺されてしまう場面では、おなじみの韓国、洪陵・裕陵が使われています。
ほか、韓国の奉元寺でも撮影が行われていたようです。(大雄殿、冥府殿など)
『龍拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
表情は全編シリアスな作風のため、他の作品と比較しにくいのですが、顔の傷の状態から『龍拳』でのジャッキー顔を大きく3種類に分けました。まずは、通常顔から。アクションが無い場面や室内の場面が多い気がします。時期的には撮影の初期に当たると思われます。
ジャッキーが任世官のいる地へ上陸して徐沅らに絡まれるシーンや、その後再び絡まれ徐沅らと闘うシーンなどでは、7月末、『酔拳』撮影中負傷した右瞼がハッキリと確認できます。ですので、時期的には8月上旬もしくは中旬ぐらいだと思われます。
そして、高強のもとに薬を貰いに行く時や、子供が殺される洪陵・裕陵でのシ―ン、ラストの戦闘シーンなどでは右目下のアザ(鼻上や右頬下にも)が確認できます。時期的にはちょっと迷ったんですが、次章で検証する『醒拳』中に挿入されている韓国での『鬼手十八翻』と思われるシーンで同様のアザが、『酔拳』のラストシーンでも同じく確認できることから、『龍拳』撮影時期の最後期のものであると推測しました。時期的には8月中旬~下旬頃かなと思っています。
『龍拳』の公開情報
『龍拳』のもっとも早く公開されたのは1979年1月の台湾だと思われます。同時に『天中拳』と『笑拳』も公開されていたようですね。
- 新聞記事:1978年12月19日『工商日報』|台湾で「天中拳」「龍拳」「笑拳」公開
続いて韓国で79年3月3日に『唐山秘拳』のタイトルで公開されています。
韓国の広告にちょっとおもしろいものがあったのでご紹介します。俳優ランキングで、最初は韓国のものかと思ったのですが、韓国でのジャッキー人気はこの年の9月に『酔拳』が公開されてからのはず、ということは香港でのランキングなんでしょうかね?
十大男明星
1位-成龍(ジャッキー・チェン)-44027票
2位-秦漢(チン・ハン)-43568票
3位-秦祥林(チャールズ・チン)-41377票
4位-狄龍(ティロン)-40085票
5位-傅聲(アレクサンダー・フーシェン)-38137票
6位-鍾鎮濤(ケニー・ビー)-36108票
7位-劉永(トニー・リュウ)-32094票
8位-洪金寶(サモハン・キンポー)-25179票
9位-王羽(ジミー・ウォング)-22058票
10位-梁修身(リャン・シウシェン)-19375票
香港では少し遅れて79年4月21日に公開されています。
興行結果は、前年の『拳精』の240万HKドルにも遠く及ばず、100万HKドルで総合ランキング81位と大きく低迷してしまいます。
『龍拳』まとめ
『龍拳』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 龍拳 神拳(台湾)/唐山神拳(韓国) |
---|---|
邦題 | 龍拳 |
初期タイトル | 唐山神拳 |
監督 | 羅維 |
武術指導 | 成龍 |
新聞記事 |
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ロケ地 |
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成龍の顔・髪 | 顔:場面により右瞼に傷、右眼下に痣など 髪:中くらいの長さ、ウェーブ |
撮影時期 (推定) | 1978年6月(もしくは7月)~8月頃 |
公開日 | 1979年1月(台湾)/1979年3月3日(韓国) 1979年4月21日(香港)/1982年2月20日(日本) |
興行成績 | HK$1,004,276(1979年香港総合ランキング81位) |
ドランク・モンキー酔拳
呉思遠のもとに2度目のレンタルが行われ、再度ユエン・ウーピン監督により製作された作品。
撮影は香港を中心にマカオなどでも行われ、『拳精』の撮影が台湾で開始されてから1週間ほどで本作品も撮影が開始されたと思われます。しかし、1週間ほどで『拳精』の撮影のため羅維に呼び戻され、再び5月末に撮影を再開できるも、10日ほどでまた羅維のもとに。その後も7月に10日ほどの撮影で中断、最終的に撮影が完了したのは台湾で公開される直前の9月だと推測されます。
羅維が自分の作品を優先させたため、『酔拳』の製作はかなり難航したようですね。期間も4月~9月と長い割には実際に撮影に費やされた時間は1ヶ月ほどだったようです。この期間の台湾、香港、韓国の行ったり来たりを考えるとジャッキーが後にぼやいていたと言うのも納得できます。
『酔拳』のロケ地
製作時期の手掛かりとはならなそうなので、細かい検証は省略しますが、香港のほかマカオやもしかしたら台湾での撮影もあったかもしれません。
『酔拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
ずっと疑問に思っていた本作品中のジャッキーの顔の違いですが、検証によって製作期間や途切れ途切れの撮影がわかったためかなり解消されました。
『蛇拳』のジャッキーに近い感じのちょっと冴えない顔や髪型(もちろん劇中の表情にもよりますが)も見られます。おそらくこれらは撮影初期のものでしょうね。髪もちょっと短めです。
また、『拳精』の撮影初期と思われる映像と同じく顔に拭き出物が出来ている場面も確認できます。
そして『拳精』の撮影後半や『龍拳』の時のジャッキーに近いイメージの顔が多く見られます。
ジャッキーは『酔拳』撮影中の7月末に右瞼を負傷し、『龍拳』でもそれが確認できますが、『酔拳』中では確認が出来ませんでした。新聞に載るぐらいなので結構大きな傷だったのではないかと思います。しかし、その後『龍拳』撮影時に出来たと思われる右眼下の痣や口元の痣は、『酔拳』本編中の修行シーンやラストのアクションシーンの時に見ることができます。この2つの傷(痣)が78年8月以降のジャッキーの動きを探る上で大きなヒントになりました。
『酔拳』の公開情報
『酔拳』は完成直後と思われる78年9月23日に台湾で公開されているようです。そして、その後10月5日に香港公開されています。
翌年の7月21日に日本で、韓国では79年9月29日に公開されています。
興行結果は、『蛇拳』の興行収入を倍以上も上回る670万HKドルを稼ぎメガヒットを記録。年間総合ランキングでも2位とそれまでのジャッキー映画で最大のヒット作となります。
『酔拳』まとめ
『酔拳』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 醉拳 |
---|---|
邦題 | 酔拳 |
初期タイトル | 蛇形刁手續集、 蛇形刁手下集 |
監督 | 袁和平 |
武術指導 | 徐蝦/袁和平 |
新聞記事 |
|
ロケ地 | 香港、マカオ、(台湾?) |
成龍の顔・髪 | 顔:場面によって肌荒れ、右眼下や口元に痣 髪:場面により短めと長めのウェーブ |
撮影時期 (推定) | 1978年4月下旬~9月頃(実際の撮影期間は1ヶ月ほど) |
公開日 | 1978年9月23日(台湾)/1978年10月5日(香港) 1979年7月21日(日本)/1979年9月29日(韓国) |
興行成績 | HK$6,763,793(1978年香港総合ランキング2位) |
今回の対象作品まとめ
今回検証した3作品の製作時期をまとめるとこのようになりました。
商品情報
1つ聞きたい事があるのですが、この当時のジャッキー映画のロケ地が台湾や韓国ばかりなので何故でしょうか
教えてください
香港で撮影するよりもコストがかからないから、だと思います。
ちなみに羅維プロは台湾が拠点です。
また、韓国はコスト面のほかに、合作だと何かと有利のようで、ロケや現地俳優を使うと合作として公開できる、みたいな感じだと思いますよ。
余談ですが、日本ロケの香港映画が少ないのは撮影費用がバカ高いからのようです。
このサイト感動ものです。そして感謝です。
もう33年前ですか、ドランクモンキー酔拳を劇場で観てから、成龍ファンです。
今度のブルーレイ発売のニュースでこのサイトにたどり着きました。
あの傑作 酔拳がこんな劣悪な環境で撮影されていたとはユエン・ユーピンが天才なのかな。
それともゴ・シエンプロデューサーもすごいのか。
またローウエイ監督はひどいですね。
今後も楽しみにしてます。
水龍さんありがとうございます。
33年・・・そんなに経っていることが未だに実感できません(^_^;)
「酔拳」は、成龍、袁和平、呉思遠の3人による奇跡の作品かもしれませんね。
何よりも私は、呉思遠の功績だと思っています。
呉思遠が絡んでいる作品は安心して観れます。(当然例外もありますが)
でも、今思えば成龍の可能性に気付かず(最初は気付いてた?)、
成龍を貸し出した(貸し出してしまった)羅維の好アシストとも言えますね。
羅維は私も好きではありませんが、やはりこの人物がいなければ、
おそらく成龍の今は無かったはず・・・
そう考えると羅維は成龍の成功における最大のキーマンであり、
必要悪だったのでしょうね。
ご返信ありがとうございます。
今就寝前にまたこのサイトをみてます。
この情報収集力、考察にはただ、ただ感動です!!
もう一度 成龍のカンフー映画みたいですね、
できれば、袁和平監督で、(呉思遠はまだ現役なんでしょうか)
成龍作品は自分で監督していないほうが秀作に
なっていますよね。特にポリスストーリ3から
またおもしろくなってきたし。
とにかくこのサイトに出会えてうれしく思います!!
感謝!!
確かに、成龍は自分以外が監督した方が良いかもしれませんね。(時間もかかり過ぎるし・・・)
個人的にはスタンリー・トン、ベニー・チャン監督あたりが良いです。
袁和平は近年ではあまり監督はしていないようですね。
(ここ15年で、「酔拳 レジェンド・オブ・カンフー (2010)」1本のみ)
呉思遠は60代後半ですが、一線からは退いてるっぽいですね。
おそらく未だにシーゾナルの社長だとは思いますが。
関わった作品で最も新しいものは、2010年の「功夫詠春」で、
日本では未公開です。(出品者としてのクレジットですが)
新進の映画人が活躍するのも良いことですが、往年の名監督や
名プロデューサーにもまだまだ頑張ってもらいたいですね☆
初めまして!偶然たどり着いたのですがいや素晴らしいサイトですね!
とにかく成龍のことが大好きな人にはたまらない場所ですよね。
特に成龍映画製作年の謎については、今日の現代物作品より旧作品(いわゆる時代劇作品)
を主題歌付きのリアルタイムで見た者にとりましてはとても気になり、かつ探究心を
かられる作品群でしたのでこの考察は素晴らしい研究ですよ!恐れ入りました。
今後もたまにと言わず毎日訪問させていただきマス。
いつの日か成龍大好きな人たちの力で旧作品の劇場公開バージョンのブルーレイ化
が出来たらなんて思いを馳せております。
管理者さま頑張ってください!応援しております!
はじめまして☆
応援ありがとうございます。
旧作品の劇場公開版ブルーレイ化、良いですね。
主題歌のことなど考えると障害は多そうですが。。。
でも80年代の作品は今度劇場公開版がブルーレイ化されるようですね。
流れ的には良い傾向かもしれません。
遅かれ早かれ旧作品のブルーレイ化はあると思うので、
私も(ほんの少しですが)期待してます。。。
長い間更新できない状況が続いてますが、
ぜひまたお越しください☆
明けましておめでとうございます。
正月休みに「おお~!」と言いながら拝見させて
頂きました。膨大な情報量と世界中のポスターなど
ワクワクさせてもらいました!!
「レッドドラゴン」は画質が良いせいか、昔に見た印象
より良く感じました。しかし目を二重にしただけで、あんなに
ハンサムになるものでしょうか?(笑)
ジャッキーって本当に深イイですね。
気長に待っております(感謝)!!
すばらしい考察ですね!ちょうど「レッドドラゴン」を鑑賞したところだったので、
ジャッキーの顔の変遷が興味深かったです。この後の展開も期待しております。
ビッグムーンさん、あけましておめでとうございます。
「レッドドラゴン」とは渋いチョイスですね。
何度も観てる旧作も、その時のジャッキーの置かれている状況や、
心境なんかを考えて観るとまた違った楽しみ方が出来ますよね。
この後はどうか気長にお持ちください(笑)