1970年代のジャッキーチェン出演作の製作年を探る連載シリーズ第5回は、1973年、武術指導もこなすようになり徐々に知名度が増していったジャッキーチェンが、ついに『廣東小老虎』ではじめて主役の座を獲得するまでの動きを探っています。
自伝の記述を確認
※今回も、前々回と同じころのことなので省略します。
各作品を調査
四王一后
ショウブラザーズのイタリア合作映画ですが、いまのところジャッキーが出演している映像や画像は確認できていません。真偽は不明ですが、あえてこの作品をここに入れた理由は、
- 時期的には出演が可能。(同時期にショウブラザーズの『金瓶雙艷』に出演)
- 自伝「愛してポーポー」の中に作品名が具体的に挙げられている。但し、会社名は海峰公司と表記、『酔拳』パンフにも書かれており、もしかしたら魏海峰が関わっているかもしれない
- 書籍「ジャッキーチェン最強伝説」の中で出演作品として紹介されている。(「ジャッキーはコスプレしてません」、「ジャッキーはカラミ役で出演」と記述あり)
と、どれも決定打とはいえませんが、個人的には(2)と(3)の「最強伝説」の紹介が大きいかも。
ジャッキー出演ということで話を進めますが、本作品は武術指導が陳星で、イタリアでの公開が1973年11月(香港では74年9月)で、1973年5月に撮影中の記事が見つかっています。
ちなみに、本作品にはユンピョウも出ているようで、ほかにも『洋妓』や『巴黎殺手』など海外との合作映画や出演者に欧米人が出演している映画に多く出演していますね。やはり、海外帰りというのが効いているんでしょうか。
空手ヘラクレス/碼頭大決鬥
次の作品は、ジャッキーチェンが武術指導兼端役の『碼頭大決鬥』。製作がおなじみ陸正行の開發電影公司。
香港での公開はなかったみたいですが、台湾では1973年10月に公開されており、製作は6月には終わっていたようです。
- 新聞記事:1973年07月14日『華僑日報』|撮影終了後『碼頭風雲』に改題
「愛してポーポー」などに出てくる『碼頭龍虎鬥』とはおそらくこの作品の事と思われます。『碼頭龍虎鬥』という作品も存在(のちに『亡命浪子』と改題)しますが、そちらにはジャッキーは関係していないようです。
鐵漢柔情(過客)/カラテ愚連隊
続いても難問の作品。吳宇森(ジョン・ウー)の監督デビュー作で、1973年『過客』として製作されたが、過激な内容で上映禁止となり、その後日本では74年に『カラテ愚連隊』として、香港では75年9月に『鐵漢柔情』として再編集されゴールデンハーベスト作品として公開されたようです。
で、この作品に関する公開時期以前の新聞記事が全く見当たらないのです。
- 新聞記事:1975年08月19日『工商日報』|公開前の記事
監督の吳宇森はもちろん、出演者の于洋や胡錦の動きも追ってみましたが、力及ばず、製作時期特定の決定打を見つけるには至りませんでした。
一般的に言われている1973年製作というのは間違っていないのでしょうが、問題は何月ぐらいのことなのか。不確定ながらも、できるだけ絞って見ることにしました。
まず、吳宇森の動きとしては副監督をつとめた『滿州人』が73年の4月ぐらいまで撮影、次回作の『女子跆拳群英會』が翌74年の1月頃から撮影が始まってますので、空白期間は73年5月~12月。
また、「銀色世界」の1973年10月号と11月号に紹介記事があるようなので(未確認)、9月までには完成していたのではないかと思われます。
そして、主演の于洋(ユー・ヤン)の動きを追っていたときにちょっと気になる記事を発見。
- 新聞記事:1973年04月27日『工商日報』|于洋と富國影業の契約についてなど
まず、于洋は富國影業と契約を結び、『硬漢』、『蕩寇灘』、『除霸』、『石破天驚』といった作品に出演します。なかでも『蕩寇灘』の興行成績は年間で12位とヒットを記録しました。
富國影業との契約では月に3,000HK$という安い報酬ですが、他では1本につき50,000HK$出してもいいほどの水準になっていたようです。
そして、1973年の末にその契約が切れるとのことで、富國影業での出演は、73年後半に製作された『狼狽為奸』(公開は75年)が最後となります。
で、その気になる記事とは73年7月30日の華僑日報で、(おそらく)まだ契約期間中だが、独立系の某製作会社が于洋のレンタルを認められて新作を作っていると言う内容で、その新作の写真入りの記事がこちら、
新聞記事:1973年07月30日『華僑日報』|于洋のレンタル記事
どうでしょう、これは『過客』のことではないでしょうか!
いや、もうそう信じることにしました。
ということで、この作品の製作時期は7月前後(5月~9月の間)と推定します。
あと気になるのは、ジャッキーが武術指導を担当することになった経緯ですが、吳宇森とはこれまでに『除霸』と直前の『滿州人』で一緒に仕事をしています。もちろんその線もアリだとは思うのですが、もうひとつの接点があったようです。
それは、もともとの『過客』は吳宇森と王凱怡という人物が共同で監督をしていたらしく、この王凱怡は『頂天立地』や『女警察』の副監督だったようです。
おそらくそのどちらか(もしくは両方)が関係していると思われます。
タイガー・プロジェクト/廣東小老虎
さて、いよいよジャッキーチェン記念すべき初主演作品ですが、私の中では最も謎に満ちた作品であります。
現在わかっていることを箇条書きにしてみました。
- 公開情報で有力なものは無し。香港では未公開、台湾では公開(1984年?)している可能性あり。
- 製作会社の順利影業(スーン・リー・フィルム)という会社も誰の関係会社なのか不明。他の作品も見つからず。(台湾のデータベースには出品会社として宇宙機構有限公司の表記もあるがこちらも詳細不明)
- 自伝「愛してポーポー」などには『碼頭大決鬥』とともに咸霊公司製作となっているが、この会社もなんなのか不明。ただこの2作の関わりが深い可能性は高い。<br />似たような名前としては「威靈(威霊)公司」というのが存在しており、おそらく台湾の会社で陸正行が関係している。
- 出演経緯としては、監督の魏海峰が過去数回絡んでおり有力。魏海峰は依然として陸正行のグループで活動していたと思われるので、やはりこの作品も陸正行(開發グループ)系の可能性あり。
- 製作時期と言われている1973年6月頃から8月頃までの当時の新聞を調べたが、これに関わるような記事は一切見つからず。
- ジャッキーのお姉さん役で出演の舒佩佩はずっとショウブラザーズの女優として活動してきたが、73年の5月いっぱいで契約が満期となると3月の新聞記事に掲載あり。実際、舒佩佩はこの年で女優業から引退しており、ショウブラザーズ以外の作品で出演したのが唯一この、『廣東小老虎』。このことから製作時期は6月以降と推測。
- さらに、舒佩佩は8月末の時点で9月に日本へ行って、戻ったら舞台裏の仕事をするというような記事もあり。(上記と合わせ6月~8月と推測)
- 悪役の陳鴻烈は5月から7月ごろまで初監督作品の『沖天炮』を撮影。不可能ではないが、初監督作品との掛け持ちは無さそう。
- 別題として、ジャッキー作品としては定番の謎作品『香港過客』のタイトルが挙げられることがある。(この件は今回はスルーします)
と、いまひとつ決定打となるものがないのですが、舒佩佩と陳鴻烈の線から製作時期は1973年8月頃と推定しました。
いまのところ、一応『碼頭大決鬥』が5~6月、『過客』が7月、そして8月に本作品ということで考えています。
また、自伝の「監督とプロデューサーがこっそり姿を消したため」というのが、魏海峰や李浪觀もしくは梁春樹らのことなのかは定かではありませんが、以後彼らとの仕事はこれを機にしていないようです。また、陸正行との接点もここで途切れているようです。
そして、まさにこの頃ブルース・リーがこの世を去り、功夫映画が下火となっていきます。
【追記-2011/01/27】
先日、電影フリークスを運営されています醒龍さんより、下記記事の情報を頂きました。(感謝!!)
新聞記事:1973年08月14日『工商日報』|舒佩佩が『廣東小老虎』の撮影終了し、新作の撮影に。
これで、かなりスッキリしました~。
今回の対象作品まとめ
今回は、4作品をご紹介しました。非常にスッキリしないところが多いですが、まとめると一応こんな感じです。
製作時期 | 公開 | タイトル | 製作会社 | 監督 | 武術指導 | キーマン (推定) |
---|---|---|---|---|---|---|
~1973年5月~ | 1973-11-29 (イタリア) | 四王一后(※) | ショウブラザーズ | ビットー・アルベルティーニ | 陳星 | 不明 |
~1973年6月 | 1973-10-04 (台湾) | 空手ヘラクレス/碼頭大決鬥 | 香港開發電影 | 黃達 | 成龍 | 陸正行 |
(1973年5月)~ 9月~ | 1975-09-12 | 鐵漢柔情(過客)/カラテ愚連隊 | ゴールデンハーベスト | 吳宇森 | 成龍、陳全 | 吳宇森、王凱怡 |
~1973年8月 | 1974年台湾? | タイガー・プロジェクト/廣東小老虎 | 香港順利影業 | 魏海峰 | 成龍、元奎 | 魏海峰 |
※はジャッキーが関与していない可能性もあります。
商品情報
0 件のコメント
(この記事のコメントの RSS を購読する)