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ジャッキー映画製作年の謎【前編-最終章】前編まとめ

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ここでは、前編のまとめとして、学院を去り香港映画界で下積みから初主演、そして挫折を経験した1970年代前半、羅維時代直前までのジャッキーの動きを一気にまとめてみました。

ここでは、今まで前編で検証してきた内容を踏まえ、自伝の記述をベースに独自の解釈を加えた70年代前半のジャッキーストーリーをまとめています。

下積みからハイクラスのスタントマンへ

まずは、卒院間近の1969年から1972年の初の準主演作『頂天立地』直前までのジャッキーの動きをまとめます。

『1969年から72年前半までのジャッキー作品』の画像
[クリックで拡大]

1966~1968年(ジャッキー12~14歳)

サモハン・キンポーが中国戯劇学院を去ったころ、次第に京劇の観客は減っていき、ジャッキーチェンら学院の生徒の仕事も当時人気が増していたマーシャルアーツ映画のスタントやエキストラの仕事が多くなっていた。

1968~1970年(ジャッキー14~16歳)

数年、ショウブラザーズや他のスタジオでジュニアスタントマンとして働き、『荒江女俠』(ショウブラザーズ)や、当時ショウブラザーズから独立したレイモンド・チョウが設立したゴールデンハーベストの『鬼怒川』や『刀不留人』などにも端役で出演。しかし、大勢が映画界へ進出した結果、次第に競争が激しくなり仕事を獲得するのが難しくなってきていた。

1971年(ジャッキー17歳)

学院へ入って10年が経った1971年。17歳になったとき、入学時は60人ほどいた学院の生徒も17人に減っていた。そしてジャッキーは、将来に大きな不安と危機感を感じ、自ら学院を去ることを決意する。

父親から卒院後はオーストラリアで一緒に暮らそうと言われたジャッキーだったが、映画スタジオと2年の契約を結んだと嘘を言い、香港に残ることを選択した。その結果、父親からアパートを買ってもらう。

映画スターなんかになるつもりはなかったジャッキーは、学院で習ったことを生かして映画の武術指導者の仕事につくことが理想だった。

その後、当時有名な武術指導だった「徐二牛」のグループに入れてもらい、『金毛獅王』、『惡虎村』、『埋伏』などのショウブラザーズ作品にも参加。また、死体の役や群衆シーンのエキストラなどジュニアスタントマンとして下積みを重ね、しだいに認められるようになっていった。

しだいに一人前のスタントマンとして認められつつ、酒、タバコ、喧嘩、ギャンブルに明け暮れる日々を送っていたが、好景気は終わりを告げ、最もベテランのシニア・スタントマンでさえ仕事が無くなってきていた。

1971~1972年7月(ジャッキー17~18歳)

途方に暮れていたジャッキーは学院の先輩サモハン・キンポーと再会。1か月後には海外で挫折を経験し香港に戻ってきたユンピョウとも再会する。

そういった仲間たちと映画について熱く語り合い、共に数ヶ月を過ごす日々の中で、ユンピョウはジュニアスタントマンとして仕事をはじめ良い評判を取り始めていた。
サモハン自身もシニア・スタントマンからスタント・コーディネーターに出世し、ゴールデンハーベストと契約。そのサモハンの紹介でジャッキーはブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』やアンジェラ・マオの『合氣道』などにも参加させてもらいスタント分野ではトップとなり、ハイクラスのスタントマンの中でもベストに数えられるようにまでなっていた。

そしてそんなジャッキーのもとに初めての大役の話が舞い込んでくるのだった・・・(続く)

と、まとめるとこんな感じだと思います。

このあとの『頂天立地』から『廣東小老虎』まで、つまり1972年夏から73年の夏ぐらいまでは大変忙しく、その後は不況でオーストラリアを行ったり来たりしているので、よく自伝などで語られる100本ぐらいの映画に参加したというのが事実ならばきっとこの頃かもしれません。

この時期のショウブラザーズ、ゴールデンハーベスト作品でサモハンや他の学院メンバーが出演している作品や、徐二牛、徐松鶴の武術指導作品にジャッキーがスタントや端役で出ている可能性は大きいと思います。

大忙しのジャッキー、初主演と初武術指導

次は、1972年夏にはじめて大きな役を獲得した『頂天立地』のあと、武術指導もこなすようになっていたジャッキーが『廣東小老虎』で初主演を果たすまでの約1年間の動きをまとめています。

『1972年後半から73年のジャッキー作品』の画像[クリックで拡大]

1972年7月~1973年5月(ジャッキー18歳)

1972年のある日、スタント分野ではトップクラスになっていたジャッキーのもとに学院の先輩である元秋(林秀)から連絡があり、あるプロデューサーを紹介される。(朱牧か陸正行?)

これがきっかけで大地影業の『頂天立地』ではじめて大きい役をもらい、続けて袁和平と袁祥仁が武術指導の富國系の作品にも端役で出演。

さらに大地影業の2作目『女警察』では初めての武術指導も経験。その後も、李翰祥監督から声がかかり2本の映画に出演したり、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』などにもスタントで参加。

スタント以外にも武術指導の仕事をこなすようになったジャッキーの収入はグングン増えていった。

しかし、新聞にも注目の人物として度々取り上げられていたにもかかわらず、73年の1月に『頂天立地』、4月に『女警察』が公開されたが興行成績は悲惨なものだった。これにより大地影業は閉鎖され、ギャラも未払いとなる。

1973年5月(ジャッキー19歳)

大地影業での失敗にもめげず、端役での出演や武術指導のキャリアを積んだジャッキーは、ついに念願の初主演の座を『廣東小老虎(タイガー・プロジェクト)』で獲得、この作品では主演に加え元奎とともに武術指導も兼ねていた。

しかし、このころ香港映画界に激震が走る。ブルース・リーの死(1973年7月)である。そして初主演の『廣東小老虎』は結局、プロデューサーと監督が夜逃げ。映画は公開されず、ギャラも貰えなかった。

このころのジャッキーは酒を浴びるように飲み、無免許運転、スピード違反なども平気でするようになり、普通の遊びでは飽き足らずバクチにも手を出すようになっていった。

バクチで全財産をなくし、準主演作や主演作が失敗続きで失意のジャッキーのもとに、ある日父親からオーストラリア行きの航空券が入った手紙が届く。

そして当時19歳のジャッキーはオーストラリアで一生懸命、一から出直すことを誓い香港をあとにするのだった。

この1年はコンスタントに仕事が入り、おもに陸正行のグループでの仕事を中心に、李翰祥へのレンタル、富國系作品など主演級の作品が3本、武術指導が5本と順調にキャリアを積んでいたようです。

謎の空白期間、不毛の2年半

ジャッキーがオーストラリアと香港の間を行ったり来たりしていた約2年半の動きです。

『1973年後半から76年のジャッキー作品』の画像[クリックで拡大]

1974年(ジャッキー20歳)

1974年、9か月(または6ヶ月)ほどオーストラリアで左官の仕事をしていたジャッキーだったが、香港が恋しくなったジャッキーは父親にまだ映画の契約が残っているとウソをつき、香港へと戻ることに。

しかし香港に戻ったジャッキーに仕事のアテもなく、朱牧を頼って『花飛滿城春』と『拍案驚奇』という2本の作品に出演させてもらうが、アクションなしでベッドシーンを演じるなど不本意な作品だった。(『花飛滿城春』にはサモハンも出演しているので、朱牧ではなくすべてサモハンの線で出演した可能性もある)

そこでジャッキーは、気乗りしないながらもサモハンに連絡をする。

1975年(ジャッキー21歳)

サモハンの口利きでアンジェラ・マオ主演の『密宗聖手』や以前何度か仕事を共にしたことのある若手監督、吳宇森(ジョン・ウー)の『少林門』などに出演させてもらうが、ブルース・リーの死後香港映画界はアクション離れをおこし、サモハンのゴールデンハーベストも低予算でコメディー作品が増えていたため、次第に仕事を見つけることが難しくなっていた。

そんな中、しばらくはサモハンの下でアシスタントやスタント等の仕事で一生懸命働いたジャッキーだったが、サモハンから、再び両親のいるオーストラリアへ戻ったほうがいいと言われてしまう。

切符代すらなく途方に暮れるジャッキーのもとに初恋の人オー・チャンが現れ大金を貸してもらい、二度と香港には戻らないと決意し、オーストラリアへ再度旅立った。

再びオーストラリアへ着いたジャッキーは公立の学校で基礎英語のクラスに通うも退学し、建築現場と中華レストランの厨房の仕事を掛け持ちすることに。

1976年(ジャッキー22歳)

そんなジャッキーのもとに後にジャッキーのマネージャーとなるウィリー・チェンから連絡が入り、羅維(ロー・ウェイ)の新作映画の主役の話が舞い込む。

ジャッキーは両親に2年間での成功という条件付きで再び香港へ戻ることを許してもらい、ふたたび成功を夢見て香港へと戻るのだった。

まず、おそらく『廣東小老虎』が作られたであろう1973年の8月頃から、確実に出演が確認されている『花飛滿城春』まで、約1年ぐらいの期間が空いています。そして、その期間内にジャッキーが関与したかどうか疑わしい作品として『女子跆拳群英會』が1974年1月頃に撮影されています。

自伝での表記は「僕はジャッキー・チェン」が6カ月、「愛してポーポー」では9カ月間オーストラリアへ行っていたということになっていますが、実際はいつからいつまで、どのくらいの期間だったのでしょうか。そして疑惑の『女子跆拳群英會』にジャッキーは関与していたのでしょうか。

ここで、ちょっと面白い事を発見しましたので補足を。

サモハンの同時期の動きが手掛かりになるのではと調査したところ、ジャッキーの動きと見事にリンクしていたのです。(ジャッキー映画製作年の謎【前編-7章】~サモハンキンポー の記事にもっと詳しい一覧があります。)

『ジャッキーとサモハンの動き』の画像[クリックで拡大]

まず、間違いないと思われるところでは、まさに自伝の記述通り、『少林門』のあとは仕事が無くなり、サモハンも仕事にあぶれる。そしてジャッキーは再びオーストラリアへ戻ったということです。見事にこの時期、サモハンも端役出演すら見つかっていません。

問題は、最初にジャッキーがオーストラリアへ向かったのはいつで、香港に戻ったのはいつかということです。これは結局わかっていません。

『女子跆拳群英會』についても今のところジャッキーが関与している可能性は5分5分といったところですが、もしかしたら自伝「僕はジャッキーチェン」での、サモハンから紹介されるジョン・ウーの作品は『少林門』ではなく、この『女子跆拳群英會』だった可能性もあるかもしれません。(これまでにもジョン・ウー作品には関わっているので矛盾は残りますが・・・)

また、香港へ戻ったジャッキーがサモハンの助手として働いていたようですがクレジットとして確認できるものはありません。しかし、サモハンが武術指導の『密宗聖手』と『少林門』にはジャッキーも出演しており、これらの作品で助手をつとめていたことは濃厚ではないかと思います。

さらに、この時期のサモハン武術指導作品『艷窟神探』や『直搗黃龍』に携わっていたことも十分ありえますし、『花飛滿城春』の前の4作品についてもジャッキーが関わっていた可能性もあるのではないでしょうか。

あと「愛してポーポー」にはちょっと気になる記述もあります。
それは、『少林門』の時にゴールデンハーベストではじめて武術指導をやったというものです。

ひょっとしてこれは『女子跆拳群英會』だったりするのかもしれません。『過客』は結局ゴールデンハーベスト作品として配給されていますが、製作時は違いましたし・・・。

それにしても、サモハンの動きをみるとホントにこの時期厳しかったんだな~と感じますね。

最後に

実は羅維時代のジャッキー作品の順番決めをする程度の目的だったのが、ついついハマってしまって前編に時間を取られてしまいました。

でも、自伝ではさらっと語られていたこの時期にも色んなドラマがあったに違いありません。

まさにジャッキー16歳~21歳、青春ど真ん中の時代なわけです。

自伝では控え目に書かれていたと思いますが、相当にやんちゃでスタント仲間と滅茶苦茶やってたと思います。

自伝では語られていない、実際は誰も知ることは出来ないその頃のジャッキーの生活や心境をいろいろ想像すると、あれほどつまらない『頂天立地』や『女警察』などの作品も楽しく見れちゃうわけです。

皆さんそれぞれのジャッキーストーリーの少しでもお手伝いが出来たなら幸いです。

次回はいよいよ本題の羅維(ロー・ウェイ)時代のジャッキーに突入します。

カテゴリ: ジャッキーチェン研究室.

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3 件のコメント

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  1. 東方異人 says

    同感です。
    「知られざる時代」と言うものの方が、面白いと感じます。
    売れてしまって自分勝手にできると行き詰まり、出がらしになります。
    特にハリウッドへ行ってからのジャッキーは型に嵌って意外性がありません。
    それに比べると、あれこれ工夫をしている時代のほうが
    あとで振り返ると実験的で興味深いことをたくさんしているものです。

  2. tera-chan says

    前編は興味深く拝見しました。
    凄い。凄すぎます。
    後編も楽しみにしておりますが、どうか無理をなさらないように。(笑)

    • kungfufan says

      tera-chanさんありがとうございます。
      その言葉を励みに後編頑張ります!
      (やはりかなり苦戦してますが・・・)



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