今回は、ふたたび香港へ戻ってきたジャッキーが羅維のもとで「成龍」として再デビューを飾る1976年のジャッキーの動きを追ってみたいと思います。
自伝の記述を確認
自伝の今回の範囲を要約すると次のようになります。
オーストラリアで建築現場とレストランの厨房で働くジャッキーのもとに1本の電報が届く。
元キャセイの重役で現在は羅維(ロー・ウェイ)の新しい会社の総支配人であるウィリー・チェンからのものだった。
連絡を取ったジャッキーは、『ドラゴン怒りの鉄拳』の続編に誘われ、月3000HKドルという安い報酬ではあったが、香港映画界に未練のあったジャッキーはこれを引き受ける。
2週間後には撮影が始まると言われ、両親には2年で成功しなければ永久にオーストラリアへ戻ることを条件に香港へと戻ったジャッキー。
そして創立してから3週間にも満たない羅維プロへ向かい、羅維と奥さんの許麗華(スー・リーホワ)に出会う。
翌日から「スター見習い」がスタート。初めて俳優としての契約書に署名。
その契約内容は、8年間の独占契約、毎月400USドルの報酬と映画1本完成につきさらに400USドル、結婚も羅維の承諾が必要と決して好条件では無かったものの、当時としてはごく一般的な契約内容だった。
羅維はウィリーに歯の矯正、目を大きくする手術を指示、さらに新たな芸名として「成龍」と名付ける。
羅維のもとでの第1作目『レッド・ドラゴン』の撮影が始まったが、急遽スタント・コーディネーターが事故に遭い、ジャッキーが担当することに。武術指導のキャリアは高かったジャッキーは9000HKドル(俳優としてのギャラの3倍)の報酬を手にすることに。
新しいブルース・リーとして作られていく自分のイメージに違和感と不満を覚えるジャッキー。現場でも羅維の癇癪のせいで撮影は難航していたが、なんとか映画は完成。
しかし、1976年7月に公開された『レッドドラゴン』は興行的に羅維を満足させることはできず、激怒させてしまう。
『レッドドラゴン』の興行成績に嫌気がさした羅維は次回作『少林寺木人拳』の監督を若い陳誌華(チェン・シーホワ)に任せる。
羅維がいない間に、ジャッキーと陳誌華はいろんなアイデアを実験しながら映画作りを学んでいた。そして、映画作りとはこうあるべきだと思って作った最初の作品となったが、1976年11月に公開されたこの作品も興行成績は芳しくない結果に終わってしまった。
この頃までには、羅維がジャッキーに対する信頼を失い始めていたが、他のプロデューサーや俳優は「本当に動くことが出来るジャッキーチェン」に注目し始めていた。
レッド・ドラゴン 新・怒りの鉄拳/新精武門
手掛かりとなる当時の新聞記事
さて、羅維のもとでの1作目『レッド・ドラゴン』ですが、確認できたもっとも古い記事は、1976年3月1日の記事で、ノラ・ミャオやジャッキー(陳元龍)ら十数名が台湾へ『新精武門』の撮影に向かうという記事がありました。
この時点ではジャッキーは「成龍」ではなく、まだ「陳元龍」になってますね。このあとの4月の記事ではジャッキーについては全く触れられていません。実際に「成龍」と命名されたのは、それ以降(5月か6月)のようです。
上の記事でも『レッド・ドラゴン』の製作期間は1ヶ月ぐらいを予定していたようですが、実際に4月には試写が行われているようなのでほぼ予定通り撮影は終わったようです。
上の試写の記事では評価は悪くないみたいなことが書かれていると思うんですが、結果は余り芳しくなかったようです。(後述)
そういえば、この作品の武術指導のクレジットは韓英傑(ハン・インチェ)になってますが、自伝によるとスタントコーディネーターが事故でジャッキーが代わりにつとめたと書いてありました。実際はジャッキーが担当したが、作品の箔付けのために韓英傑の名前を利用したのかもしれませんね。
『レッド・ドラゴン』のロケ地
本作品に関してはあまり詳しくは見ていませんが、おそらく全編台湾での撮影だと思われます。
『レッド・ドラゴン』でのジャッキーチェンの顔と髪型
ジャッキーの顔はご存知一重瞼時代、この後の『少林寺木人拳』と比べてもちょっと濃いめの顔に見えます。薄らと髭が見えるせいでしょうか。髪型は若干長めの短髪でウェーブがかっています。
『レッド・ドラゴン』の公開情報
1976年7月8日に香港で公開されています。
羅維が激怒したとされる興行成績は、46万HKドルで1976年の総合100位という結果でした。
『レッド・ドラゴン』まとめ
『レッド・ドラゴン』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 新精武門 |
---|---|
邦題 | レッド・ドラゴン 新・怒りの鉄拳 |
監督 | 羅維 |
武術指導 | 韓英傑(/成龍) |
新聞記事 |
|
ロケ地 | 台湾 |
成龍の顔・髪 | 顔:一重瞼、少し髭が濃い 髪:ちょっと長めの短髪、軽くウェーブ |
撮影時期 (推定) | 1976年3月~4月 |
公開日 | 1976年7月8日(香港) |
興行成績 | HK$ 456,787(1976年香港総合ランキング100位) |
ジャッキーはいつ羅維のもとに?
「自伝」では、ジャッキーが羅維のオフィスへ始めて行ったのが、まだ会社が設立3週間とあります。
羅維が独立した明確な時期はわかりませんが、独立前の最後の監督作品は、ホラー作品『心魔』のようで、1975年1月1日に香港で公開されています。
で、その直後の1月11日の新聞でなにやら羅維とゴールデンハーベストがもめているような記事が載っていました。詳しくその経緯はわかりませんが、レイモンド・チョウとの対立が原因のようで、独立当初はゴールデンハーベストのライバル会社であるショウブラザーズと組んでいたようなので、間違いなく円満退社ではなさそうです。
そして、その年の7月30日には羅維影業の創業作品『金粉神仙手』が公開となっていますので、設立は1975年の前半ということに。
しかも、その時点で『小山東到香港』と『小姨懷春』という作品もすでに完成していたようなのです。ですので、少なくとも春先ごろにはすでに設立されていた可能性が高いと思います。
しかし、前編でも触れたようにジャッキーは1975年の夏に『少林門』出演後、オーストラリアへ帰っているはず。
また、ジャッキーが香港へ戻ったのは、『レッド・ドラゴン(新精武門)』の撮影(1976年3月)2週間前とあります。
ですので、「羅維の会社が設立3週間」というのは単純なミスか、羅維影業は台湾を中心に活動していたようなので、香港でのオフィスがまだ3週間だったのかもしれません。
少林寺木人拳
手掛かりとなる当時の新聞記事
総監督としてロー・ウェイがクレジットされているものの、実際は陳誌華(チェン・シーホワ)が担当した作品。
実際にいつから撮影が始まったかは定かではありませんが、1976年6月末に撮影中の記事が見つかっています。
- 新聞記事:1976年06月28日『工商日報』|成龍インタビュー、陳誌華の「少林寺木人椿」台湾撮影中
さきほどの『レッド・ドラゴン』の公開が7月8日ですので、それよりも前に本作品は撮影が始まっていたことになりますので、自伝での羅維が『レッド・ドラゴン』の興行成績に嫌気がさしたと言う記述はどうやら誤りのようです。
こちらも同時期の新聞記事で、『少林寺木人拳』撮影の記事と羅維が新しくドラゴンを作り出したというような内容の記事が載っています。
新聞記事:1976年06月26日『工商日報』|『少林寺木人椿』台湾で撮影中 [クリックで拡大]
本作品の香港公開は11月10日で、本作品に関する記事も多数見つかっています。羅維もおそらくかなりの力を注いでジャッキーを売り込みたかったんでしょうね。しかし、興行成績は47万HKドルで94位と、『新精武門』とそう変わらない結果に終わってしまいます。
ちなみに、95年にサモハンらと撮影されたジョン・ウー監督の『少林門』が『レッド・ドラゴン』公開の直後、7月15日に香港公開されています。新聞記事も見つかっていますが、ジャッキーについては触れられていませんので、ジャッキーの動きは関係なかったようです。
下は、『レッド・ドラゴン』公開直後のジャッキーに関する記事です。
新聞記事:1976年07月13日『工商日報』[クリックで拡大]
下は、ジャッキーチェンとノラミャオの写真で、ジャッキーはノラ・ミャオの弟的存在として姉弟のように取り上げられることが多かったようです。
ジャッキーとノラの2ショット
『少林寺木人拳』のロケ地
この作品もおそらく全編台湾ロケだと思われますが、この後の作品でもチラホラと見かけるシーンが多いので一部を紹介します。季節的には台湾の夏らしくジャッキーも暑そうです。
まず本作品での少林寺となっている寺院ですが、おそらく台湾の「行天宮」という寺院じゃないかと。台湾ではかなり人気の高い寺院らしいです。現在とは若干、柱の彫刻や屋根中央の装飾が異なりますが、今から30年以上も前なので多少の改装はあり得るのかなと。
洞窟に入る前のシーンや滝の上でジャッキーが修行しているシーンなどは有名な台湾の観光スポット「十分瀑布」。この滝はその後のジャッキー映画にもちょくちょく出てきますね。
青蓮堂という看板がかかっている白い建物の前で尼僧と蛇意八歩の修行するシーン。ここは『天中拳』でも使われてますが、場所名はわかりませんでした。
街中のシーンなどは「中國電影文化城」じゃないかと思います。
龍君兒が夜にさらわれるシーンは『ファイナル・ドラゴン』の最初の夜のシーンときっと同じ場所。2体の獅子像がある建物のところです。
金剛がもてなしてくれた一家を惨殺するシーンで使われている建物はおそらく『天中拳』でも使われているような気がします。
『少林寺木人拳』でのジャッキーチェンの顔と髪型
この作品でもジャッキーは一重瞼。全体的には『レッド・ドラゴン』にくらべ大分スッキリした印象です。髪はその頃よりも短め。下の画像よりもまだ短い感じの場面もあります。一番右の画像は最後の闘いのシーンですが、風の影響もあるのですが大分長くなっているように感じますし、この後の『成龍拳』や『蛇鶴八拳』のオカッパヘアーに通じるものを感じます。(このまま伸ばしてストレートにした感じ?)ところでジャッキーって実は天然パーマなんだろうか・・・。
ちなみに、顔はこの頃もその後も、場面や表情によって大きく印象が変わります。ですので中々判別しにくいのですが、歯や傷などは有力な手掛かりとなることも多いです。この頃のジャッキーの歯は前歯2本が不揃いなのと、前歯の右側に少し隙間があるのが特徴です。
『少林寺木人拳』の公開情報
1976年11月10日に香港で公開されています。下画像は公開時の新聞広告ですが、上(11月6日)は良いとしても下(11月10日)の広告では「成龍」の文字は一切なく、龍君兒と金剛が主演として書かれています・・・
下は1982年08月14日に韓国で公開された時の新聞広告です。
興行結果は、48万HKドルで1976年の総合94位という結果でした。
『少林寺木人拳』まとめ
『少林寺木人拳』に関する情報をまとめると以下のようになります。
原題 | 少林木人巷 少林木人房(韓国) |
---|---|
邦題 | 少林寺木人拳 |
初期タイトル | 少林寺木人椿 |
監督 | 羅維 執行導演:陳誌華 |
武術指導 | 成龍/金銘 |
新聞記事 |
|
ロケ地 | 台湾(行天宮、十分瀑布など) |
成龍の顔・髪 | 顔:一重瞼、『レッド・ドラゴン』よりスッキリ顔 髪:短髪、後半ちょっと長め |
撮影時期 (推定) | 1976年6月~7月頃 |
公開日 | 1976年11月10日(香港) |
興行成績 | HK$ 476,950(1976年香港総合ランキング94位) |
今回の対象作品まとめ
今回の2作品をまとめたのが下図になります。次回からは製作が同時進行のものなどが加わるためより複雑化していきます。
商品情報
ありがとうございます。
今は、愛犬を連れて帰る手続きを調べています。
こっちではホタルも見たし、毎年(今年が最後)必ずすぐそばの海水浴場まで泳ぎに行くのです。
日本では桜吹雪や雪を見せてあげたいです。
親バカですが、見てやってください。http://www.youtube.com/watch?v=_Sbj7xjqsJs
ところでジャッキー、アクションを引退するとかしないとか。
個人的にはアクション最長寿の世界記録を作って欲しいです。もうスタントはやめて、襲われたのを一瞬に
カンフーで撃退するとか、そういう路線でやればずーっとできると思います。
ジャッキーと言えば常人にない活力が売りですから、動かないジャッキーなんて見る気がしません。
東方異人様、本当に興味深いお仕事ですね。
沢山、沢山、祝福を送ります、贈ります。
私も困った時にはジャッキーの「笑拳」で鉄の爪が、
小僧、命は助けてやる、もうやめとけ!
助けてやるだと?まだ終わってない! それから、
「木人拳」のラストファイトで「いやーーーっ!」と
法愚に立ち向かう場面を思い出しては、
活力を貰っています。ジャッキーほぼ神。
私は杉並の隣の中野です。ネットでどこでもお話出来ます。
又お会いしましょう。
東方異人様に沢山良いことがありますように!
こんばんは。報告などいらないくらい、発展すればいいなと妄想してます。
妄想は発展の種。
http://book.360buy.com/10540461.html
貼り忘れました。現在の仕事です。どっぷり漬かった不労所得の怠け心が、厳しい日本で通用するか???
東方異人さんこんばんは。
なかなか興味深いお仕事をされてますね。
陰ながら応援致しますのでまた近況などお知らせください(^-^)
非常に個人的な話なのですが、一身上の都合によりそろそろ日本に戻らないといけなくなってきたのです。
この間本当につらかったのですが、それでも大きな収穫が二つ。
一つは、外語学習の根本的な方法を見つけたこと、もう一つはカンフーを通じて知った中国文化など。
前者は、「文字を使わない、絵記号で学ぶ中国語教室」後者は、「エアロビック・カンフー」となづけて、
地元杉並から輪を広げたいと言うのが、帰国後のビジョンなのです。
カンフー映画も大好きだし、中国と日本の架け橋になれるなら光栄なことです。
文字を使わない中国語は、赤ちゃんが覚えるように音と画像を結合させるだけです。知識や理解力は不要。
エアロビカンフーは、三種類六つのステップと六つの基本技だけ。
日本人は中国人より新しいものが好きなので、前からやってみたかったのです。運命の転機が訪れたので、
ちょうどいいかなと。
友人から「目指せデューク更家(このお方存じませんでしたが)!」と激励されたのでがんばりたいです。
できれば今の仕事(↓ URL)も続けたいですが、この先どうなるか???
実はこのポジション、ジャッキーじゃないけど10年の下積みの末やっとつかんだものなのでこのまま放置するのももったいないのです。私が、売れる前のジャッキーに思い入れがあるのも、そうした経験から。
いまだに立場弱くて好き勝手できないのだけど、もしかしてそこがいいのかなあなんて思ったりもします。
もし、もしこの輪が広がっていったら、ぜひ一緒に練習しましょう。
長々、失礼しました。
チューブをどうも有り難うございました。
私が見たのと同じでした。
何か、クンフーを習いたくなって来ました。
でも運動神経0に近いからね。
出きる人が羨ましい。
劉家輝ですね、色々な情報をどうも有難うございます。
「36房」は傑作で、劉さんにとても合っていますね。
10年位前には中華料理店がここで多かったのですが
だんだんなくなり、今は少し。日本料理店がぽちぽち
増えて来ました。でも経営者も料理人も中国人です。
ここ数年お鮨流行です。
ジャッキー流行にならないかな、
又、情報をお願いします。
いいえ、主題歌は元々英語なのですよ。
なぜか、カンフー映画の主題歌は日本で作り、英語で歌われると言う国際色豊かなつくり。
「木人拳」と「粋拳」「ドラゴン特攻隊」は日本語ですけど。
正直、日本人のセンスはかなりいいと思います。
あまり大声ではいえませんが、一部を除き中華料理も本場のは大しておいしくないです。
味付けが雑なんです。その上、骨ごとぶった切って細切れが口に刺さったりテーブルに吐き出したりするので
非常に下品です。まとまりがなく、見事と感じられない。
日本人は骨を取り除き、口に入れたものを再び出すと言う品のない行為をしないように工夫するのです。
味付けも丁寧。唯一つ難を言えば、中華色を強調しすぎてきつく感じるところか。
毎日食べる料理ではないため、お客さんに印象を深くするためだと思います。
まかないくらいの感じにすれば、ちょうどいいかな?と個人的には感じます。
「36房」の主題歌、英語版しか見つかりません。
恐らく日本語→英語に替えたのだと思いますが。
もっとよく探します。
「木人拳」は主題歌があって良し、なくても又良し、ですが
「拳精」はチャイナガールが必要不可欠です。
ないと間が抜けてしまう。
あ、それとジャッキーさん、声の質はハイバリトンですが声域が広く
バリトンとテノールでもあります。
声オタクのおばさんから。
情報ありがとう。それは楽しみです。
それに、チューブで見ると日本で製作した主題歌は傑作ぞろいで、世界的にも好評のようです。
なにせ、カンフーにはまったく興味のないうちの母も「カッコいい曲が多いわね」と言ってましたし。
「ドラゴン特攻隊」は、テンポも勢いも日本版の音楽が断然いいです。
日本主題歌版のカンフー映画が普及して欲しいですね。
昔の香港映画は音楽に難が・・・(それを味と取る方もいると思いますが)
今のハリウッド映画のように壮大なものじゃなくても、やっぱり大事ですよね。
ジャッキーも現地ではプロAあたりからテーマソング的なものを意識し始めたと思いますが、
ハリウッドで仕事をするようになってから改めてその重要性を感じたようですね。
私は年代的にも初期ジャッキー作品の日本版主題歌が強く印象に残っていますが、
他国の方や若い世代の方にも好評なのであれば大変うれしいです。
特別なところはそれほどないのだけど、まさにカンフー映画の王道を行く名作だと思います。
それから、日本公開版にはカッコいい主題歌が付属します。
検索すれば、チューブで聞けます。
ジャッキーの「龍拳」「拳精」などと同じに、これがあるのとないのとではちがいます。
そういえばジャッキーは「成龍拳」の主題歌が気に入り、アメリカで公開したときにわざわざ持参して
「ボクの映画はこの主題歌でこそカッコいいから、これ使ってちょ。」とリクエストしたそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=d_CcXOAtZoU
確かに王道。で、確かに名作ですね。
独自の路線を発展させたジャッキーにとって、王道が逆に珍しいかもしれませんね。
あと、日本版主題歌が収録されたBlu-rayがいよいよ発売されますね。
「成龍拳」も追々収録されそうです。
気に入っていただけてよかった。主演は、劉家輝と言う人です。
見ました、見ましたよ、「36房」 良かったです!
主人公の名前を知らないけれど僧衣が良く似合いますね。
僧衣で馬を駆る姿は何ともカッコいい。
鍛錬時間が長かったけれど飽きませんでした。
英語版でした。
野沢那智さんというとジュリアーノ・ジェンマやアラン・ドロンですか、
あまり憶えていません。私は石丸さんの声、好きです(^^)
ジャッキーさんの声は少しこもった柔らか味のあるバリトンですね。
ハイバリトン。
中国語は全体的に柔らかくて掴み処がない。
聞き取るのが難しいです。知らないせいかな。
石丸さんは声域が高くて若々しい。
「36房」気に入りました。
又、何かお好きなのを紹介して下さい。
ジャッキーは、台湾では普通語(北京語ベースの標準語)を、香港では広東語を話します。
華僑の少年がジャッキーにあこがれて探しに行くという映画があって、最後にジャッキー本人がゲスト出演する
映画がありますが、そこで彼は普通語を話しています。
個人的には、「拳精」なんかの広東語吹き替えのジャッキーの声が好きです。
石丸氏は、個人的には合わないです。ジャッキーが出さない素っ頓狂な声を出すから。
日本語吹き替えはもっとクールな、野沢那智さんみたいな声が個人的にはよかったです。
面白そうですね、水滸伝!三国志、西遊記、それに金瓶梅も楽しみに残しておきます。
村上知之さん、存じませんで青空文庫で探したけれどありませんでした。
酒中の仙の李太白には圧倒されます。杜甫もいい。
中国の学生さんをスパゲッティーで買収して夕食と交換で中国語を教わることにしたのですが 何分今時間がなくて、6月からかなあ。中国標準語のことを彼等はマンダリーノ(マンダリン)
と言っています。何語であっても中味は変わりませんものね。昔、日本語で読んだ本を
原語で読めるようになった時(エラそうに)、翻訳家に頭が下がりました。 その昔、今のように辞書も沢山なくPCもない時代に、適性と才能だけでは出きないでしょう。
ジャッキーさんが話す生の声を全部聞き取れて分かったらいいなあ、と。
それとジャッキーさんの映画はやはり広東語で解りたいです。無理かな?
愛情だけでもやはり出きませんものね。
間違えて観ちゃった、「南少林持36房」を。きれいな女の子が主人公でした、
中国語でした(ーー;) でも見つけましたよ、「少林持36房」
これから見てみます(^^♪
それでは又リメイクを楽しみにしています♪