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ジャッキー映画製作年の謎【後編-10章】成龍が関わった他の作品たち


『【第10章】成龍が関わった他の作品たち』の画像

ここでは、ジャッキーが羅維の元に身を寄せるようになった1976年から、新天地ゴールデンハーベストで再スタートを切り始めていた1980年代前半の間に、武術指導やカメオ出演などで少しだけ関わったと言われている作品に本当にジャッキーが関わったのか、そしてそれぞれの製作時期をまとめて検証していきたいと思います。

少林寺怒りの鉄拳/三德和尚與舂米六

『少林寺怒りの鉄拳/三德和尚與舂米六』の画像

まず1本目は、サモハン・キンポーの記念すべき初監督作品にして初主演作品でもあるゴールデンハーベスト作品。

1977年08月25日に香港で公開され、230万HKドルを稼ぎ年間総合13位となった作品であります。

自伝「僕はジャッキー・チェン」の巻末フィルモグラフィーで、ジャッキーはこの作品のアシスタント・スタント・コーディネーターとして雇われたと書かれています。クレジット上は武術指導としてサモハン・キンポーの名前があるだけです。

まず、製作開始時期ですが、下の2つの記事をご覧ください。

実際に撮影がスタートしたのは76年の10月のようです。そして・・・

翌77年の3月末の時点で撮影はほぼ終了している予定です。また、この作品は同じくサモハンが出演している『四大門派』(こちらはサモハンは武術指導と出演)とともに韓国ロケも行われていたようです。

では、当時のジャッキーの動きはというと、9月半ば頃から台湾で『ファイナル・ドラゴン』の撮影、『蛇鶴八拳』の撮影も少し入っていたと思われます。そして『ファイナル・ドラゴン』のあと、12月には『成龍拳』の撮影が入ります。翌1月には『成龍拳』と『蛇鶴八拳』の韓国ロケを行い3月には『成龍拳』が完成という流れだと思います。

当時のジャッキーはまだ売れる前なので、『ファイナル・ドラゴン』もそう出演場面は多くないため、時間は余っていたのかもしれません。また、何といっても自身の初監督作品と言うことでサモハンは相当気合いが入っていたのではないかと思われます。そのため、たとえばたまたま同じく韓国ロケをしていて、ちょっとだけ手伝ってくれよとなった可能性は十分考えられます。

ということで何とも判断材料に乏しく、憶測にすぎませんが、私はこの作品にはジャッキーは関わっていた(でもほんとに少しだけ)と思っています。

  • 公開:1977年08月25日(香港)
  • 製作時期:1976年10月~1977年03月
  • ジャッキーの関与:〇
  • ジャッキー関与時期:1977年01月の韓国ロケ時(推定)

『少林寺怒りの鉄拳/三德和尚與舂米六の製作時期(推定)』の画像

龍蛇俠影

『龍蛇俠影』の画像

次は、ジャッキーの盟友・陳誌華(チェン・シーホワ)監督作品で、徐楓(シュー・フォン)、岳華(ユエ・ホァ)、羅烈(ロー・リエ)の3大スターの共演作です。

この作品は、77年5月に台湾で、翌6月に香港で公開されています。

で、ジャッキーはこの作品に、覆面をした殺し屋役で登場しているとのことです。(海外盤DVDジャケット裏記載、映像未確認)どなたか確認できた方っていらっしゃいます?

まずは、製作時期を特定するため当時の新聞を捜索。すると早速それらしい記事を発見。

あまり訳に自信はありませんが、ジャッキーは『少林寺木人拳』のあとに、陳誌華、岳華、羅烈の作品にカメオ出演の依頼。しかし羅維がカメオ出演を許可しない?

というような内容でしょうか。この段階では『龍蛇俠影』という名前はでていませんが、間違いなく『龍蛇俠影』の事だと思われます。

ただ、この時点では羅維がダメ出しをしていたのでしょうか、もしかしたら本来はもう少し目立つ役どころで名前も客串としてクレジットする予定だったのが、羅維が許可しないためこっそりと出たとか? でも、結局それって何の意味があるのかな~。よくわかりません。

でも、これでジャッキーと『龍蛇俠影』が少なからず関わり合いがあることはハッキリしました。

ジャッキーとの関連が書かれていたのは上の記事だけでしたが、ほかにもこの作品に関しての記事が見つかっています。

その他の記事では徐楓(シュー・フォン)が『龍蛇俠影』の撮影後、6月に韓国へ行くと言う記事がありました。

とうことは台湾公開が5月13日ですので、結構ギリギリまで撮影が行われていたのでしょうかね。

また、余談ですが岳華(ユエ・ホァ)と羅烈(ロー・リエ)はこの作品でそれぞれ1日1万HKドルのギャラを貰っていたらしく、結局40日間撮影に参加したので、2人合わせて80万HKドルものギャラを手にしたと言われています。この頃『ファイナル・ドラゴン』でジャッキーが1万2千HKドル(武術指導兼)、ジミー・ウォングが5万HKドルだったことを考えるともの凄い金額ですね。

陳誌華が76年に2人が台湾に来ることを知ってキャスティングしたそうなのですが、76年に知ったということなのか、76年に来たのかが良く分からなかったのですが、徐楓の記事と40日間のギャラと言うことを考えると、製作はやはり77年の3・4月頃ということになるのかな~。

でもジャッキーはちょこっと顔出すだけかもしれないけど、陳誌華のスケジュールが問題になってくるんですよね。

本当は『少林寺木人拳』あとの3カ月間ぐらいが、陳誌華の手が空いている時期だと思うのですが・・・

どうしてもジャッキーの関わりが浅い作品だとこれ以上力が入らないので、一応下のようにまとめました。(手抜・・・)

  • 公開:1977年05月13日(台湾)
  • 製作時期:1977年03月~4月(推定)※76年の可能性もあり?
  • ジャッキーの関与:〇
  • ジャッキー関与時期:1977年03月~4月に台湾で(推定)

『龍蛇俠影の製作時期(推定)』の画像

舞拳/Dance of Death

『舞拳/Dance of Death』の画像

次なる作品は、同じく陳誌華(チェン・シーホワ)監督、茅瑛(アンジェラ・マオ)主演作品になります。ジャッキーチェンが武術指導をしたと言われています。

台湾での公開が1980年07月04日のようで、香港では公開されていないと思われます。

この作品に関しては、ジャッキーの関与は疑うべくもないのですが、製作時期に関しては諸説あるようで、ジャッキーの自伝や海外データベースサイトでは1976年説が有力だが、アクションの内容などから、『酔拳』のヒット後、もしくは『笑拳』の前後で1979年製作ではないかという意見もファンの間では根強いみたいです。

当時の新聞や他の作品との兼ね合いから推測すると、ジャッキーが参加(というか2日間だけ)したのは、1978年の12月後半ごろで作品自体が完成したのは1979年前半と思われます。

実は『舞拳』という作品名では書かれていないのですが、『女刀手(女刁手)』という作品名で記事に書かれています。

簡単にまとめると、

ジャッキーは羅維との契約の為他社の作品には出演できない。しかし、武術指導は別。羅維は納得していないようだが・・・。

昨年の話だが、ジャッキーは友人でもある陳誌華が監督する茅瑛主演の『女刀手』の撮影現場に現れ、2日間だけ武術指導をした。

この作品は実際には彭剛, 王恆, 孫祥, 趙興の4人が武術指導をしており、ジャッキーはこの2日間でオープニングの茅瑛の演舞などを担当したと思われます。

『『舞拳』武術指導中のジャッキー1』の画像

記事の掲載は省略しますが、このあとも1979年2月2日、3月4日にも『女刀手』撮影中の記事が掲載されており、6月14日の記事ではすでに撮影完了となっています。

この頃茅瑛は『蛇形醉步』の撮影にも参加していたようで、そのため撮影が長引いていたのかもしれません。3月頃に終わっていた可能性もありますが、もしかしたら何度か中断しつつ、6月頃までかかっていたのかもしれませんね。

『『舞拳』武術指導中のジャッキー2』の画像

それでは、ジャッキーが関わった昨年とはいったいいつ頃なのか。おそらく、ジャッキーが『笑拳』を撮り終えた1978年12月中旬~下旬だと思います。

陳誌華はその『笑拳』に、魯江や曾志偉らとともに執行導演的な立場で参加しており、その流れで『女刀手』に顔を出したのではと思っています。

『笑拳』を手伝ってくれた恩返し的なものだったのかもしれませんね。それにしてもこの作品の76年説ってどこから来たものなんでしょうかね~。

  • 公開:1980年07月04日(台湾)
  • 製作時期:1978年12月~1979年6月以前(推定)
  • ジャッキーの関与:◎
  • ジャッキー関与時期:1978年12月中旬~下旬(推定)

『舞拳/Dance of Deathの製作時期(推定)』の画像

百戰保山河

『百戰保山河』の画像

次は、台湾と香港の製作会社が共同で製作した大作で、羅維(ロー・ウェイ)を含め総勢12名の監督が集結した作品ですが、ジャッキーはこの作品に武術指導として参加しています。

この作品、台湾では1978年8月26日に公開されたようで、香港での公開記録は見つかっていません。

で、撮影時期というかジャッキーがいつ頃この作品に関わったかですが、次の新聞記事が見つかっています。

この1978年5月頃、ジャッキーは台湾で『拳精』の撮影をしている時期と思われます。その時に羅維や田俊らと『百戰保山河』の撮影現場に向かったのでしょう。

  • 公開:1978年08月26日(台湾)
  • 製作時期:1978年05月頃(具体的な開始・終了の時期は不明)
  • ジャッキーの関与:◎
  • ジャッキー関与時期:1978年05月頃

『百戰保山河の製作時期(推定)』の画像

燃えよデブゴン6 豚だカップル拳/搏命單刀奪命搶

『燃えよデブゴン6 豚だカップル拳/搏命單刀奪命搶』の画像

サモハンが劉家榮(ラウ・カーウィン)とダブル主演で、それぞれ一人二役を演じた作品で、1979年08月09日に香港で公開されています。

この作品も、『少林寺怒りの鉄拳/三德和尚與舂米六』と同じく、自伝「僕はジャッキー・チェン」の巻末フィルモグラフィーに「僕はこの映画のスタント・コーディネーターだった」と書かれています。

クレジット上は武術指導として、サモハン、ラウ・カーウィンとなっており、ユンピョウもアシスタントとして参加してたようです。

まず、この作品の製作時期ですが、1978年10月末に下の記事がありました。

1978年10月末にゴールデンハーベストの撮影所にて撮影開始したようです。これ以上は突っ込んで調べてませんが、この後にユンピョウとの『雑家小子/モンキー・フィスト猿拳』も撮っていますし、サモハンのことなので78年12月か79年1月頃には撮影は終わっていたことでしょう。

問題はジャッキーが本当にこの作品に関わっているかなんですが、時期的にはさきほどの『舞拳』同様に、78年12月の『笑拳』撮影終了後、顔を出していたことは十分考えられます。

またこの頃ジャッキーはサモハンに合作の話を持ちかけていたり、翌年春にはサモハン・ユンピョウの『雑家小子/モンキー・フィスト猿拳』の記者会見に出たりと3人でのつながりが再び強くなっている時期、さらには移籍問題でゴールデンハーベストとも接触を持っている時期なんですよね~。

『『雑家小子/モンキー・フィスト猿拳』の記者会見でのゴールデントリオ』の画像

ただ、本章で扱っている他の作品と違い、ジャッキーの自伝だけが頼りでその他の関与情報が全くないこと、また、自伝でこの作品の別題として「Dance of Death」と書かれていることも疑わしいところではあります。これは『舞拳』の英題であり、そして『舞拳』の別題として「Eternal Conflict」と今度は『搏命單刀奪命搶』の別題が誤記されています。当然、この巻末に書かれているようなそれぞれの作品のストーリーなどジャッキーが覚えているはずもなく、編集者が書いたものと思われますが、なんだかいまひとつ信頼性に欠ける気もします。

ということで、本作品は個人的にはジャッキーの関与はあった(但し、顔を出してちょっと手伝った程度)と思ってますが、手掛かりが少なすぎるためグレー判定としておきます。

  • 公開:1979年08月09日(香港)
  • 製作時期:1978年10月末~12月もしくは79年1月頃(終了時期は推測)
  • ジャッキーの関与:△(可能性は十分あり)
  • ジャッキー関与時期:1978年12月中旬~79年1月の間(推定)

『燃えよデブゴン6 豚だカップル拳/搏命單刀奪命搶の製作時期(推定)』の画像

三十六迷形拳/The 36 Crazy Fists

『三十六迷形拳/The 36 Crazy Fists』の画像

最後は、ジャッキーチェンの「ブルース・リーの『麒麟掌』的作品」であるこの作品ですが、監督はおなじみ陳誌華(チェン・シーホワ)。

ジャッキー・チェンが咥え煙草で武術指導をしているシーンが勝手に編集されてソフト化されたことでも有名ですが、この作品も製作年度が77年~79年と諸説あり、情報も少ない謎多き作品であります。

公開日については、台湾で1980年4月14日に公開されたようです。

この作品に関しては関連記事が全く見つかりませんでした。惨敗です。監督の陳誌華はもちろん、梁小熊や劉家勇のラインでも調べてみましたが手掛かりなし。

タイトルも『三十六迷形拳』と『笑林三十七房』という2つが存在します。武術指導も実際にジャッキーが担当したのはわずかのようですが、「成氏兄弟」となっていたり、「成龍武術團」となっているものもあるようです。

ということでこの作品に関してはギブアップしました!完全に他力本願で行きます。実は、私よりも当時の香港の新聞や資料を研究されている醒龍さんの 三十六迷形拳 | 電影フリークスという記事の中で、この作品は『ヤングマスター』撮影開始から2カ月ほど後に製作されたと書かれています。

【追記】-2011/02/12-

早速、その醒龍さんから情報いただきました!ありがとうございます。

79年5月に『三十六迷形拳』に関する記事が掲載されていたようです。さすがです。

これによると、『三十六迷形拳』は6月に撮影開始予定みたいです。『舞拳』に関する記述もありますね。『舞拳』の撮影を終えて『三十六迷形拳』に取り掛かるということなんでしょうね。

陳誌華の動き的にはジャッキーの78年月まで『笑拳』を手伝って、その後『舞拳』を撮影、そしてこの『三十六迷形拳』という流れになるのかもしれません。

しかし、陳誌華は『ヤングマスター』でも副導演を担当してます。5月中頃から11月初めまでの約170日間の中で『ヤングマスター』は130日間撮影をしているようなので、もしかしたらその間に中断していた時期があって、その時がこの『三十六迷形拳』だったのかもしれません。ただ副導演は4人もいるので違うかもしれませんが・・・。

  • 公開:1980年4月14日(台湾)
  • 製作時期:1979年7月~8月頃(推定)
  • ジャッキーの関与:◎
  • ジャッキー関与時期:1979年7月~8月頃(推定)

しかし、この作品、77年説がかなりネット上で氾濫しています。どうしてなんでしょうか。あるサイトには1977年4月5日公開と具体的に書かれていました。

念のため、当時の香港の新聞を調べましたが、やはり香港では公開の事実はないようです。この公開日が台湾のものという可能性はありますが、77年4月と言えばジャッキーはまだ駆け出しの時で、とてもこの武術指導をしている姿とは一致しませんし、そもそも成家班と呼べるようなものも無かったはずです。

『『三十六迷形拳』での武術指導風景1』の画像

個人的には99%、77年説は無いと思ってますがその根拠がとても気になります。(『鉄指拳』みたいに旧作品に追加撮影したとかだったりして)

『三十六迷形拳/The 36 Crazy Fistsの製作時期(推定)』の画像

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カテゴリ: ジャッキーチェン研究室.


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