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倉田保昭 大全 ~アジアの黒豹の軌跡~

倉田保昭 大全 ~アジアの黒豹の軌跡~
History of 倉田保昭

倉田保昭とブルース・リー

プロフィール

倉田保昭

倉田保昭

日本のみならず、香港・台湾・東南アジア全域で活躍し、2007年には中国で開催された「中国功夫全球盛典」(中国クンフー世界祭典)にジャッキー・チェンら錚々たるメンバーとともに招待され、日本人で初めての”最優秀アクションアクター賞”を受賞。香港アカデミー賞のプレゼンターも2度務めるなど、日本がアジアに誇るアクションスター。

これまで、ブルース・リーをはじめとする大スター達とも交流があり、その共演者はジャッキー・チェン、ジェット・リー、ドニー・イェン、サモハン、ユンピョウなど錚々たる顔ぶれ。
2012年には、自身の映画出演100作品記念となる『レッド・ティアーズ』で製作総指揮・企画・出演を務め、今もなお現役で活躍するアクション俳優である。

また、自身の俳優活動のみならず、製作にも携わるほか、倉田アクションクラブをはじめとして後進の育成にも尽力。近年では、青少年育成を目的として道場の運営にも注力し、2011年には香港でも道場を開設している。

名前
倉田保昭(くらたやすあき/YASUAKI KURATA)
生年月日
1946年(昭和21年)3月20日
出生地
茨城県新治郡桜村
血液型
O型
サイズ
身長:173cm 体重:70kg (B:100-W:78-H:90)
学歴
栗原村立栗原小学校⇒大宮市立三橋小学校卒業
大宮市立桜木中学校卒業
海城高等学校卒業
日本大学芸術学部演劇科卒業
武道
空手:5段
柔道:3段
合気道:2段
現任(2012年7月現在)
株式会社 倉田プロモーション 代表取締役
創造学園大学教授
全日本双節棍道連盟最高顧問
創武館道場代表
通称
和製ドラゴン
アジアの黒豹
その他呼び名・クレジット
チョウンティン・ポォンチュウ(広東語発音)
ツアンテン・パオツァオ(北京語発音)
ツァン・ティン・ポー・ツォー
ショージ・カラダ(フィリピン)
Chong Ti Bo-Chu
Tian Bao Zhao Cang
Chaua Tieng Pao Chao
Tieng Pao Chao Chaua
Tung Choi-Po
Shoji Karada
Shoji Kurada
Akira Kurata
David Kurata
Shoji Kurata
Y. Kurata
Yasuki Kurata
Yazuaki Kurata
Yusaki Kurata
Yusuki Kurata
Tsang Tyan
Kurata Yoshiaki
Cang Tian Bao Zhao

バイオグラフィー

History of 倉田保昭

倉田氏の生誕から現在に至るまでの道程を、当時の新聞記事や書籍、インタビューなどを参考に、時系列でまとめました。
各年代ごとに詳しく見たいときはご覧ください。ただ、後半はかなり駆け足です(^_^;)。

  • History of 倉田保昭【第1章】下積みドラゴン
    【第1章】下積みドラゴン
    1946年の誕生から、たくましい青年へと成長。
    そして俳優の道を進むも、目が出ず不安な日々を送る1971年、香港へ渡る直前までのドラゴンの歩み。
  • History of 倉田保昭【第2章】ドラゴン、海を渡る
    【第2章】ドラゴン、海を渡る
    1971年ショウ・ブラザースのオーディションに合格後、海を渡り未知なる香港へ。そしてその実力を知らしめ、わずか1年でスターの階段を駆け上がる1972年半ばまでのドラゴンの道程。
  • History of 倉田保昭【第3章】ドラゴン VS 黒社会
    【第3章】ドラゴン VS 黒社会
    1972年、日本との関係が悪化する台湾へ渡り、作品を量産。しかし、その陰には黒社会の存在と落とし穴が待っていた。。。10か月に及ぶ台湾での苦闘の暗黒史。
  • History of 倉田保昭【第4章】帰ってきたドラゴン~凱旋帰国
    【第4章】帰ってきたドラゴン~凱旋帰国
    1973年秋、ようやく台湾を脱出し、これまでの鬱憤を晴らすかのように、好敵手ブルース・リャンと名作を生み出し、ついに日本への凱旋帰国が実現。テレビ、映画、そして歌にと、日本でもスターの座をつかみ取ったドラゴン。
  • History of 倉田保昭【第5章】ドラゴン対香港カラテ軍団
    【第5章】ドラゴン対香港カラテ軍団
    日本でも一躍スターとなり、人気ドラマ『Gメン’75』のレギュラーとして長期に渡り出演。その間も国内外の作品に、引っ張りだこの約4年間のドラゴンSTORY。
  • History of 倉田保昭【第6章】地獄のニコイチ軍団 ドラゴン・ニンジャ部隊
    【第6章】地獄のニコイチ軍団 ドラゴン・ニンジャ部隊
    1980年、『Gメン’75』降板後に再び海外へと活動の場を広げ、ニンジャブームを巻き起こすも、ブームは終焉。再び国内外へのテレビへと、活動の場を求める4年間の歩み。
  • History of 倉田保昭【第7章】ゴールデントリオ VS 和製ドラゴン軍団
    【第7章】ゴールデントリオ VS 和製ドラゴン軍団
    1984年、ニンジャブームも終焉を迎え、国内外での仕事が激減。しかし、サモハンの誘いで再び香港で活躍、人気絶頂のゴールデン・トリオと共演を果たしながらも、自社製作へ挑戦する変革期の5年間の足取り。
  • History of 倉田保昭【第8章】極道大連合 静かなるドラゴン
    【第8章】極道大連合 静かなるドラゴン
    日本を拠点にオリジナルビデオ業界に活路を見出し、「静かなるドン」、「となりの凡人組」など人気シリーズをはじめとする、多くのオリジナルビデオ作品に極道役で出演することが多かった2000年までの10年の軌跡。
  • History of 倉田保昭【第9章】無敵の21世紀ドラゴン 世界を征く
    【第9章】無敵の21世紀ドラゴン 世界を征く
    後進の育成や映画の自社製作に取り組む傍ら、国際的に活躍。2度目となる香港アカデミー賞のプレゼンターや、中国クンフー世界祭典で、日本人で初めての”最優秀アクションアクター賞”を受賞。さらに香港での道場開設と、ドラゴンは今もなお大忙し。

略歴

簡単に倉田氏の歴史を振り返りたい時は、こちらをご覧ください。

※各作品の年代は製作年をベースに記述してあります。(製作年が不明な場合は公開年。)

1946年
茨城県新治郡桜村で、3番目の子(長男)として裕福な家庭に生まれる。
1955年
小学校4年生の頃、父親が営む織物業が倒産。
それまでの恵まれた環境から、過酷な貧しい環境へ生活が一転、埼玉県の長屋へ引っ越しを余儀なくされる。
ソフトボール部でスター投手に。
1958年
中学生になり、野球部へ入部。同時に空手道場に通い始める。
1961年
東京の高校に進学。空手道場で指導員をつとめながら、柔道部へ入り、3年間で3日間しか休まずに、練習に明け暮れる。
1963年
高校卒業。しかし、立教大学アメフト部への推薦入学で不合格に。
1964年
1年間予備校に通う。
1965年
映画監督を志し、日本大学芸術学部演劇学科に入学。しかし、途中で監督志望から俳優志望へと転向。
合気道に興味を持ち、稽古を始める。
1966年
在学中に友人の勧めで、東映演技研修所の第一期生に。
テレビドラマ『丸出だめ夫』で、俳優デビュー。
1967年
『続・組織暴力』に学生の空手使い役で出演し、映画デビューも果たす。
1968年
念願の合気道部設立。「鬼の副将」として硬派を貫く。
1969年
卒業後は掛け持ちでアルバイトに明け暮れる。
東映研修所卒業後は、東京俳優生活協同組合に入り、CMやテレビドラマに端役で出演。将来への不安を感じる。
1971年
ショウ・ブラザースのオーディションに合格。
張徹(チャン・チェ)監督の『続・拳撃 悪客』で、香港映画デビューを果たし、続けて『小拳王』にも出演。
ブルース・リーと出会い、親交を深める。
1972年
一躍注目の的となり、出演オファーが殺到。
2本目のショウ・ブラザース作品『四騎士』、フィリピンで大ヒットした『武道大連合 復讐のドラゴン』、呉思遠(ウー・シーユェン)監督の『餓虎狂龍』『猛虎下山』など6本の映画に出演。
その後台湾に渡るも、黒社会がらみのトラブルや、税金問題などで10ヵ月間出国出来ず。その滞在中、掛け持ちでハードなスケジュールをこなし、ジミー・ウォング主演の『ドラゴンvs不死身の妖婆』や、『用心棒ドラゴン』『女ドラゴン!血闘の館』など、実に16本もの映画に出演した。
1973年
ようやく台湾を脱出し、呉思遠(ウー・シーユェン)の『帰って来たドラゴン』に出演。好敵手・梁小龍(ブルース・リャン)とのアクションが話題に。
フィリピンでも出演作が大ヒットし、一躍スーパースターに。
1974年
『無敵のゴッドファーザー ドラゴン世界を征く』でイタリア・ローマでのゲリラロケを敢行。
『帰って来たドラゴン』の日本公開が決まり、凱旋帰国。
テレビシリーズ『闘え!ドラゴン』で主演。撮影の合間を縫って、『女必殺拳』シリーズなどの映画出演もこなす。
続けて、テレビシリーズ『バーディー大作戦』でもレギュラー出演を獲得。
1975~79年
さらに『Gメン’75』にも連続で出演。4年間に渡りレギュラーをつとめ、お茶の間の人気を得る。
他にもテレビドラマへの単発ゲスト出演や、映画への出演を数多くこなす。
ショウ・ブラザースでの『少林寺VS忍者』をはじめ、海外作品にも数多く出演。
国際的に活躍できるアクションスターを育成する為「クラタ アクションクラブ」を設立。
『Gメン’75』の香港ロケでは、楊斯(ヤン・スエ)や梁小龍(ブルース・リャン)など香港スターが多数出演。シリーズ化されるほどの人気を博す。
1980年
『Gメン’75』降板後も、『激突!キング・オブ・カンフー』などの海外作品や、日本でのテレビドラマに出演。
1981~82年
台湾を中心にニンジャブームが巻き起こり、『激突!少林拳対忍者』『忍者外伝 倭寇掃討作戦』など多数の忍者映画に出演し、ブームの一端を担う。
1983年
『飛花逐月』で、初めて海外のテレビドラマへレギュラー出演。
1984年
ニンジャブームも収束し、仕事が激減。しかし、来日中のサモハンから映画出演の誘いを受ける。
1985~87年
サモハンと3本契約を結び、『七福星』でジャッキー・チェンと競演したほか、『冒険活劇 上海エクスプレス』『イースタン・コンドル』などゴールデン・ハーベスト作品に出演。ユンピョウと特に親しくなる。
1988~90年
構想10年、自らの原案・企画・製作総指揮による『ファイナルファイト 最後の一撃』で、アクション監督、主演をこなす。
1991~93年
オリジナルビデオへの出演を開始。人気シリーズとなる『静かなるドン』への出演をはじめ、『となりの凡人組』シリーズでの主演など、多数の作品に出演を重ねる。
1994年
『フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳』でジェット・リーと初共演。
1995~96年
ふたたびオリジナルビデオを中心に出演。
1997年
香港アカデミー賞(第16回香港電影金像奨)授賞式に、最優秀アクション監督賞のプレゼンターとして招待される。
自らの半生を綴った『和製ドラゴン放浪記』を出版。4週連続で、ベストセラーにランクイン。
1998~99年
全40話の連続テレビシリーズ『中華大丈夫』に出演。15年ぶりの海外テレビドラマへのレギュラー出演となる。
JRA「天皇賞」のテレビCMで、木村拓哉と共演。
2000年
『ゴッド・ギャンブラー 東京極道賭博』で、約5年ぶりに国外の映画へ出演。
2001年
『静かなるドン』シリーズが、オリジナルビデオ12本、映画1本をもってシリーズ完結。
2002~03年
フランス・スペイン・ドイツ合作映画『SAMURAI』や、香港・米国合作映画『クローサー』への出演など、国際的に活躍。
倉田プロモーション創立20周年記念映画『黄龍 イエロードラゴン』を製作。自ら製作総指揮・原作・脚本・主演を兼ねた。
2004年
自身2冊目の著書となる『香港アクションスター交友録』を出版。
全40話の中国連続TVドラマシリーズ『天下第一』で、6年ぶりとなるレギュラー出演。
2006年
谷垣健治氏の劇場映画第1回監督作品『マスター・オブ・サンダー 決戦!!封魔龍虎伝』に出演。千葉真一との再競演が実現。
2007年
香港・フランス共同制作映画『ラスト・ブラッド』に出演。
中国で開催された「中国功夫全球盛典」(中国クンフー世界祭典)で、日本人で初めての”最優秀アクションアクター賞”を受賞。
香港・日本合作映画『新宿インシデント』で、ジャッキー・チェンと再共演を果たす。
2008年
香港アカデミー賞(第27回香港電影金像奨)で、2度目のプレゼンターを務める。
2009年
『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』で、ドニー・イェンと初共演。
2010~12年
映画出演100本記念として『レッド・ティアーズ』を製作。自ら製作総指揮・企画・出演。
スマートフォン向けドラマ『つぶやき三四郎 ~一本なう!~』で、新たなメディアに挑戦。
東京、千葉、横浜、大阪に続いて、香港に倉田保昭空手道館「創武館」を開校。

フィルモグラフィー

※当サイトにおける倉田氏の出演作の年代表記は、当時の新聞資料などを基にした製作年ベースとなっています。ただ、ここでいう製作年とは作品が完成した年ではなく、倉田氏が撮影に参加した年を基準にしていますのでご了承ください。また、製作年が不明な場合は、公開年で表記している場合があります。

年代別出演作品リストと100作品の検証

倉田保昭氏がこれまでに出演したテレビドラマや映画、オリジナルビデオ作品など全145本(2012年7月現在)を年代別に整理し、画像付きでリスト化しました。
また、『レッド・ティアーズ』公開に際して発表された出演映画100作品リストについても検証しています。

  • 倉田保昭フィルモグラフィー「倉田保昭 年代別出演作品リスト」
    倉田保昭 年代別出演作品リスト
    おそらく現時点では世界一正確と思われる(たぶん)フィルモグラフィーです。全146本(2012年7月現在)の出演作品を年代別に一覧にしました。
  • 倉田保昭フィルモグラフィー「倉田保昭 映画出演100作品検証」
    【検証】倉田保昭 映画出演100作品
    果たして本当に出演作品は100本なのか。2つ存在する公式リストは正確なものか、など当サイトが調べたデータを付け合せながら検証しています。

出演作品簡易一覧(種類別)

こちらは、種類別に出演作品をリスト化したテキスト形式の簡易一覧です。それぞれの作品については、リンク先の各作品ページをご覧ください。
日本と海外の合作については、海外作品に分類しています。

【映画:海外】


【映画:国内】


【テレビドラマ:国内(単発)】


【テレビドラマ:国内(レギュラー)】

  • 1969年:中学生群像 共演:竹下景子、戸田恵子、三ツ矢雄二
  • 1974年:闘え! ドラゴン 監督:外山徹、他/共演:府川房代、赤塚真人
  • 1974-1975年:バーディー大作戦 監督:深作欣二、他/共演:丹波哲郎、谷隼人、沖雅也
  • 1975-1979年:Gメン’75(猛龍特警隊) 監督:深作欣二、他/共演:丹波哲郎、原田大二郎、
  • 1980年:新・江戸の旋風 監督:高瀬昌弘、児玉進、他/共演:加山雄三、千秋実、田中邦衛
  • 1980年:猿飛佐助 監督:瀬川昌治、高瀬昌弘、他/共演:太川陽介、宍戸錠、秋野暢子
  • 1983年:NHK大河ドラマ:徳川家康 監督:澁谷康生(製作総指揮)/共演:滝田栄、近藤正臣、大竹しのぶ
  • 1996年:金魚のフン 監督:片岡K/共演:坂上香織、木村剛、長谷川初範

【テレビドラマ:海外(レギュラー)】

  • 1983年:飛花逐月 監督:高寶樹(カオ・パオシュー)※製作/共演:黃元申(フアン・ユアンシェン)、苗可秀(ノラ・ミャオ)、
  • 1998年:中華大丈夫 監督:徐小明(ツイ・シウミン)/共演:趙文卓(チウ・マンチェク)、劉家輝(リュー・チャーフィー)、袁潔瑩(ファニー・ユン)
  • 2004年:天下第一 監督:製作:王晶(バリー・ウォン)/共演:張衛健(ディッキー・チョン)、陳法容(チャン・ファッヨン)、劉松仁(ダミアン・ラウ)

【オリジナルビデオ】


【その他】

倉田保昭 関連グッズ集

  • 倉田保昭 関連グッズ集
    倉田保昭 関連グッズ集
    倉田保昭氏の出演した作品のDVD・Blu-ray・VHSや、パンフなどの関連商品、書籍、雑誌、レコードなど関連グッズの大全集です。

厳選アイテム

倉田保昭 動画集

出演作品の他の映像は、各作品ページからご覧ください。

ファイトシーン集

インタビュー、TV番組出演など

web版倉田道場

倉田保昭 大全【MENU】


4 件のコメント

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  1. psychic-stream says

    kungfufan さん、こんばんは。
    まだ全部読めてませんが、素晴らしい記事ありがとうございます!
    倉田さんについては、junktionさんが書いてます「激突!ドラゴン武術」や
    倉田さんが書かれた「和製ドラゴン放浪記」「香港アクションスター交友録」ぐらいしか
    資料を持っておらず、もっと知りたいと思っていました。
    春に、ロフトプラスワンでのレッド・ティアーズ公開記念イベントに行くことが出来、
    初めて生で倉田さんを拝見しました。時間があっという間に過ぎましたので、
    もっと、あのようなイベントやってほしいものです。

    • kungfufan says

      psychic-streamさんこんばんは。
      倉田さんは、この日本でもっともっと評価されるべき人ですよね。
      私はどちらかというと、リアルタイム世代ではないので、
      ブルース・リーと同様に遡って知ったわけですが、
      現在に至っても、日本人武打星の頂点だと思っています。
      敬愛する谷垣さん、大島さんとともに、
      アクション界において、日本人で私が最も尊敬する人です。
      それにしても中央にお住まいの方は、そういう機会があって、
      羨ましい限りです(^-^)

  2. junktion says

    うわぁ、密かにこんな素晴らしい企画を用意くださってたんですね!
    シネアルバム「激突!ドラゴン武術」以来、倉田さんにはシンパシーを感じてます!
    まだ記事は読んでないのですが^^; 取り急ぎ感謝を伝えようと思います。
    ありがとうございました!そしてお疲れ様です♪
    これからじっくり読まさせて頂きます(^^

    • kungfufan says

      ショウ・ブラザースに関わった100名の名鑑を作ろうと思い立ち、
      準備中にその流れで寄り道してしまいました(泣)
      このペースで100人分作ると、あと10年ぐらいかかってしまうので(汗)
      企画を中止するか、簡易版にするか迷い中です。
      これからリリースラッシュも来ますし、やりかけのコンテンツも多数・・・
      はやく最新情報も追いたいし・・・と、今後の方針を思案中です。。。
      あまり間をおかずに、次記事も書く予定ですので、
      これからもよろしくお願いします☆



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