ハリウッドで頭角を現したジェットの元へは、出演オファーが殺到。
自身の企画を進めつつも、撮影、プロモーションにと世界中を飛び回る。
そして、その中から選んだ大作である武打星に声をかける。そして10年ぶりに再共演が実現するのだった。。。
近未来アクション
2001年1月。『キス・オブ・ザ・ドラゴン』で俳優業に復帰したジェットは、その公開を待たずして次回作に取り掛かる。
鬼才ジェームズ・ウォン(黄毅瑜)が監督を務める近未来アクション映画『ザ・ワン』。
ジェームズ・ウォンは『X-ファイル』や『ミレニアム』の脚本家として知られ、前年、劇場映画監督としてのデビュー作品『ファイナル・デスティネーション』をヒットさせていた。
もともと『ザ・ワン』は、ジェットではなく、当初の予定ではプロレスラーのザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)を主演に起用するはずだった。
前年に『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』で映画デビューを果たしたザ・ロックは、その作品で演じた敵役スコーピオン・キングを主人公に据えた、新たなスピンオフ作品『スコーピオン・キング』の主演を引き受けることになったのだ。
『ザ・ワン』は、最新のVFX技術を駆使した近未来アクション・スリラーで、総予算5,500万ドル(約60億円)とこれまでのジェット・リー主演作品ではもっとも多くの製作費がかけられていた。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』撮影中に脚本を受け取ったジェットは、わずか4日後には出演OKの返事を出し、アクション監督はこれまで通り元奎(コーリー・ユン)に依頼、また、その後度々共演することとなるジェイソン・ステイサムとも初顔合わせとなった。
その後ロスで始まった『ザ・ワン』の撮影は、順調に進行。ヒーローと悪役の二役を自ら演じることは、大変疲れることだったが、同時に新鮮でもあった。
ただ、ラストシーンに関しては、通常のクライマックスシーンの撮影にかかる倍近い4週間も費やされた。そして二役を演じたことで、その動きも2倍。とにかく体力的にも大変な撮影だった。中には1日に12回も衣装替えをしたことも。。。
こうしてロスでの4週間におよぶラストシーンの撮影を終え、2001年5月。『ザ・ワン』の撮影はすべて終了した。。。
『ザ・ワン』基本データ
【配給会社】 コロンビア映画
【監 督】 ジェームズ・ウォン(黄毅瑜)
【武術指導】 元奎(コーリー・ユン/ユン・ケイ)
【出 演】 ジェット・リー(李連杰)、ジェイソン・ステイサム、カーラ・グギノ、デルロイ・リンドー
【撮影期間】 2001年1月~2001年5月
【製 作 費】 $55,000,000(約60億円)、$49,000,000(約54億円)説もあり
【公 開】 アメリカ:2001-11-02、フランス:2001-11-28、日本:2002-06-01
【興行成績】
全米:$43,905,746(約53億円) 年間ランキング56位
全世界:$72,689,126(約87億円) 年間ランキング57位
オファーは絶えず
『ザ・ワン』の撮影を終えたジェットは、間髪入れず次回作の準備に取り掛かる。
自らの原案である『モンク・イン・ニューヨーク』。
明るくコメディータッチのアクション作品で、チベット僧がニューヨークに旅して、異文化や考え方を比較しながら探求し、悪人を次々と倒していく痛快なストーリー。
脚本はリュック・ベッソンの友人でもあり、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の脚本も担当したロバート・マーク・ケイメンにお願いすることになった。
6月、ハリウッドの映画会社ミラマックスが、1,000万ドル(約12億円)というギャラでジェットに新作映画『HERO(英雄)』の主演をオファー。
これはアジア系俳優としては、『ラッシュアワー2』でジャッキー・チェンが獲得した2,000万ドルに次ぐ高額報酬となった。
また同時に、自身の企画『モンク・イン・ニューヨーク』の製作も受け入れられた。
さらにこの頃、以前から水面下で進められていたジャッキー・チェンとの共演作についても脚本の第1稿が上がり、翌2002年秋には撮影を開始する運びとなった。
出演作以外では、アメリカのTV映画『インビシブル』を、『リーサル・ウェポン4』の共演で意気投合したメル・ギブソンとともに共同プロデュースすることになった。
『インビンシブル』基本データ
各国での反応
2001年7月6日、ハリウッドでの主演2作目『キス・オブ・ザ・ドラゴン』がアメリカで公開。オープニング成績は4位でスタートし、最終的に3,700万ドル(約40.5億円)の興行収入をあげる。
しかしまたしても、中国での公開は実現しなかった。
今度は、中国人の警官が外国へ行って戦ったり殺したりするのが、中国のイメージを悪くするという理由からだった。
一方、ハリウッド進出により人気を回復した日本では、7月9日、リュック・ベッソン、ブリジト・フォンダらとともに来日し、帝国ホテルで記者会見を行った。
ひととおりのプロモーションを終えた7月後半、ジェットは、脚本家ロバート・マーク・ケイメンとともに、『モンク・イン・ニューヨーク』のリサーチのため、チベットへと旅立っていった。。。
撮影開始と訃報
8月11日。ミラマックスの新作映画『HERO(英雄)』の撮影がスタート。
『HERO(英雄)』はアクション映画初挑戦となる張芸謀(チャン・イーモウ)が監督を務め、総予算3,000万ドル(約36億円)の大作映画で、共演者には梁朝偉(トニー・レオン)、張曼玉(マギー・チャン)、章子怡(チャン・ツィイー)といった豪華スターが勢揃いしていた。
企画自体は、すでに96年の時点でジェットに対し張芸謀(チャン・イーモウ)監督が明かしており、その時には今回演じるキャラクターに対してジェットがあまりにも若く、イメージが合わないとして待機していた企画。
そしていよいよ製作されることになった本作の台本は、1年以上も前からジェットのアイデアを取り入れて練られており、撮影直前になってようやく完成したのだった。
2001年8月25日、撮影中のジェットのもとに突然の訃報が飛び込んでくる。
2年前に『ロミオ・マスト・ダイ』で共演した女性歌手アリーヤが、飛行機事故により亡くなったというのだ。弱冠22歳という若さだった。
事故は機体の整備不良、積載オーバー、パイロットのコカインやアルコールの吸引などが原因とされた。
アリーヤは、ジェットが出演を辞退した『マトリックス リローデッド』『マトリックス レボリューションズ』への出演も決定しており、まさに絶頂期を迎えていた矢先の出来事だった。その後、アリーヤが演じる予定だったジー役はノーナ・ゲイが演じることに。
この訃報に大いに悲しみながらも、ジェットは撮影を続けていた。。。
一変する状況
大作『HERO(英雄)』の撮影。
9月には、敦煌で2週間に渡るロケを敢行。ジェットは張曼玉(マギー・チャン)にアクション指導を行いつつ、10日間に及ぶアクション・シーンの撮影に臨んだ。
またジェットはこの頃、『少林寺』の監督である張鑫炎(チャン・シン・イエン)らとともに、鄭州市政府から「鄭州市観光発展貢献賞」を受賞している。
このまま順調に進むかと思われた『HERO(英雄)』の撮影であったが、10月に状況が一変する。
当初3,000万ドル(約36億円)が予定されていた総製作費が、1,200万ドル(約14億円)へと激減し、予算がひっ迫。。
そのためジェットは、この映画で受け取るはずだった1,000万ドル(約12億円)を300万ドル(3憶6千万円)に大幅カット。
トニー・レオンとマギー・チャンも同様に減額され、それぞれ100万ドル(1億2千万円)という最低ラインの出演料。チャン・ツィイーに関しては20万ドル(2,400万円)、始皇帝を演じるチェン・タオミンは10万ドル(1,200万円)となってしまった。
また、アクション監督である董瑋(トン・ワイ)が、チャン・イーモウ監督と揉め降板。代わりに程小東(チン・シウトン)が急遽起用されることになった。
厳しい状況での撮影が続く中、11月には『ザ・ワン』がアメリカで封切られ、初週に1,900万ドルの興行収入をあげ2位と好調なスタート。最終的には4,400万ドル(約53億円)の興行収入をあげた。
この頃、ジェットは制作側に対してある提案をしていた。
それは、既に決まっていた長空役を、甄子丹(ドニー・イェン)に変える提案だった。
そして、その意見は通り、翌12月から急遽、甄子丹の参加が決まる。
香港の功夫映画史に残る傑作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』以来、約10年ぶりに2人の再共演が実現することになったのだ。
クランクアップと相次ぐオファー
『HERO(英雄)』の撮影はまだ続いていたが、ジェットのもとへは絶えず出演オファーが舞い込んできていた。
周潤發(チョウ・ユンファ)との共演作で、総製作費4,500万ドルの『ホワイト・ドラゴン』は、18世紀の日本を舞台にした物語で、翌2002年クランクイン予定。
また、ジョエル・シルバーからも電話が入り、新作『ブラック・ダイヤモンド』へと誘われる。
監督は『ロミオ・マスト・ダイ』のアンジェイ・バートコウィアクで、2002年3月から撮影開始だという。
ジェットはこのオファーを快諾し、再び『HERO(英雄)』の撮影を続けた。。。
その後『HERO(英雄)』は、若干のアクシデント見舞われながらも撮影が進む。
11月、ロケ車が九寨溝で人身事故を起こしたことが、「ジェット・リーが事故を起こしたのに、車から降りもしなかった」と報じられてしまう。しかし実際には、ジェットはその現場には居合わせてはいなかった。
12月には甄子丹(ドニー・イェン)が撮影に合流。
年末に撮影されたジェットとドニーのアクションシーンの最中、事故が発生。ジェットの剣がドニー・イェンの片方の目に当たり、運良く眼球には触れなかったものの、六針縫うほどの怪我を負った。しかしドニーは、わずか1日の休養のあと撮影に復帰した。
そして年は明け、撮影開始から約5か月後の2002年1月19日、『HERO(英雄)』が無事クランク・アップを迎える。
『HERO/英雄』基本データ
【監 督】 張藝謀(チャン・イーモウ)
【武術指導】 程小東(チン・シウトン)、董瑋(トン・ワイ) ⇒途中降板
【出 演】
李連杰(ジェット・リー)、梁朝偉(トニー・レオン)、張曼玉(マギー・チャン)
陳道明(チェン・ダオミン)、章子怡(チャン・ツィイー)、甄子丹(ドニー・イェン)
【撮影期間】 2001年8月11日~2002年1月19日
【製 作 費】 3,000万ドル(約36億円)→1,200万ドル(約14億円)へ
【公 開】 中国:2002-12-19、日本:2003-08-16、フランス:2003-09-24
【興行成績】
日本:$33,995,841(約36億円) 年間ランキング9位 オープニング成績2位
全米:$53,710,019(約56億円) 年間ランキング58位 オープニング成績1位
中国:2億5,000万元(3,100万ドル/約36.4億円) 年間ランキング1位
この章に出てくるジェット・リー幻の出演作
-
【李連杰幻作品】NO.20
『モンク・イン・ニューヨーク』
-
【李連杰幻作品】NO.22
『ホワイト・ドラゴン』
商品情報
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『モンク・イン・ニューヨーク』
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『ホワイト・ドラゴン』
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お久しぶりです!
ジェットリー物語、待ってました(笑)
有難うございます!
モンク・イン・ニューヨーク、面白そうですねぇ
観たかったなぁ
いよいよ公開ですね、龍門飛甲
私は14日に観に行って来ます!
そこで只今、ジェットリー物語を第1章から読み直して
むりくりテンションを上げてるトコです!
やっぱりワイヤー系、シウトン系はちょっと・・・なもので(爆)
でも、人生初3Dがジェット対リューチャーフィーだなんて
ちょっと有難い事なのかも?
ところで、「ぴあ」のドラゲーのページによりますと
今年、少林寺ブルーレイがリリース予定だそうですね!!!
めちゃめちゃ嬉しいっ!
いつ出るのかなぁ~?早く予約したいです~
やっぱり少林寺と阿羅漢が1番好きだったりしますもんねぇ
junfanさんお久しぶりです!
実は結構前に最後までほぼ準備はできてたのですが、
幻の作品を並行して書いてるので時間がかかっちゃってます(^_^;)
ちょっとこのままではマズイので、幻の作品は置いといて更新しちゃおうかと検討中です。
あと2日でドラゲーですか!良いですね~
北海道は19日からなので、私の方はまだしばらくおあずけです(;д;)
私も同じく苦手系ではあるんですけどね(^_^;)
少林寺リリースですか!それは初耳です☆
ただ現行DVDがなかなかの出来なので、
買い換えとなるとやっぱり特典映像とかに期待しちゃいます!
1章から読み直して頂けるとはありがたいです。
なんとか14日までに出来るだけ更新してみます!!