俳優としての新たな挑戦に成功したジェットには、出演オファーが山積みに。
さらに、『英雄 HERO』が世界的なヒットを収め、ますますその期待値は上がっていく。
しかし、ある新聞記事がきっかけで、自らの使命をあらためて考え始めたジェットは俳優活動を休止。
そして、その後の人生を大きく変えることとなる出来事に遭遇する。。。
活動休止と仏の道
2003年。『ダニー・ザ・ドッグ』への出演で俳優として、新たな演技への挑戦を行ったこの年は、ジェットにとって大きな節目となる1年だった。
プライベートでは、妻ニナとの間に次女ジェイダ(Jetta、Jada)が誕生。
7月には、『HERO(英雄)』の公開を控えた日本へ、チャン・イーモウ監督やチャン・ツィイーらとともに来日。
その日本でも、『HERO(英雄)』はオープニング成績1位を獲得し、3,400万ドルの興行収入をあげて成功を収めた。
また、この年は3年前から取り組んでいるPS2(PlayStation 2)用ゲームソフト『Rise to Honor』の開発にも携わった。
アクション指導はユン・ケイ(元奎、コーリー・ユエン)が担当。ジェット自身の動きを6週間に渡って、モーションキャプチャーで取り込み、英語の吹替えもジェット自身が担当した。
この年のある日のこと。
何気なく見た新聞記事を見てジェットは震え上がった。
中国での自殺者は、年間28万人にも上るという記事だった・・・
ジェットはふと考える。
「その自殺者ひとりひとりに家族や友達がそれぞれ10人いるとしたら、いったい何百万人の人が苦しんでいることになるのだろう・・・」
このことがキッカケとなり、様々なことを考え始めるようになった。
「本当の生命の意義とは何か」
「どうすれば皆にこういう事への関心を持って貰えるのか」
「社会のために自分は何ができるのか」・・・
そして、まず手始めに香港で「有縁基金」という基金を設立することになり、俳優としての活動も長期で休止することを決める。
そしてジェットは、先の自分に対する問いかけの答えを見つけるべく、聖厳師との公開討論会やニューヨークでの10日間の黙照禅の瞑想会に参加するなど、仏教の勉強に時間を費やすようになっていった。
止まぬオファー
年は明け2004年。俳優業の休止を決めたジェットだったが、出演作のオファーが止むことはなかった。
中には、噂の域を出ないものも多く、たとえばリュック・ベッソンが監督をして大ヒットした1994年『レオン』の続編が、成長したナタリー・ポートマンとジェット・リーによって製作される、といった報道も。(その後、ナタリー・ポートマンは続編の可能性は認めつつも、ジェット・リーの名前は上がっていないことを明らかにした。)
また以前から出演リストに挙がっていた『グリーン・ホーネット』。
これは、かつてブルース・リーが出演していたTVシリーズの映画版だが、監督にケヴィン・スミスが決定し、夏以降に撮影に取り掛かると報じられた。
しかし、当初ユニバーサルで映画化の話しが進んでいた時には、ジェットとジョージ・クルーニーの出演が予定されていたが、その後権利がミラマックスへ移り、キャストが白紙状態に。その後チャン・ツィイーの名前も挙がるなど、依然として不透明なままだった。
中国映画のオファーとしては、呉宇森(ジョン・ウー)監督による『バトル・オブ・レッドクリフ(Battle Of Red Cliff)』で、中国の古典小説『三国志演義』を基に、赤壁の戦いを描く作品だった。
ジョン・ウー監督は、劉備役にチョウ・ユンファ、諸葛亮孔明役にトニー・レオン、コン・リーとチャン・ツィイーが大喬小喬姉妹、そしてジェット・リーには周瑜役をと考えていた。
幻の出演作
-
【李連杰幻作品】NO.25
『レオン2』 -
【李連杰幻作品】NO.18
『グリーン・ホーネット』 -
【李連杰幻作品】NO.26
『バトル・オブ・レッドクリフ』
次回作の噂だけではなく、俳優業を休止していながらも、ジェットの話題が尽きることは無く、2月には経済誌『フォーブス』が「中国のセレブリティベスト100」と銘打った特集を掲載。
米NBAで活躍するバスケットボールプレイヤーの姚明(ヤオ・ミン)が総合で1位を獲得。ジェットが個人所得部門で1位を獲得した。(総合順位は10位。)所得部門ではヤオ・ミンが2位、黎明(レオン・ライ)が3位だった。
同じく2月には、北米でSCEA(Sony Computer Entertainment America)よりPS2(PlayStation 2)用ゲームソフト『ライズ・トゥ・オナー(Rise to Honor)』が発売され、活動休止を嘆くファンを楽しませた。
また、8月27日には、2002年に中国で公開されて以来、永らくアメリカでの公開が待たれていた『HERO(英雄)』が、ようやく全米で公開されることに。
作品の劣悪な編集などで悪評のあったミラマックスに対し、クエンティン・タランティーノ監督が働きかけ上映時間短縮を阻止。
最終的にタランティーノが興行権を買い取り、「タランティーノ・プレゼンツ」という形にすることで、ようやくミラマックスにOKを出させた。
既に初公開から1年半が経過し、北米でもDVDなどのソフトが発売されている中での劇場公開を危惧する声もあったが、初週に興行ランキング1位を記録。最終的に5,400万ドル(56億円)を稼ぎだし、ジェット・リー主演作としては2000年の『ロミオ・マスト・ダイ』以来のヒットを記録。ジェットの俳優業復帰を望む声は、日に日に高まっていった。。。
チベットへ
活動休止中のジェットは、10月、チベットへ10日間の旅行へ出かける。
昨年、中国での自殺者数のあまりの多さに衝撃を受けて以来、毎日のように「死」について考えるようになったジェットは、その旅行で「どのようにして死を迎えるか」を学ぶ。
旅行から戻り、英国の雑誌「Arena」の「葬式」をテーマにしたインタビューを受けたジェットは、こう語った。
「私は仏教徒ですから、『輪廻転生』を信じています。現世での生きかたは来世に影響するので、今、人の役に立つようなことをすれば、来世では少しは良い生活ができるはず。「死」は怖くはありません。妻の面倒もよく見ていますし、家族や知人に対しても常に「慈悲」の心で接してきました。後悔することは何もありません。もし私が死んだらチベット自治区で「火葬」してほしいです。」
そしてこの数か月後、ジェットは今後の人生を大きく変える出来事に遭遇する・・・
消息不明
2004年12月。年明けに映画界への復帰を控えていたジェットは、脚本の構想とバカンスを兼ねて、25日、妻と子供二人を連れモルジブへ家族旅行へ出かける。
しかし翌日、滞在2日目の朝にマグニチュード9.1のスマトラ島沖大地震が発生。
その時、ジェットは長女を抱き、ベビーシッターが次女を抱いて海岸を散歩していた。
一瞬の出来事。
地震の影響による津波に襲われてしまったのだ。
次々と報道される被災地の状況。
被災地の多くが地震や津波に遭ったことのない地域であったため、津波に関する警報や注意があまりなされず、人的被害を拡大させた。
死者・行方不明者は20万人以上におよび、被災者は500万人に達した。
そして、その報道の中に、ジェット一家が被災し、消息不明、全滅か、との報道も含まれていた・・・
津波に襲われた時、ジェットには「死」への恐怖は無かった。
以前から「死」についてどう向き合うべきかを考えていたからだ。
とにかく、小さい我が子をどう守り抜くのか。。。それだけしか頭になかった。
(事故当時ホテルのロビーにいたジェットが、流れてきた家具に衝突し足に軽傷を負ったものの、娘を水の中から救い上げ、安全な高台まで避難したとの話もあり)
幸い、ジェット一家は軽傷で済み、全員無事だった。
被災した夜、ジェットはたくさんのことを考えた。
「名誉とは何だろう。。。利益とは何だろう。。。本当にしなければならないことは何だろうか。。。」
「一生は短い。いつ死ぬかわからない。だから毎日を大切にしなければならない。」
そして、まずは第一歩として、目の前の被災した人々のため、資金を工面しなければと思い立つ。
ここで被災したことがのちの「壱基金」設立の大きなキッカケとなったのだ。
自分の想いを、妻のニナに打ち明けると、彼女は100万元をジェットに渡し、こう言った。
「50万元を津波のために使って、あとの50万元で基金を設立しましょう。」
こうして、ジェットの慈善活動の取り組みがより大きいものへとなっていった。。。
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