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ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-

ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-


ジェット・リーこと李連杰がようやく訴訟問題などから解放。シリーズ第3弾の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇』を撮影しながら自身の映画会社「正東製作」を立ち上げた時期です。(1992年)

永きに渡った羅大衛との問題も片付き、資金繰りに成功。『ワンチャイ 天地争覇』を皮切りに量産体制に入り始めた頃になります。

解放

蔡子明の死後、極度に落ち込んだリンチェイは92年4月末、生まれ育った北京へと帰り、外部との接触を避け引き籠った。

富藝公司での『新龍門客桟』製作が中止になった後でも、依然としてリンチェイの価値は高く、永高電影やゴールデン・ハーベスト、台湾の映画会社などから1,000万香港ドル(約1億7千万円)規模のオファーが相次いだ。

リンチェイとゴールデン・ハーベストの間にはまだわだかまりが残っていたものの、二者は利害の一致から再度手を組むこととなる。

ゴールデン・ハーベストはリンチェイによる『黄飛鴻』第3弾製作による利益、そしてリンチェイは羅大衛との訴訟問題をゴールデン・ハーベストに解決してもらうことで手を打ったのだ。

このことで、ようやくリンチェイは羅大衛から解放され、新たに身内である義理の兄がマネージメントを担当することになった。

市場が冷めないうちに、すぐにでも『黄飛鴻』シリーズの3作目の撮影を開始したかったゴールデン・ハーベストだが、徐克は他の作品にかかり、リンチェイは北京にいて出国に関して問題が発生し、身動きが取れない事態となっていた。

あせったゴールデン・ハーベストは、2年前に撮影され未公開のままだった『龍行天下』を、『黄飛鴻’92之龍行天下(ハード・ブラッド)』として、現代版『黄飛鴻』という位置づけで市場に投下する。

しかし、5月28日に香港公開されたものの、思惑は外れ、800万香港ドルと惨敗を喫する。

黄飛鴻'92之龍行天下(ハード・ブラッド)

利智(ニナ・リー)の引退と実業家転身

またこの頃、リンチェイとの交際を続けていた利智(ニナ・リー)は、精神的にボロボロだった彼を傍で支えようと芸能界からの引退を決意。

92年5月公開の『特異功能猩求人』をもって、芸能界から去った。

リンチェイは、すべての資産を前妻へと渡していたので経済的な余裕はなかった。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

利智は故郷である上海を拠点に、不動産事業へ中国やアメリカの会社とともに、7,000万米ドルにも及ぶ大規模な投資を行う。

特に山東省の海韻花園へは1,000万米ドルの投資を行い、周囲を驚かせた。

しかし、事業はそう簡単にはいかず、結果的に多額の負債を抱えてしまう。

こちらの記事もよければどうぞ ≫利智(ニナ・リー/Nina Li Chi)画像ギャラリー

永盛娯楽

リンチェイは、その返済のため、奔走。

友人の伝手で永盛娯楽映画会社を頼る。

永盛娯楽映画会社は向華勝がトップの黒社会系の会社で、その弟の向華強『賭神』(ゴッド・ギャンブラー)のドラゴン役で有名)は、黒社会の大物とも言われていた。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

永盛娯楽とは、2年間で6本の映画を撮影、1本当たりの出演料は1,200万、総額7,200万香港ドル(約920万米ドル、日本円で約12億円)という契約を結び、前金として総額の50%にあたる3,600万香港ドルを受け取り、利智へ手渡した。

本家・黄飛鴻 始動

その後、リンチェイが出演できなかった、徐克の『新龍門客桟(ドラゴン・イン)』が7月11日、台湾で公開され大ヒットを記録(年間で8位。台湾では『男兒當自強』よりもヒットした)。

そのヒットを見届けた徐克がいよいよ黄飛鴻シリーズ第3作目となる『黄飛鴻3 獅王争霸(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇)』の製作に乗り出す。

ドラゴン・イン/新龍門客棧(1992)

ゴールデン・ハーベストは、同時に黄飛鴻シリーズのスピンオフ作品といえる『少年黄飛鴻之鐵馬騮(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝/アイアンモンキー)』も企画。

掛け持ちとなる徐克(ツイ・ハーク)は、『鐵馬騮』では製作・脚本にまわり、監督を袁和平(ユエン・ウーピン) に任せ、主演に甄子丹(ドニー・イェン)を起用することになった。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ外伝 アイアンモンキー/少年黄飛鴻之鐵馬騮(1994)

従来通り徐克が監督を務める本家黄飛鴻『獅王争霸』は、武術指導に元彬(ユン・ブン) を起用し、關之琳(ロザムンド・クワン)、莫少聰(マックス・モク)、熊欣欣(ホン・ヤンヤン)とシリーズ顔なじみのメンバーが招集された。

しかし、肝心なリンチェイは出国問題で北京を離れられず、連絡も取れない状況にあった。

期間に余裕のないゴールデン・ハーベストは、北京で撮影することにし、それに合わせて脚本を変更。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

徐克ら撮影隊の一行は、リンチェイと連絡が取れないまま北京へ向けて北上を開始した。

正東製作有限公司(イースタン・プロダクション)

一方、永盛娯楽との契約を済ませたリンチェイは、なんとかして自らの映画会社を立ち上げようと奔走していた。

大陸人であるがゆえに受けてきた数々の不平等や不条理、香港映画界の闇。

こうしたことからも、大陸で会社を立ち上げ、香港へと配給しようと考えていた。

しかし、永盛の報酬は返済に充てなければならないため、会社を設立する資金が必要だった。

再び、資金集めに奔走するリンチェイの前に、一人の人物が現れる。

台湾映画界の奇人といわれる楊登魁だった。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

楊登魁はリンチェイと一度も面識がないまま投資を決定。

1本1,000万香港ドルで、3本分の版権を買い、3,000万香港ドルを一括でリンチェイに渡す。

こうして、資金面をクリアしたリンチェイは自らの映画会社「正東製作有限公司(イースタン・プロダクション)」を晴れて設立。

「正東」の「正」は「五」を表し、武術大会での5回優勝、家では5番目の子供、とリンチェイにとっての縁起が良い数字で、会社名に「五」を使うのは好ましくないということから、「正」の字が使われ、東方を意味する「東」の字が加えられた。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

ようやく、苦難の道に光明を見出したリンチェイは、既に契約済みの10本の作品を撮るべく、最初の作品『獅王争霸』撮影隊と合流する。

楊登魁

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

楊登魁は、台湾芸能界の大物で、1938年に台湾で生まれ、若くして黒社会の一員となり、殺人罪で服役。75年の仮釈放後に映画界へ身を投じ頭角を現す。

1985年にも投獄され88年に釈放。その後、台湾三大黒社会組織の一つ「天道盟」の最高顧問に就任(現在は引退)。

さらに、飲食業・証券業・映画製作・映画館経営・賭博場・株式売買など手広く事業を展開し、89年には梁朝偉(トニー・レオン)の『悲情城市』を製作し、ヴェネツィア国際映画祭にて「金獅子賞」を獲得し高く評価される。

その後も、テレビ局・八大電視(GTV)の創立をはじめ、芸能関係の大会社を複数立ち上げ、要職を歴任。

いまや台湾芸能界の大ボスとして君臨し、2011年には数十億を投じ、柏合麗娯楽伝媒集団((Polyface Entertainment Media)を立ち上げ、台湾を映画王国にする計画を発表した。

『獅王争霸』

92年7月末、ようやく北京でリンチェイと合流した徐克率いる撮影隊は、『獅王争霸』をクランクインさせる。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

大陸ロケは、人手不足や機材も不足し、撮影隊にとっては難題続きであった。

また、同時に『鐵馬騮』の撮影が進行していることも人材不足に拍車をかけた。

リンチェイは、撮らなければならない作品が山積みで、自身の「正東製作」創業作である『方正玉(レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 格闘飛龍)』の撮影を9月半ばに控えていた。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

プロデューサーの吳思遠(ウー・シーユェン) の助言で、掛け持ちはせず、一作品に集中し短期で仕上げるのがベストだと言われたリンチェイは、大きな怪我もなくハイスピードで撮影をこなしていった。

『ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-』のエピソードショット

『黄飛鴻之三 獅王争霸(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇)』基本データ

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇/獅王争霸(1992)

【製作会社】 嘉禾電影(ゴールデン・ハーベスト)、電影工作室、嘉峰電影
【製   作】 徐克(ツイ・ハーク)、吳思遠(ウー・シーユェン)
【監   督】 徐克(ツイ・ハーク)
【武術指導】 元彬(ユン・ブン)

【出   演】 
李連杰(ジェット・リー)、關之琳(ロザムンド・クワン)、莫少聰(マックス・モク)、
熊欣欣(ホン・ヤンヤン)

【撮影期間】 1992年7月~9月頃(推定)
【公   開】 
台湾:1992-12-24、韓国:1993-01-14、香港:1993-02-11、
日本:1993-09-27(東京国際映画祭「アジア秀作映画週間」)
【興行成績】 香港:2,750万HK$(7位)

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カテゴリ: 功夫皇帝-ジェット・リー物語.

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4 件のコメント

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  1. tera-chan says

    ご無沙汰しております!

    「ジェットリー物語」、私も興味深く拝見させていただきました。

    ミニ情報と言っては何ですが、「黄飛鴻之三 獅王争霸」は1994年の東京国際映画祭ではなく、
    第6回東京国際映画祭「アジア秀作映画週間」、1993年9月27日(月)19:20~渋谷シアターコクーンで上映されました。

    私も当時見に行きましたが、最後の紫禁城の獅子舞の合戦のところで、突然10分間ほどフィルムが止まってしまうと言うハプニングがありました。(もう20年前ぐらいの事なんですね…)

    この数ヶ月前には横浜で「ツイ・ハークの世界」と銘打って、ツイ監督や豪華なゲストを呼んで、映画祭が開かれたり、本当に良い時代でしたね。

    それでは「ジェットリー物語」、続きを楽しみにしてますので、がんばって下さいね!!

    • kungfufan says

      tera-chanさん、おひさしぶりです!

      「獅王争霸」の公開情報ありがとうございます☆
      しかもそんなハプニングが(笑)
      それにしてもそれを実際に観に行ってるとは・・・さすが!

      私は、お恥ずかしながら当時はもっぱらレンタルで・・・
      その反省を込めて記事を書いてます(^_^;)

      あ、twitterのフォローありがとうございます。
      ただ、何もつぶやいてませんが(汗)
      使い方もわからないので、しばらく放置だと思います。すいません(;д;)

  2. junfan says

    はじめまして!
    ジェットリー物語、大変興味深く読ませて頂きました
    あの純朴で、いかにも好青年な笑顔の裏に
    色々な事があったんですねぇ

    ジェットリー物語
    このあとも続くんでしょうか?
    楽しみにしてます!
    他にも面白そうな動画が満載で
    実は毎日おじゃまさせて頂いてます
    以後お見知りおきを!

    • kungfufan says

      junfanさんはじめまして。
      このあとも一応続く予定ですが、
      クライマックスを過ぎたので、これ以降は
      さほど深いエピソードは書けないかも・・・

      あとサイト名とは裏腹に、動画収集には
      あまり力を入れてないので、最新の動画や
      リンク切れの修正などは出来ていませんが、
      そちらも落ち着いたらなんとかします(´_`。)

      そんな感じですが、これからもよろしくお願いします☆



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