ジェット・リーこと李連杰がマネージャー羅大衛との訴訟問題の最中、友人・蔡子明を亡くし、同時に映画出演も喪失。
悲嘆に暮れるジェットをよそに、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』が大ヒットし、高い評価を受ける時期です。(1992年)
『ワンチャイ 天地大乱』がヒットする中、蔡子明という後ろ盾を失ったジェット。契約問題の影に黒社会の影がちらつき始め・・・
羅大衛
リンチェイが解決しなければならない問題。
それは、89年に10年間のマネージメント契約を結んでしまった羅大衛との関係解消である。
契約問題の元凶ともいえるこの人物と、これ以上関わるわけにはいかなかった。
リンチェイのマネージャーとしてではなく、ブローカーとして双方から利益を搾取し、リンチェイの信頼を大きく裏切り続けた羅大衛に対して、リンチェイはマネージメント契約の解除を要求する。
これに対して、羅大衛は3つの条件を提示。
1つ目は、以前リンチェイに借りた10万米ドル(約1,300万円)については返済を免除すること。
2つ目は、今後ゴールデン・ハーベストで映画を撮る際には、手数料を支払うこと。
3つ目は、以後10年間で撮影するすべての作品に対して手数料を支払うこと。
到底受け入れることのできない条件を蹴って、リンチェイは再び羅大衛に解約を要求。
すると今度は、羅大衛が投資する映画を1本撮ることを要求してくる。
またしても、リンチェイにとって受け入れることのできない条件だった。
こうしてまたしても契約問題で揉めることになってしまっていたのだ。
そんな中で、ゴールデン・ハーベストとの一件が蔡子明(ジム・チョイ)の働きによって解決したのだが、これは羅大衛につけ入る隙を与えてしまうことになる。
実は、その過程で、リンチェイが羅大衛とのマネージメント契約がまだ有効だったのにも関わらず、蔡子明とも契約を結んでしまっていたのだ。
これを羅大衛は見逃さず、正式に裁判所にこの違約を告訴。
かつて、羅大衛の父親・羅維(ロー・ウェイ)と成龍(ジャッキー・チェン)がそうだったように、泥沼の法廷劇へと発展していった。
しかし、蔡子明は至って冷静で、焦りや恐れなどは微塵も感じられず、リンチェイを安心させた。
『新龍門客桟(ドラゴンイン)』とスタローン①
この頃、蔡子明の富藝公司ではリンチェイと新作映画『新龍門客桟』を準備中で、国際市場へ進出する計画を立てていた。
これは、1967年に公開された巨匠キン・フー監督の傑作『龍門客桟(残酷ドラゴン 血闘竜門の宿)』のリメイク作で、その共演者として、結婚を機に映画界を退いていた楊紫瓊(ミシェル・ヨー)が、この作品で映画界への復帰を果たすことになっていた。
さらに蔡子明は、シルベスター・スタローンとリンチェイの共演作を計画し、すでにスタローン側の了承を取り付け、あとは脚本を検討する段階まで来ていた。
これはもともと、中国武術を国際的にも広めたいと思っていたリンチェイにとってもまたとないチャンスだった。
映画出演についても、リンチェイがこれまで苦しめられてきた「契約書」という縛りはなく、お互いを信頼し合ったうえで、口頭での「契約」がすでに成立していた。
幻の2作品はこちら。
■2012年5月25日更新
『新龍門客桟』■2012年5月25日更新
『デモリションマン(推定)』
友人・蔡子明
92年4月15日の夕方、リンチェイは『男兒當自強(ワンチャイ 天地大乱)』のプレミアに出席後、蔡子明と夕食を共にしていた。
蔡子明は『男兒當自強』でのリンチェイの動きを称賛し、この新しいアクションを、新作『新龍門客桟(ドラゴン・イン)』でも観客に見せたいといった。
リンチェイと蔡子明はこれからの展望や新しい構想・アイデアについて4時間に渡って語り合い、楽しい一時を共に過ごした。
2人はまだ出会って数か月の関係だったが、映画づくりに関して意気投合し、お互いに認め合い、理想を共有できる間柄になっていた。
しかし、映画以外のことについては話さなかったので、いまだに蔡子明について知っていることはほとんど無かった。
それでも蔡子明はリンチェイにとって、映画界で友人と呼べる数少ない人間だった。
悲劇
そして悲劇は起こった。
その翌日、92年4月16日早朝。
蔡子明が富藝公司へ入るためエレベーターから降りた瞬間、2人組の男が蔡子明の頭部へ数発の銃弾を浴びせた。
8時40分、リンチェイのもとへ蔡子明が絶命したとの電話が入る。
あまりの驚きに、リンチェイは電話機を置くことも出来ず、半信半疑のまま立ちすくみ茫然とした。
ほんの十数時間前、二人で交わした会話や笑い声がまだ耳に残っていた。
事件発生の2日後、犯人と名乗る男から新聞社へ電話が入った。
彼は「我々は中国の黒社会の人間で、ある香港の映画監督から、100万香港ドルで蔡子明の殺害を依頼され実行。しかし、50万しか支払われなかったので真相を暴露した。これから中国へ戻る。」と語る。
それ以降、連絡もなく、犯人は依然として捕まらなかったため事件は迷宮入り。その電話の主が本当の実行犯かもわからないままとなった。
公式発表では、蔡子明個人のオランダでの取引のもつれが原因とされた。
この事件が起きたことにリンチェイの存在が関係していたのかは不明だが、黒社会系の映画会社宏發電影からリンチェイを貸し出すよう言われた蔡子明が、それを断ったために殺害されたのだという関係者もいた。
実際に、事件後には多くの映画関係者らが警察の聴取を受け、リンチェイに至ってはホテルに避難、警察の護衛がつく事態となった。
90年代に入り香港では、映画産業においての黒社会の活動が活発化し、その息のかかった映画会社が数多く設立されていた。
大物芸能人がその影響を受けることも少なくなかった。
強制出演させられた例としては、最近では成龍、洪金寶、劉徳華、梁家輝らが『火燒島(炎の大捜査線)』に。
劉徳華、王祖賢の『衝撃天子門生(暗黒英雄伝)』のように、島に監禁された上、銃で脅されて撮影されるといったこともあった。
この年92年の1月には、成龍や徐克といった香港芸能人が結集し、「反黒社会」のスローガンを掲げ大規模なデモ行進を行っていた。
また、対立する黒社会系の組織同士(宏發電影と永盛電影)の抗争も激化しており、蔡子明の事件後も映画界を巻き込んで多くの事件が起こっていた。
様々な憶測や噂が流れたが、リンチェイはただただ友人の死を悲しんだ。
蔡子明の話をされると、いつも「蔡兄さん・・・」と喉の奥をつまらせ、涙を浮かべ茫然自失で空を眺めるだけだった。
そんな悲劇とは裏腹に、『黄飛鴻之二 男兒當自強(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱)』は第1作目に続き大ヒット。
最終的に年間では12位となったものの、興行収入は前作を超える3,000万香港ドルを叩き出す。
決して精神的に万全の状態ではなかったが、この作品は屈指の完成度を誇り、リンチェイの代表作となった。
また、リンチェイが現場復帰後に撮った甄子丹(ドニー・イェン)とのラストバトルは、黄飛鴻映画のみならず、香港功夫映画史上においても歴史に残る名バトルとなる。
『新龍門客桟(ドラゴンイン)』とスタローン②
悲しんでばかりはいられなかった。
後ろ盾だった蔡子明が居なくなってしまったことで、リンチェイは羅大衛との争いで劣勢に追い込まれてしまう。
それでも、自分が勝つことを信じて、決して諦めないと決めたリンチェイは、蔡子明に受けた恩に報いる意味でも、新作『新龍門客桟』に全力を注ぎ、必ずや成功させてみせると心に誓った。
富藝公司は、リンチェイ・楊紫瓊(ミシェル・ヨー)・莫少聰(マックス・モク)ら出演陣と記者会見を開き、『新龍門客桟』の製作を発表。
しかし、その数日後の4月23日。
富藝公司の態度が一変。
「李連杰との出演契約はあくまで蔡子明個人と李連杰の間で交わされた私的な口約束であり、富藝公司とリンチェイが書面によって正式に契約した事実はない。」と発表した。
また、蔡子明と李連杰のマネージメント契約についても、私的なものであり、あくまで契約上のマネージャーは羅大衛であるとの見解も示されてしまう。
皮肉なことに、これまで契約書という紙に苦しんできたにも関わらず、今度はその紙がないことで窮地に陥ってしまったのだ。
リンチェイは頼りになる友人を失っただけではなく、富藝公司での映画出演、もちろんスタローンとの共演作も全て失ってしまった。
リンチェイと羅大衛の訴訟に巻き込まれるのを避けたかっただけなのか、それとも黒社会からの脅しや圧力があったのか、富藝公司の発表の裏にどのような背景があるのかは定かではなかった。
ふたたび希望を失ったリンチェイは沈んだ気持ちのまま、故郷へとひっそり帰って行くのだった・・・
『新龍門客桟(ドラゴンイン)』
スチール写真まで撮影されたにもかかわらず実現しなかったジェット・リー主演の『新龍門客桟』。
それと時を同じくして、吳思遠(ウー・シーユェン)の思遠影業(シーゾナル・フィルム)が徐克(ツイ・ハーク)製作による同名作品を計画していました。
実は、こちらの作品でもジェット・リーが主演候補だったようです。
詳しい情報は、
【ジェット・リー 幻の作品集】NO.7『新龍門客桟』2つのドラゴン・イン
の記事をご覧ください。
最終的にこちらの作品にもジェットの出演は叶いませんでしたが、監督・李惠民(レイモンド・リー) 、武術指導・程小東(チン・シウトン)、張曼玉(マギー・チャン)、林青霞(ブリジット・リン)、梁家輝(レオン・カーフェイ)、甄子丹(ドニー・イェン)、熊欣欣(ホン・ヤンヤン)出演と、『ワンチャイ 天地大乱』メンバーや徐克作品になじみのある面子を揃えて製作されることに。
台湾では92年7月11日に公開、台湾では『ワンチャイ 天地大乱』を超える大ヒット(年間8位)。
翌月に公開された香港でも2,150万HKドルを稼ぎヒットを記録します(年間16位)。
やっぱり、ジェット・リーとミシェル・ヨーの『新龍門客桟』も見たかった気がしますね~。
そして、それから約20年後・・・
なんとジェット・リーが徐克とその『新龍門客桟』の続編的な作品『龍門飛甲』を製作!
2011年末に公開されたこの大作は、3,500万USドル(約29億円!)という製作費をかけ、武侠映画としては初のオール3D作品となりました。
実はこの作品も当初は甄子丹(ドニー・イェン)のもとに話が行ったそうですが(近年の人気を考えると当然か・・・)、そのオファーを断ったためジェットが主役になったという話も。。。
ちなみに、興行成績では同時期に公開されたチャン・イーモウ監督の『金陵十三釵(ザ・フラワーズ・オブ・ウォー)』が6億元(約73億円)で1位だったのに対し、『龍門飛甲』は5億6千万元(約68億円)で2位と敗れはしたものの、『金陵十三釵』は製作費が6億元ということから考えても、商業的には『龍門飛甲』の圧勝だったと言えます。
いずれにしても、20年ぶりの実現よかったですね☆
再生時間 7:11
再生時間 1:35
再生時間 2:07
シルベスター・スタローンとの共演
この時期、実現しなかったシルベスター・スタローンとリンチェイの共演。
こちらも約20年の時を経て、『エクスペンダブルズ』で実現することとなります。
なんとも運命的ですね~。
先ほどの『龍門飛甲』もそうですが、やはりジェット・リーの胸中には、蔡子明と共に果たせなかった想いが長年秘められていたのでしょうか。
この当時は、まだ脚本選定段階だったようなので、幻のスタローン共演作がどのようなものだったかはわかりませんが、この件以前にスタローンが撮った『オスカー』、『刑事ジョー ママにお手上げ』では、それまでの作品とは違った路線を模索していました。
また、香港映画人がハリウッドへ進出するのは、まだ数年後のことなので、もしこれが実現していたら大きな出来事だったことは間違いないでしょうね。
そして、2012年『エクスペンダブルズ2』で再び共演することに。。。
再生時間 1:25
再生時間 2:22
本サイト内の関連記事
- 【次の章へ進む】
ジェット・リー物語【第14章】再始動 -1992-
|李連杰がようやく訴訟問題などから解放。シリーズ第3弾の『ワンチャイ 天地争覇』を撮影しながら自身の映画会社「正東製作」を立ち上げた時期です。 - 【前の章へ戻る】
ジェット・リー物語【第12章】雲隠れ -1992-
|李連杰が徐克と黄飛鴻シリーズ第2弾の『ワンチャイ 天地大乱』を撮影中、契約問題から失踪。その後友人の助力で和解し、名作を作り上げる時期です。 - 【総合MENU】へ
功夫皇帝-ジェット・リー物語 - 【関連作品】
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱/男兒當自強(1992) - 【関連コンテンツ】
幻の李連杰(ジェット・リー)作品集 - 【関連コンテンツ】
ジェットリー興行成績一覧
0 件のコメント
(この記事のコメントの RSS を購読する)