華々しくハリウッドデビューを飾り、初主演作も撮り終えたジェット・リーは、ニナ・リー(利智)と10年越しの愛を実らせ結婚の約束を果たす。
出演オファーが殺到する中で、妊娠中の妻と共に時間を過ごすため、俳優業を休止。
その後復帰したジェットは、リュック・ベッソンと出会い、新作を撮ることに。。。
10年の約束と活動休止
ハリウッド初主演映画である『ロミオ・マスト・ダイ』撮影終了から約2か月。
1999年9月19日(14日説もあり)、ジェットはニナ・リー(利智)との「10年の約束」を果たし、ロサンゼルスでついに結婚。(占い師に36歳になったら結婚するように言われたからという説もあり。)
香港で開かれた記者会見でニナは言った。
「彼と結婚できて、もうこの世には悔いはないわ。」
すでにこの時、ニナのお腹には新たな命が宿っていた。。。
結婚後間もなく、以前アン・リー(李安)監督から打診のあった、『グリーン・デスティニー(臥虎藏龍)』でのリー・ムーバイ役のオファーを受けることに。
しかし、その後ジェットは一度受けたオファーを降板してしまう。
理由は妻ニナ・リーの妊娠で、
「お腹の大きい間は仕事を休んでそばにいてあげる」
という妻との約束を守るためにはスケジュール的に無理だったためだ。
この頃、ジェットには他にもハリウッドからの出演オファーが相次いでいた。
ウェズリー・スナイプスとの共演作や、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』のジャンゴ・フェット役などの噂も。
結局、5作品ものハリウッドからのオファーがあったが、すべて断った。
そして妻との約束通りジェットは映画出演を一旦休止。その後約1年間、妻と一緒の時間を過ごすこととなる。
後に『グリーン・デスティニー』が世界的な大ヒットを記録した時、ジェットは言った。
「いい映画を撮ることはできるけど、家族への責任を果たせるときはその時しかないからね。」
そう言ったジェットの表情に、後悔はまったく無かった。。。
ジェット・リー幻の出演作
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【李連杰幻作品】NO.13
『グリーン・デスティニー』
-
【李連杰幻作品】NO.14
『(ウェズリー・スナイプス共演作)』
-
【李連杰幻作品】NO.15
『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』
『ロミオ・マスト・ダイ』公開と活動再開
活動休止から約半年後の2000年3月。いよいよジェットのハリウッド初主演作品『ロミオ・マスト・ダイ』が全米公開される。
オープニング週第2位と好発進し、最終的にはアメリカで5,600万ドル(61.5億円)、全世界では9,100万ドル(約100億円)を稼ぎ出すヒットとなった。
ジェットはあらためて、ハリウッド市場の規模の違いを目の当たりにした。
1997年、香港で4位の興行収入をあげた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲』の香港での興行収入が380万ドル(約4億円)ほどだったことを考えると、これはとてつもない金額だったのである。
このヒットにより、活動再開を控えたジェットのもとへは、さらに多くの出演オファーが殺到することになる。
それから1か月後の2000年4月19日。妻ニナ・リーが長女Janeを無事出産。
またジェットは、この年アメリカ国籍を取得する。
こうしてジェットは、再び芸能活動を本格的に再開し始めることとなった。
5月8日には公開に合わせて来日し、当時噂が出ていた『カンフー・ダンシング』、『マトリックス』の続編、『グリーン・ホーネット』、『ファースト・キング』などの作品についても語り、今後のハリウッドでの活躍を大いに予感させた。
ジェット・リー幻の出演作
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【李連杰幻作品】NO.16
『カンフー・ダンシング』
-
【李連杰幻作品】NO.17
『マトリックス続編』
-
【李連杰幻作品】NO.18
『グリーン・ホーネット』
-
【李連杰幻作品】NO.19
『ファースト・キング』
ベッソンとの出会い
ニナの出産から2か月ほど経過した2000年6月。みたびジョエル・シルバーと組む予定の次回作の撮影まで、まだ半年ほどの時間があった。
月の終わり頃、マネージャーのSteve Chasman(スティーヴ・チャスマン)から連絡が入る。
『ニキータ』や『レオン』の監督として知られるフランスのヒット・メーカー、リュック・ベッソンが来ていて、ジェットに会いたがっているというのだ。
興味を持ったジェットは、翌7月にロスのベッソンのオフィスへ出向き、彼と会ってみることに。
それは、ジェットは、ヨーロッパでの映画作りについて、ベッソンは香港の映画作りについて互いに意見を交わすという貴重な体験だった。
わずか2時間あまりではあったが、お互いに通じるところがあり、すっかり意気投合した二人。
ジェットがたまたまスケジュールが6か月間空いているというと、ベッソンは「じゃあ、もしパリに来てくれればその間に1本映画を作ってみせるよ」と答える。
こうして、話は急展開。製作にはジェットも加わることとなり、新作映画の製作が急遽、始まることになった。
急ピッチで進む製作準備
ジェット・リーのアイディアを元に、ベッソンは『フイフス・エレメント』以来の10年来の友人で脚本家のロバートマーク・ケイメンと共同で脚本を3週間ほどで執筆。
脚本の執筆が進み ロケハンが始まると、ベッソンは共演者のキャスティン グに取り掛かる。
ヒロインのジェシカ役は、ブリジット・フォンダにアプローチ。未完の脚本で、自分がどんな役柄かもわからないうちに、フォンダは出演を快諾。ベッソンへの信頼とジェットと共演することへの興味がそうさせたのだ。
続いてベッソンは、ベテラン俳優のチェッキー・カリョをキャスティング。カリョもフォンダと同じく執筆中の脚本を読むことができなかったが、ベッソンへの信頼からオファーを快諾。
そして監督には、いまだ長編映画を1本も撮ったことのない若手監督クリス・ナオンを抜擢。これにはクリス本人が最も驚いたという。
一方、ジェットはアクション監督として、これまでにも何本もタッグを組んできた元奎(コーリー・ユン)を呼んだ。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影と市場価値
それからわずか6週間ほど後の9月25日、総予算2,500万ドルで、新作『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影が早くも開始された。
中国人、アメリカ人、そしてフランス人が入り混じる現場に最初はとまどうジェットだったが、すぐに順応。
しかし、ベッソンをはじめとする製作スタッフは気が気がじゃなかった。
なぜなら、ジェットを拘束できるのは12月31日までだったため、15週間で撮影を完了させなければならなかったからだ。
それからは、毎分、毎秒が時間との闘いとなった。
ただ、唯一どうにもならない天気が味方をしてくれたことが幸いし、撮影は快調に進んでいった。
『リーサル・ウェポン4』でのハリウッドデビュー以来、ジェットのもとへは出演オファーが絶えず来ていた。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影中、ジェットは数か月前に貰った、あるオファーへの決断を迫られていた。
ジョエル・シルバーが製作した1999年の大ヒット映画『マトリックス』の続編、『マトリックス リローデッド』と『マトリックス レボリューションズ』へのオファーである。
『マトリックス』は6,300万ドルというハリウッド映画としてはさほど大きくない製作費で作られたにもかかわらず、全世界で4億6千万ドルを稼ぎ出したメガヒット作品。
実は、続編が製作決定された当初から、ジェットのもとへ出演オファーがあったのだが、1本当たり1億5.000万ドルと製作費が倍増したにもかかわらず、製作費の多くはすでにキアヌ・リーブス、ウォシャウスキー兄弟、ジョエル・シルバーらのギャラに消えており、ジェットに対して提示されたギャラは、映画2本と関連ゲーム(『エンター・ザ・マトリックス』)用の映像合わせて300万ドル(3億1500万円)程度だった。
これは、ジェット・リー側が求めた2本1,300万ドル(13億6,500万円)の出演料とは大きくかけ離れており、交渉は決裂。
結局、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』撮影中の11月、正式に出演を辞退することになった。
一方、撮影中の『キス・オブ・ザ・ドラゴン』では、ジェットは950万ドル(10億円)の出演料に加え、公開後のインセンティブによるオプションの契約を結んでいたため、後の欧米での成功により、巨額の報酬を得ることとなった。
また、この後出演が決まっていた『ザ・ワン』でも同様に、950万ドル(10億円)の出演料を受け取ることになっており、既にハリウッド初出演の時から倍以上の市場価値となっていた。
結局、ジェットに断られた『マトリックス』シリーズの続編は、楊紫瓊(ミシェル・ヨー)へとオファーが行ったがこちらも叶わず、最終的には倪星(コリン・チョウ)が参加することになった。(ジェットへのオファーは、タイのキック・ボクシングの使い手、セラフ役、ゴースト役など諸説あり。また、前作『マトリックス』では、チョウ・ユンファがモーフィアス役の役のオファーを受けていたが同様に断っていた。)
愛する母の死
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影中には非常に悲しい出来事も起こった。
ある日のこと、ジェットのもとに姉から電話が入った。母親が重病だというのだ。
なぜすぐに連絡をしなかったんだ、と姉を問い詰めるジェット。
しかし、それは母親の指示だった。
「あの子は子供の頃から死んだ人を見るのを怖がる子だったから、帰って来るように言ってはダメよ」と。
この年、ジェットの愛する母親はこの世を去る…(2002年とする説もあります。)
そして年明け2001年1月10日。ジェットは『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影を終えた。。。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』基本データ
【配給会社】 20世紀フォックス
【製 作】 リュック・ベッソン、ジェット・リー(李連杰)、他
【監 督】 クリス・ナオン
【武術指導】 元奎(コーリー・ユン/ユン・ケイ)
【出 演】 ジェット・リー(李連杰)、ブリジット・フォンダ、チェッキー・カリョ、ローレンス・アシュレイ
【撮影期間】 2000年9月~2001年1月
【製 作 費】 $25,000,000(約27.5億円)
【公 開】 アメリカ:2001-07-06、フランス:2001-08-01、日本:2001-08-25
【興行成績】
全米:$36,845,124(約40.5億円) 年間ランキング66位 オープニング成績4位
全世界:$64,437,847(約71億円) 年間ランキング66位
再生時間 1:53
再生時間 1:39
【李連杰幻作品】NO.13
『グリーン・デスティニー』
【李連杰幻作品】NO.14
『(ウェズリー・スナイプス共演作)』
【李連杰幻作品】NO.15
『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』
活動休止から約半年後の2000年3月。いよいよジェットのハリウッド初主演作品『ロミオ・マスト・ダイ』が全米公開される。
オープニング週第2位と好発進し、最終的にはアメリカで5,600万ドル(61.5億円)、全世界では9,100万ドル(約100億円)を稼ぎ出すヒットとなった。
ジェットはあらためて、ハリウッド市場の規模の違いを目の当たりにした。
1997年、香港で4位の興行収入をあげた『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲』の香港での興行収入が380万ドル(約4億円)ほどだったことを考えると、これはとてつもない金額だったのである。
このヒットにより、活動再開を控えたジェットのもとへは、さらに多くの出演オファーが殺到することになる。
それから1か月後の2000年4月19日。妻ニナ・リーが長女Janeを無事出産。
またジェットは、この年アメリカ国籍を取得する。
こうしてジェットは、再び芸能活動を本格的に再開し始めることとなった。
5月8日には公開に合わせて来日し、当時噂が出ていた『カンフー・ダンシング』、『マトリックス』の続編、『グリーン・ホーネット』、『ファースト・キング』などの作品についても語り、今後のハリウッドでの活躍を大いに予感させた。
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『カンフー・ダンシング』 -
【李連杰幻作品】NO.17
『マトリックス続編』 -
【李連杰幻作品】NO.18
『グリーン・ホーネット』 -
【李連杰幻作品】NO.19
『ファースト・キング』
ベッソンとの出会い
ニナの出産から2か月ほど経過した2000年6月。みたびジョエル・シルバーと組む予定の次回作の撮影まで、まだ半年ほどの時間があった。
月の終わり頃、マネージャーのSteve Chasman(スティーヴ・チャスマン)から連絡が入る。
『ニキータ』や『レオン』の監督として知られるフランスのヒット・メーカー、リュック・ベッソンが来ていて、ジェットに会いたがっているというのだ。
興味を持ったジェットは、翌7月にロスのベッソンのオフィスへ出向き、彼と会ってみることに。
それは、ジェットは、ヨーロッパでの映画作りについて、ベッソンは香港の映画作りについて互いに意見を交わすという貴重な体験だった。
わずか2時間あまりではあったが、お互いに通じるところがあり、すっかり意気投合した二人。
ジェットがたまたまスケジュールが6か月間空いているというと、ベッソンは「じゃあ、もしパリに来てくれればその間に1本映画を作ってみせるよ」と答える。
こうして、話は急展開。製作にはジェットも加わることとなり、新作映画の製作が急遽、始まることになった。
急ピッチで進む製作準備
ジェット・リーのアイディアを元に、ベッソンは『フイフス・エレメント』以来の10年来の友人で脚本家のロバートマーク・ケイメンと共同で脚本を3週間ほどで執筆。
脚本の執筆が進み ロケハンが始まると、ベッソンは共演者のキャスティン グに取り掛かる。
ヒロインのジェシカ役は、ブリジット・フォンダにアプローチ。未完の脚本で、自分がどんな役柄かもわからないうちに、フォンダは出演を快諾。ベッソンへの信頼とジェットと共演することへの興味がそうさせたのだ。
続いてベッソンは、ベテラン俳優のチェッキー・カリョをキャスティング。カリョもフォンダと同じく執筆中の脚本を読むことができなかったが、ベッソンへの信頼からオファーを快諾。
そして監督には、いまだ長編映画を1本も撮ったことのない若手監督クリス・ナオンを抜擢。これにはクリス本人が最も驚いたという。
一方、ジェットはアクション監督として、これまでにも何本もタッグを組んできた元奎(コーリー・ユン)を呼んだ。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影と市場価値
それからわずか6週間ほど後の9月25日、総予算2,500万ドルで、新作『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影が早くも開始された。
中国人、アメリカ人、そしてフランス人が入り混じる現場に最初はとまどうジェットだったが、すぐに順応。
しかし、ベッソンをはじめとする製作スタッフは気が気がじゃなかった。
なぜなら、ジェットを拘束できるのは12月31日までだったため、15週間で撮影を完了させなければならなかったからだ。
それからは、毎分、毎秒が時間との闘いとなった。
ただ、唯一どうにもならない天気が味方をしてくれたことが幸いし、撮影は快調に進んでいった。
『リーサル・ウェポン4』でのハリウッドデビュー以来、ジェットのもとへは出演オファーが絶えず来ていた。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影中、ジェットは数か月前に貰った、あるオファーへの決断を迫られていた。
ジョエル・シルバーが製作した1999年の大ヒット映画『マトリックス』の続編、『マトリックス リローデッド』と『マトリックス レボリューションズ』へのオファーである。
『マトリックス』は6,300万ドルというハリウッド映画としてはさほど大きくない製作費で作られたにもかかわらず、全世界で4億6千万ドルを稼ぎ出したメガヒット作品。
実は、続編が製作決定された当初から、ジェットのもとへ出演オファーがあったのだが、1本当たり1億5.000万ドルと製作費が倍増したにもかかわらず、製作費の多くはすでにキアヌ・リーブス、ウォシャウスキー兄弟、ジョエル・シルバーらのギャラに消えており、ジェットに対して提示されたギャラは、映画2本と関連ゲーム(『エンター・ザ・マトリックス』)用の映像合わせて300万ドル(3億1500万円)程度だった。
これは、ジェット・リー側が求めた2本1,300万ドル(13億6,500万円)の出演料とは大きくかけ離れており、交渉は決裂。
結局、『キス・オブ・ザ・ドラゴン』撮影中の11月、正式に出演を辞退することになった。
一方、撮影中の『キス・オブ・ザ・ドラゴン』では、ジェットは950万ドル(10億円)の出演料に加え、公開後のインセンティブによるオプションの契約を結んでいたため、後の欧米での成功により、巨額の報酬を得ることとなった。
また、この後出演が決まっていた『ザ・ワン』でも同様に、950万ドル(10億円)の出演料を受け取ることになっており、既にハリウッド初出演の時から倍以上の市場価値となっていた。
結局、ジェットに断られた『マトリックス』シリーズの続編は、楊紫瓊(ミシェル・ヨー)へとオファーが行ったがこちらも叶わず、最終的には倪星(コリン・チョウ)が参加することになった。(ジェットへのオファーは、タイのキック・ボクシングの使い手、セラフ役、ゴースト役など諸説あり。また、前作『マトリックス』では、チョウ・ユンファがモーフィアス役の役のオファーを受けていたが同様に断っていた。)
愛する母の死
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影中には非常に悲しい出来事も起こった。
ある日のこと、ジェットのもとに姉から電話が入った。母親が重病だというのだ。
なぜすぐに連絡をしなかったんだ、と姉を問い詰めるジェット。
しかし、それは母親の指示だった。
「あの子は子供の頃から死んだ人を見るのを怖がる子だったから、帰って来るように言ってはダメよ」と。
この年、ジェットの愛する母親はこの世を去る…(2002年とする説もあります。)
そして年明け2001年1月10日。ジェットは『キス・オブ・ザ・ドラゴン』の撮影を終えた。。。
『キス・オブ・ザ・ドラゴン』基本データ
【配給会社】 20世紀フォックス
【製 作】 リュック・ベッソン、ジェット・リー(李連杰)、他
【監 督】 クリス・ナオン
【武術指導】 元奎(コーリー・ユン/ユン・ケイ)
【出 演】 ジェット・リー(李連杰)、ブリジット・フォンダ、チェッキー・カリョ、ローレンス・アシュレイ
【撮影期間】 2000年9月~2001年1月
【製 作 費】 $25,000,000(約27.5億円)
【公 開】 アメリカ:2001-07-06、フランス:2001-08-01、日本:2001-08-25
【興行成績】
全米:$36,845,124(約40.5億円) 年間ランキング66位 オープニング成績4位
全世界:$64,437,847(約71億円) 年間ランキング66位
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