ジェット・リーこと李連杰が夫婦で渡米し、一時映画界から離れた後に、『龍在天涯(ドラゴンファイト)』をアメリカで製作する時期になります。(1988年~1989年)
異国の地での慣れない生活と撮影、武館を開き、父となり、映画監督羅維(ロー・ウェイ)やのちに最愛の女性となる利智(ニナ・リー)との出会い・・・めまぐるしく環境が変化していく時期ですが、この後に待ち受けている過酷な試練の数々を考えれば、この時期はとても平穏で、幸せな日々だったのかもしれません。
新天地を求めて
初監督作『中華英雄(ファイナル・ファイター鉄拳英雄)』のあと、1988年、リンチェイは妊娠7か月の黄秋燕とともに、アメリカへ移住、ロサンゼルス郊外に家を借りる。
リンチェイは、多くの時間を家で過ごし、英語学習・読書・武術練習に励んだ。
特に、言葉がわからないリー夫婦は、毎日4時間を英語の勉強に費やす。
その後、リンチェイはアメリカに武館を開いて武術を教えながら、多くの武術家たちやロス在住の映画関係者らと交流を続けた。
またこの頃、リンチェイの好きな岳飛の詞「満江紅」に基づいて満江紅拳を創出。
有名な武術家の黎達沖から称賛され、『功夫皇帝』と称される。
リー夫婦の新婚生活はいたって平凡で、現実的。
決してロマンティックなものではなかったが、二人は異国の地でともに支え合って幸せに生活をしていた。
そして、88年、長女の思が生まれる。
黄秋燕のもとへは、「侠女十三妹」や「西遊記」といった映画の出演依頼があったが育児や家事に専念するため、すべて断っていた。
羅維、三たび巨星と関わる
アメリカに移住した80年代後半、リンチェイはその後の人生を大きく左右する、何人かの人物に出会う。
一人は、のちに最愛の人となり、一人はリンチェイを再び苦難の道へと陥れることに・・・
88年のある日、リンチェイのもとに一人の映画人が訪れる。
その映画人の名は羅維(ロー・ウェイ)。
李小龍(ブルース・リー)、成龍(ジャッキー・チェン)と2人の偉大な映画スターを見出しながらも、喧嘩別れに近い形でそのもとを去られていた羅維が、今度は第3の功夫スターとして一世を風靡したリンチェイに目を付けたのである。
羅維は、リンチェイに再び映画の世界へ戻るよう説得。
ついに、当時設立したての萬里電影による『風雲人物』への出演を承諾させる。
そして、この羅維との出会いがきっかけで、羅維の息子・羅大衛と知り合うが、この出会いがのちにリンチェイを大きく苦しませることになる。
羅維(ロー・ウェイ)と李連杰(ジェット・リー)
やはり「何か」を持っているのでしょうか、羅維(ロー・ウェイ)。
李小龍(ブルース・リー)、成龍(ジャッキー・チェン)と共に仕事をする機会を得ながらも衝突し、最終的には逃げられた羅維。
70年代後半のジャッキー作品以降は監督業を降り、製作に回った羅維ですが、ジャッキーを逃して以来、第3のドラゴンを造ろうと躍起になっていましたが、叶わず。
そこに降って湧いた大チャンスとばかりにジェット・リーを獲得します。
この頃は年齢も既に70歳を迎えており、晩年は「萬里電影」で年2本ペースぐらいで作品を発表していきます。
羅維とジェット・リーの詳しいエピソードは語られていませんが、なんだか羅維の執念みたいなものを感じますね。。。
結局、羅維と関わったのは本作品のみと思われますが、これ以降は息子の羅大衛が、その意思(怨念?)を受け継ぎ、ジェット・リーをとことん苦しめていきます・・・恐ろしや・・・
こちらの記事もよければどうぞ ≫興行成績から考える羅維(ロー・ウェイ/Lo Wei)
運命の出会い
映画『風雲人物』は、監督に鄧衍成(ビリー・タン)、武術指導兼共演に狄威(ディック・ウェイ) 、ほか共演者には利智(ニナ・リー)、周星馳(チャウ・シンチー)を迎え、88年末、アメリカ・サンフランシスコにて撮影が開始される。
内容は、まさにリンチェイをイメージしたかのように、二人の中国武術団員が慣れない異国の地アメリカで葛藤を抱えながら、苦難と向き合っていく現代劇で、リンチェイはこの作品で一人の女性と運命の出会いを果たす。
その女性の名は利智(ニナ・リー)。
容姿端麗、86年にミスアジアに輝き、「亜視三宝」の一人として有名な、リンチェイより2つ年上の魅力的な女性で、同じく大陸出身という共通点もあった。
そしてリンチェイは、その女性にすっかり彼女に心を奪われてしまうのだった。。。
映画の撮影がはじまってからは、妻である黄秋燕と過ごす時間はどんどん減っていき、2・3週間に一度、電話で少しだけ話す程度になってしまっていた。
寂しい思いをしていた黄秋燕だったが、前年に続き89年には、次女の苔蜜が生まれたことでその寂しさを埋めることが出来ていた。
一方、利智とは撮影で一緒の時間を過ごすうちに、より親密な関係となったが、二人はその関係を人には知られないようひた隠しにしたため、当時は二人の関係が表に出ることはなかった。
そして二人は約束を交わす。
「10年後に今の気持ちが変わっていなければ、結婚しよう。」と。
利智(ニナ・リー)
1961年12月31日、中国上海で生まれ、81年に父親と香港へ渡り、その後83年にアメリカ・サンフランシスコ大学へ留学。
帰国後の86年にミスアジアで優勝し、映画界へ。【詳しくは、ニナ・リー -wikipedia-を参照してください。(^_^;)】
ジェット・リーとのエピソードについては、記事内で随時書いていきますが、交際中にジェットが出演した『ワンチャイ』で、共演者の關之琳(ロザムンド・クワン)との関係が噂になり、実家へ帰ってしまったところをジェットが慌てて迎えに行ったというエピソードは有名ですね。
それ以降ジェットは、いらぬ誤解を招かぬよう女性共演者とは距離を置き、作品中でのラブシーンや肌の露出も控えているようなのですが、ちょうどその頃ニナはジャッキーと『ツイン・ドラゴン』で共演し、噂になっちゃってますが・・・
こちらの記事もよければどうぞ ≫利智(ニナ・リー/Nina Li Chi)画像ギャラリー
『龍在天涯(ドラゴンファイト)』公開
映画の方は、リンチェイがまたケガに見舞われたものの、89年夏までには完成。
1,300万香港ドルの製作費を投じたこの作品は、香港での公開名を『龍在天涯(ドラゴンファイト)』へ変更し、89年9月1日劇場公開される。
しかし、羅維の思惑通りには行かず、香港での興行成績は680万香港ドルに留まり、年間でも62位と惨敗を喫してしまう・・・。
リンチェイは、香港での失敗を見届け、アメリカへと戻っていった・・・。
『龍在天涯(ドラゴンファイト)』の製作経緯や関連記事
『龍在天涯(ドラゴンファイト)』に関する新聞記事やインタビューなどの情報をまとめると、
- 1988年末、『風雲人物』としてアメリカ・サンフランシスコにて撮影開始。
- 1989年夏、『龍在天涯』へ改題。撮影終了。
- 1989年9月1日、香港で劇場公開。
- 1990年5月12日、韓国で劇場公開。
- 1991年8月30日、台湾で劇場公開。
本作品については細かい日程の情報が取れていません。
もしかしたら撮影開始時期は89年の春頃で3~4か月ほどで完成した可能性があります。
いずれにしても、これまで1本の作品を撮るのに1~2年かかっていたことを考えると、かなり短い期間で撮影が終了したことになります。
ただ、結局は前作『中華英雄』から1年半期間をおいての公開となりました。
華僑日報, 1988-12-01
(狄威)華僑日報, 1989-04-23
(利智)華僑日報, 1989-04-27
(利智)華僑日報, 1989-07-20
(周星馳)華僑日報, 1989-08-22
(龍在天涯について)華僑日報, 1989-08-26
(龍在天涯公開)
『龍在天涯(ドラゴンファイト)』基本データ
【製作】萬里電影
【監督】鄧衍成(ビリー・タン)
【武術指導】狄威(ディック・ウェイ)
【出演】
李連杰(ジェット・リー)、利智(ニナ・リー)、周星馳(チャウ・シンチー)
狄威(ディック・ウェイ)、方平(ヘンリー・フォン)
【製作】1988年末(または1989年春)~1989年夏
【製作費】1,300万香港ドル(約2億2千万円)
【公開】1989-09-01(香港)、1990-05-12(韓国)、1991-08-30(台湾)
【興行成績】香港:1,150万HK$(39位)
再生時間 3:59
再生時間 6:30
再生時間 2:55
この他の動画や詳しい情報は、ドラゴンファイト/龍在天涯(1989)
の記事をご覧ください。
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精力的に記事をアップしてくださり、ありがとうございます!
興味深く少しずつ読まさせて頂いております。
ジャッキーほど、ジェットに思い入れはないんですが、もう一方の雄ですから作品はひととおり観るようにしています。
この映画ももう10年以上前に観まして、不遇時代の作品にしてはまあまあの出来かな、程度の印象でそのままになっていたのですが、まさか羅維と絡んでいたとは、気づきませんでした!
本当に興味深いエピソードの紹介、ありがとうございます!
次回を楽しみにしております♪
junktionさんこんばんわ。
このサイトにはやっぱりジャッキーファンの方が多いようなので、
ジェット記事へのコメント嬉しいです。
ジャッキーとは対照的に、エリートとして育ち、映画界では下積無し。
でも現在のところまで上り詰めるには、かなりいろいろなことを経験
しているみたいなんですよね~。
今回の記事で、久々にリー・リンチェイ観ようっとなってくれる人が
いれば幸いです☆