70年代のゴールデン・ハーベスト作品を各年の香港興行成績ランキングTOP10を振り返りながら紹介しています。
ショウブラ全盛期にその離脱組が設立したゴールデン・ハーベストがブルース・リーの獲得によって頭角を現し、その死を乗り越えて新たなスター・マイケル・ホイで攻勢をかける。まさにショウ・ブラザースVSゴールデン・ハーベストの熾烈な一騎打ちが繰り広げられた70年代です。
*年表記については公開年もしくは製作年と統一できていませんが極力製作年で表記しています。この辺はちょっとアバウトなのでお目当ての作品が見つからない場合は前後の年代でも調べてみて下さい。
*タイトルは( )内が原題です。(中国語の場合は基本的に繁体字表記。一部日本語表記していることもあるかも。。。)
*興行成績(順位)については「公開年」の香港での外国語映画を含む総合順位となります。★マークは20位以内を表しています。
ここでいうゴールデン・ハーベスト関連作品というのは、撮影・出品・発行のいずれかにゴールデン・ハーベスト(嘉禾娛樂、嘉禾電影製作など「嘉禾」を冠する公司)が関わっている作品を表します。
1970年
いずれも公開は翌71年。前年は香港の興行収入TOP10全て、この年は8本がショウ・ブラザース作品というショウブラ全盛期にそこを離脱したレイモンド・チョウ(鄒文懐)、レナード・ホー(何冠昌)、ロー・ウエイ(羅維)らがこの年ゴールデン・ハーベストを設立。またサモハン・キンポー(洪金寶)を武術指導指導として招き、アンジェラ・マオ(茅瑛)やノラ・ミャオ(苗可秀)主演作の製作を開始した。
1970年【118位】
アンジェラ・マオ 鬼怒川(鬼怒川)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1970年【37位】
ノラ・ミャオ レディ・ブレイド(刀不留人)【武】サモハン・キンポー【出】ノラ・ミャオ1970年【46位】
(奪命金劍)【武】サモハン・キンポー1970年【21位】
アンジェラ・マオ 8人のドラゴン 天龍八将(天龍八將)【監】ロー・ウェイ【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ、ノラ・ミャオ
1971年
かつての大スター・ジミー・ウォング(王羽)を招いたが、かつてほどの勢いは得られず看板スターの確保に迫られたゴールデン・ハーベストはショウ・ブラザースとの争奪戦に勝利しアメリカ帰りの青年ブルース・リー(李小龍)の獲得に成功。1作目『ドラゴン危機一発』、2作目『ドラゴン怒りの鉄拳』はアジア全域で記録的なヒットを飛ばし、香港映画市場全体の流れを大きく変えたほか、新興のゴールデン・ハーベストを帝国ショウ・ブラザースを脅かす第2の映画会社へと発展させる原動力となった。
1971年【25位】
(鬼流星)【監】ロー・ウェイ【出】ノラ・ミャオ1971年【1位】
ドラゴン危機一発(唐山大兄)【監】ロー・ウェイ【出】ブルース・リー、マリア・イー、ノラ・ミャオ1971年【2位】
ドラゴン怒りの鉄拳(精武門)【監】ロー・ウェイ【出】ブルース・リー、ノラ・ミャオ1971年【83位】
バンディッツ・フロム・シャントン(山東響馬)【武】サモハン・キンポー【出】チャン・イー1971年【不明】
大剣客 無敵の七剣(一夫官聞)【出】ジミー・ウォング、シュー・フォン1971年【5位】
新座頭市 破れ!唐人剣(獨臂刀大戰盲俠)【出】ジミー・ウォング、勝新太郎1971年【104位】
(追擊)【出】ジェームス・ティエン、マリア・イー1971年【37位】
片腕ドラゴン(獨臂拳王)【監】【出】ジミー・ウォング
1972年
彗星のごとく現れたスーパースター・ブルース・リーの確保が最重要であったゴールデン・ハーベストはブルースと共同出資で「コンコルド・プロダクション(協和電影公司)」を設立、第3作目となる『ドラゴンへの道』を製作し過去2作をも上回る好成績を残した。
1972年【116位】
アンジェラ・マオ 旋風レディ!鉄掌拳(鐵掌旋風腿)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1972年【45位】
アンジェラ・マオ 女活殺拳(合氣道)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1972年【1位】
ドラゴンへの道(猛龍過江)【監】【出】ブルース・リー【出】ノラ・ミャオ、チャック・ノリス1972年【30位】
迎春閣之風波【監】キン・フー【武】サモハン・キンポー1972年【66位】
(心蘭的故事)1972年【89位】
(夜女郎)【監】ティン・シャンシー【製】ジミー・ウォング【出】ノラ・ミャオ1972年【63位】
ノラ・ミャオ ザ・ハリケーン(金旋風)【監】ロー・ウェイ【出】ノラ・ミャオ1972年【121位】
(東南西北風)【出】オー・ジョンホン、ベティ・ティン・ペイ
1973年
ブルース・リー作品のヒットで軌道に乗ったゴールデン・ハーベストは功夫片やアクション映画を量産。ブルース作品ではアメリカとの合作で『燃えよドラゴン』を製作しさらなる飛躍をしようという矢先、ブルースが急死。彼に代わる看板スター不在のゴールデン・ハーベストが窮地に立たされただけでなく、香港映画市場全体がその後冬の時代に突入してゆく。
1973年【80位】
デビルズ・トレジャー(黑夜怪客)【武】サモハン・キンポー【出】ノラ・ミャオ1973年【39位】
(鐵娃)【監】ロー・ウェイ【出】チェン・ペイペイ1973年【3位】
燃えよドラゴン(龍爭虎鬥)【監】ロバート・クローズ【出】ブルース・リー1973年【29位】
テコンドーが炸裂する時(跆拳震九州)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1973年【208位】
電光!飛龍拳(七省拳王)【武】サモハン・キンポー【出】トニー・リュウ1973年【240位】
カラテ愚連隊(鐵漢柔情)【監】ジョン・ウー【武】ジャッキー・チェン1973年【15位】
(馬路小英雄)【監】ロー・ウェイ【出】サミュエル・ホイ1973年【38位】
スカイホーク鷹拳(黃飛鴻少林拳)【武】サモハン・キンポー【出】クワン・タッヒン、ノラ・ミャオ1973年【11位】
冷面虎 復讐のドラゴン(冷面虎)【監】ロー・ウェイ【出】ジミー・ウォング1973年【77位】
シーマンズNo.7・波止場のドラゴン(海員七號)【監】ロー・ウェイ【出】ジミー・ウォング1973年【126位】
セブン・ウォリアーズ 戦神灘(戰神灘)【監】【出】ジミー・ウォング1973年【123位】
いれずみドラゴン 嵐の血斗(龍虎金剛)【監】ロー・ウェイ【出】ジミー・ウォング1973年【162位】
必殺! サンダーボルト(五雷轟頂)【出】アンジェラ・マオ1973年【119位】
ブルース・リーの生と死(李小龍的生與死)【出】ブルース・リー(※)1973年【142位】
(糊塗大將軍)【製】ロー・ウェイ1973年【195位】
(人盡可夫女王蜂)【監】ティン・シャンシー1973年【213位】
(烈日狂風)【出】チャン・イー
1974年
ブルース・リーの死によって急速に功夫映画の人気は衰え、香港市場全体がコメディやドラマ映画へとシフトしていく。絶体絶命となったゴールデン・ハーベストだったが、そんな中でショウ・ブラザースで頭角を現し始めていたマイケル・ホイの獲得に成功。結果、移籍第1作目の『Mr. Boo! ギャンブル大将(鬼馬雙星)』が爆発的な大ヒットを記録しブルース・リーに代わる看板スターを手中に納めた。
1974年【138位】
ジョン・ウーの龍を征する者(女子跆拳群英會)【監】ジョン・ウー1974年【179位】
タイガー・オブ・ノース(北少林)【武】サモハン・キンポー【出】マリア・イー1974年【109位】
アンジェラ・マオ ザ・トーナメント(中泰拳壇生死戰)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1974年【90位】
アンジェラ・マオ 暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー(鐵金剛大破紫陽觀)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1974年【1位】
Mr. Boo! ギャンブル大将(鬼馬雙星)【監】【出】マイケル・ホイ【武】サモハン・キンポー【出】サミュエル・ホイ、リッキー・ホイ1974年【28位】
(花飛滿城春)【監】ジュー・ムー【出】ジャッキー・チェン1974年【24位】
スカイ・ハイ(直搗黃龍)【監】【出】ジミー・ウォング【武】サモハン・キンポー1974年【不明】
必殺!少林拳 涙の復讐(福建少林拳)【武】チン・シウトン【出】ジェームス・ティエン1974年【145位】
(黃面老虎)【監】ロー・ウェイ1974年【12位】
(綽頭狀元)【監】ロー・ウェイ【出】サミュエル・ホイ、ノラ・ミャオ1974年【22位】
(小英雄大鬧唐人街)【監】ロー・ウェイ【出】サミュエル・ホイ1974年【191位】
(虎辮子)【監】ティン・シャンシー【出】チェン・ペイペイ1974年【50位】
(至尊寶)【監】ジュー・ムー
1975年
引き続きマイケル・ホイらホイ兄弟によるコメディ『Mr.BOO! 天才とおバカ (天才與白痴)』が香港でNO.1のヒットを記録(総合では2位)、しかし頼みの綱はそれのみで迷走し他作品では際立った成績を上げることができなかった。そんな中、設立以来のメンバーであったロー・ウエイ監督がレイモンド・チョウと対立し離反、自らのプロダクションを立ち上げた。新たな監督の確保が急務となったゴールデン・ハーベストは若手監督のジョン・ウーを獲得する。
1975年【57位】
(大千世界)【監】ティン・シャンシー1975年【27位】
(拍案驚奇)【監】ジュー・ムー【出】ジャッキー・チェン1975年【68位】
(艷窟神探)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1975年【31位】
アンジェラ・マオ レディ・クンフー 密宗聖拳(密宗聖手)【武】サモハン・キンポー【出】アンジェラ・マオ1975年【124位】
ダブル・クロッサー (鬼計雙雄)【監】チェン・チャンホー1975年【53位】
ジャッキー・チェンの秘龍拳 少林門(少林門)【監】ジョン・ウー【武】【出】サモハン・キンポー【出】ジャッキー・チェン1975年【77位】
悪魔の生首(心魔)【監】ロー・ウェイ【出】ジェームス・ティエン1975年【2位】
Mr.BOO! 天才とおバカ (天才與白痴)【監】【出】マイケル・ホイ【出】サミュエル・ホイ、リッキー・ホイ1975年【129位】
(驅魔女)【監】ティン・シャンシー【出】ジェームス・ティエン
1976年
この年もホイ兄弟の『Mr.Boo!ミスター・ブー(半斤八兩)』が香港映画のトップとなりメガヒットを記録、さらに前年獲得した新鋭のジョン・ウー監督作品も3位(総合では4位)につけ健闘するもスターの層は薄く他に目立つヒット作を生み出すことはできず、上位10作品のうち半数はいまだショウ・ブラザース作品が占め、その牙城を崩せずにいた。
1976年【1位】
Mr.Boo!ミスター・ブー(半斤八兩)【監】【出】マイケル・ホイ【武】サモハン・キンポー【出】サミュエル・ホイ、リッキー・ホイ1976年【84位】
(鱷潭群英會)【監】ティン・シャンシー【出】ジミー・ウォング、アンジェラ・マオ1976年【4位】
(帝女花)【監】ジョン・ウー1976年【186位】
(阿福被鬼迷)1976年【32位】
(阿茂正傳)【監】ジュー・ムー1976年【54位】
(S.T.A.B.)【出】グレッグ・モリス1976年【67位】
(秋霞)1976年【155位】
(春滿芭提雅)1976年【36位】
(溫拿與教授)【出】アラン・タム、ケニー・ビー
1977年
ジョン・ウー監督とリッキー・ホイの『マネー・クレイジー(發錢寒)』が2位(総合5位)、サモハン・キンポーの『少林寺怒りの鉄拳(三德和尚與舂米六)』が6位(総合13位)と健闘するも、香港映画上位10作品中6作品がショウ・ブラザース作品で占められ、なにより台湾映画やハリウッド映画が上位の多くを占め、香港映画はブルース・リーの死をキッカケとした低迷から未だ抜け出せずにいた。
1977年【13位】
少林寺怒りの鉄拳(三德和尚與舂米六)【監】【出】サモハン・キンポー1977年【54位】
必殺!少林寺武芸帳(四大門派)【武】サモハン・キンポー1977年【77位】
アンジェラ・マオ 破戒(破戒)【武】ユエン・ウーピン【出】アンジェラ・マオ、ブルース・リャン1977年【88位】
アムステルダム・キル(荷京喋血)【監】ロバート・クローズ【武】サモハン・キンポー1977年【5位】
マネー・クレイジー(發錢寒)【監】ジョン・ウー【出】リチャード・ン、リッキー・ホイ1977年【132位】
(鬼馬姑爺仔)【監】ジュー・ムー1977年【25位】
(四二六)【出】ミシェール・イム1977年【不明】
(第二道彩虹)【出】ケニー・ビー
1978年
この年も例年の如くホイ兄弟、ジョン・ウー監督、サモハンが健闘。さらにブルース・リー死去により未完成となっていた『死亡遊戯』をリーの代役を使って追加撮影して完成させ公開、まずまずの好成績を残した。
この頃から帝国ショウ・ブラザースの力は急速に衰え始めるが、独立したロー・ウエイの元で燻っていたジャッキー・チェン(成龍)がレンタル先のウー・セイエン (呉思遠) のもとで作られた『ドランク・モンキー 酔拳』が2位、『スネーキーモンキー 蛇拳』が7位と大ブレイクし新たなカンフー・スターとして一躍注目を集めていた。
1978年【7位】
ブルース・リー 死亡遊戯(死亡遊戲)【監】ロバート・クローズ【監】【出】ブルース・リー1978年【83位】
(貂女)【武】サモハン・キンポー1978年【10位】
燃えよデブゴン10 友情拳(贊先生與找錢華)【監】【武】【出】サモハン・キンポー【出】レオン・カーヤン1978年【1位】
Mr.Boo! インベーダー作戦(賣身契)【監】【出】マイケル・ホイ【出】サミュエル・ホイ、リッキー・ホイ1978年【193位】
(舊夢不須記)【監】シルヴィア・チャン1978年【272位】
(Hello! 夜歸人)【監】ジョン・ウー、他1978年【不明】
ヤング・ソルジャー 米海兵隊員/青春の記録(第三兵團)【出】スタン・ショウ、アンドリュー・スティーヴンス1978年【6位】
(大煞星與小妹頭)【監】ジョン・ウー1978年【71位】
(大路強人)1978年【55位】
(追趕跑跳碰)【出】アラン・タム、ケニー・ビー
1979年
前年大ブレイクしたジャッキー・チェンがこの年『クレージー・モンキー・笑拳』で首位を獲得。ゴールデン・ハーベストはロー・ウェイとの契約問題が拗れていたジャッキー・チェンの獲得に乗り出しその獲得に成功する。しかしその結果、ロー・ウエイとの契約問題が泥沼化し黒社会をも巻き込む大騒動に発展、移籍第1作目の『ヤングマスター 師弟出馬(師弟出馬)』(公開は翌80年)の撮影終了後にジャッキーを国外へと避難させ事態の収拾に乗り出すこととなった。また、ジャッキー、サモハンと同じ中国戯劇学院出身であるユン・ピョウ(元彪)の売り出しにも力を注ぎ始めていた。
1979年【17位】
燃えよデブゴン5 モンキーフィスト猿拳(雜家小子)【監】【武】【出】サモハン・キンポー【出】ユン・ピョウ1979年【6位】
燃えよ!デブゴン7(林世榮)【監】【武】ユエン・ウーピン【武】【出】サモハン・キンポー【出】ユン・ピョウ1979年【1位】
ヤングマスター 師弟出馬(師弟出馬)【監】【武】【出】ジャッキー・チェン【出】ユン・ピョウ1979年【4位】
ザ・ポップマン(神偷妙探手多多)【出】リチャード・ン1979年【42位】
(慌失失)【監】【出】リチャード・ン【脚】バリー・ウォン1979年【80位】
剣聖たちの挽歌(豪俠)【監】ジョン・ウー1979年【79位】
(毒計)1979年【123位】
(亡命嬌娃)
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