ジェット・リーの記念すべき映画デビュー作にして、全世界に少林寺ブームを巻き起こしたカンフーアクション大作。鷹拳、酔拳など中国武術の本物の武術家が一堂に会した中国・香港合作映画。
嵩山少林寺と人民解放軍の全面協力のもと撮影が行われ、本編に登場する馬の提供や、1,000名に及ぶ兵士は実際の人民解放軍によるものである。
1982年の香港興行成績ランキングではジャッキー・チェン作品を抑え1,600万HKドルを稼ぎ出し年間総合3位、中国では年間1位と各地で大ヒットを記録。この作品の成功により、以後大陸ロケが流行し、香港・中国合作の作品が急増。それまで年間4万人程度だった嵩山少林寺への参拝および観光客は、最盛期には260万人まで急増した。
日本でも同年公開され約16.5億円の配給収入を上げ、年間6位とヒットし、少林寺ブームが巻き起こり、テレビでも少林寺の特集番組がたびたび放映、本作品以前の少林寺映画も相次いで公開されるようになった。
『少林寺』の動画集
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本編動画(日本語字幕)
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『少林寺』の作品詳細
基本情報/スタッフ&キャストなど
製作年 | 製作は1978年頃~1981年(初期の没バージョン含む) 製作再開後の撮影は1980年~1981年の間の1年半 |
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公開情報 | 香港:1982-01-21 中国:1982-06-01 日本:1982-11-03 |
時間 | 100分 |
興行成績 | 香港:HK$ 16,157,801(490万元) 年間ランキング3位(※2位の可能性もあり) 日本:配給収入-16.5億円(1,350万元) 年間ランキング6位 中国:1億200万元 年間ランキング1位 |
製作費 | 120万元(400万HKドル、約1億5~6,000万円) |
製作会社 | 中原電影製片 |
製作 | 廖一原 |
監督 | 張鑫炎(チャン・シン・イエン)※陳文から交代 |
脚本 | 薛后/盧兆璋 |
武術指導 | 于海(ユエ・ハイ)/
馬賢達/
潘清福 王常凱(ワン・チェン・ハイ) |
出演者 | 李連杰(ジェット・リー) 于海(ユエ・ハイ) 于承惠(ユー・チェンウェイ) 丁嵐(ディン・ナン) 胡堅強(フー・チェンチアン) 孫建魁(チャン・チェン・フー) 劉懷良 計春華(チー・チェンホア) 張劍文 閻滌華 王光權(ファン・クァン・チュアン) 杜傳揚 崔志強 尋峰 潘漢光 方平(ヘンリー・フォン) 蔣洪波 山崎博通 潘清福 蘇菲 |
PICK UP アーティスト
李連杰(ジェット・リー)
役名:張小虎(覚遠)
中国武術の至宝。
8歳から武術をはじめ、11歳から5年連続武術大会優勝。
于海(ユエ・ハイ)
役名:曇宗和尚
山東省武術チームのコーチ。
12歳で武術をはじめ、「蟷螂拳」の達人。
于承惠
(ユー・チェンウェイ)
役名:鄭王(王将軍)
山東省武術チームのコーチ。
文武に秀で「中国武術界の鬼才」と呼ばれる。
丁嵐(ディン・ナン)
役名:白無瑕(パイ)
幼少時から音楽と舞踏を学び、11歳から河南省歌舞団で準連を受ける。期待の若手女優。
胡堅強
(フー・チェンチアン)
役名:悟空和尚
81年度武術大会優勝。「鷹拳」の使い手。
孫建魁
(チャン・チェン・フー)
役名:色空
山東省の武術チームのメンバーで「刀術」全国チャンピオン。
計春華
(チー・チェンホア)
役名:禿鷹
「鷹爪拳」の第一人者。
少年時代から達人王信得のもとで修行を積む。
王光權
(ファン・クァン・チュアン)
役名:李世民
河南省京劇団の名優。多種の武芸に通じる武術家でもある。
興行成績ランキング
1982年の香港興行収入ランキングです。(外国語映画を含む総合ランキング)
各国タイトルリスト
漢題 | 少林寺 |
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中岳嵩山少林寺 | |
邦題 | 少林寺 |
英題 | Shaolin Temple The Shaolin Temple The Shao Lin Temple |
独題 | Meister der Shaolin |
希題 | O naos ton Shaolin |
西題 | El templo de Shaolin |
あらすじ
隋の末期、中国ではワン将軍とリー将軍が激しく対立していたが、崇山の麓にある少林寺は聖地として人々に尊敬と畏怖の念を持ってあがめられていた。
そんなある日、一人の少年・小虎(リー・リンチェイ)が少林寺の門前に半死半生で転がりこんできた。
そして小虎は少林僧たちの手厚い看護でみるみる元気を取り戻していった。
彼は黄河ほとりに砦を築き、多くの人々を奴隷のように扱うワン将軍によって父を殺され、やっとのことで逃げてきたのだった。
元気となった小虎は寺男として働く一方、曇宗和尚(ユエ・ハイ)に拳法の教えを願い出たが、それには正式な僧にならねばならない掟があった。
小虎は決意をし、修業僧として仏門に入った。
しかし、毎日習うのは初歩的な型ばかり。兄弟子たちのような高度の技を修得するには何年かかるかわからない。ワンの非道な侵略はなおも続いている……
業を煮やした小虎はついに寺をとび出してワンの陣営に向かった。
そして、ワンと一対一の死闘を繰り広ろげるが、まだまだワンを倒すには力が足りず、ワンに捕えられていた曇宗の娘パイ(丁嵐)を助け出すのがやっとだった。
自分の力不足を悟った小虎は再び寺に戻り、兄弟子たちとともに修業に励む毎日を続け、月日はまたたく間に過ぎていった。ある日、山で鍛練をしていた小虎はワン将軍に追われていた一人の男を救った。
男はワン将軍と敵対するリー将軍で、二人は少林寺境内の聖域に逃げ込み、管長の助力によって難を逃れた。
そして小虎はリー将軍を陣地へ帰すためにパイと協力し、監視の目をくぐり抜けようとしたが、寸前のところでばれてしまい、リーを逃すと一人で敵と戦った。
しかし、圧倒的に多い敵に小虎の力もつき、もはやこれまでかと思われた時、曇宗と11人の少林拳士がかけつけ、小虎を助ける。
そして曇宗は小虎に破門を言い渡す。一方、リー将軍の追跡をあきらめないワンは、リー逃亡の手助けをした罰で少林寺の管長を火あぶりの刑に処し、寺を焼き払うことを命じた。
寺の危機を知った曇宗と11人の拳士は、急いで寺に戻り、ワン将軍率いる軍勢と死闘を繰り広ろげるが戦える僧の数があまりにも少なかった。
また、破門された小虎も寺の危機とあっては見逃すわけもなく、曇宗らのあとを追って寺へ行き、戦いの輪の中へ……。
戦いは果しなく続き、曇宗の精鋭拳士も一人、二人と次々に倒れていき、少林寺もこれまでかと思われた時、無事に逃れることのできたリー将軍が大軍を率いて現われ、ワン将軍とその兵を蹴散らし、少林寺の危機を救った。
そして小虎は破門がとかれ、立派な僧となるのだった。
小ネタ
- ジェットはこの映画の撮影で1日に1元(約130円)の謝礼を貰っていたらしい。ちなみに、中国の一般サラリーマンの平均月収が約60元のころ。
- 監督は初め陳文が担当し出演者はすべて河南京劇団の役者によって製作されていたが、陳文が病気で降板。(その後の撮影にはスタッフとして参加。)
その際、映画会社はそれまで撮影されたものに大変不満を感じ、すでに40万香港ドル(16万元)をかけていたにもかかわらず、総予算200万元(約500万HKドルほど、この頃のジャッキー映画『笑拳』の製作費が410万HKドルと言われている)とまだ資金には余裕があったため、これをすべて破棄。
スタッフ、出演者をすべて一から選びなおすことになった。
そこで新たに監督に抜擢されたのが、その頃『白髪魔女伝』で中国ロケの実績があった張鑫炎(チャン・シン・イエン)である。
そして、張鑫炎が訪れた武術大会で若き李连杰(ジェット・リー)や孫建魁など10数人を発掘することとなった。
これを機に、他の演者も役者ではなく本物の武術者を起用する方針に変更された。 - 本作品の撮影期間は1年半と言われているが、監督交代前の初期の製作段階(1978年)から数えると製作期間は3年以上の歳月がかかっていると思われる。
- 当初のタイトルは『十三棍僧救秦王』が予定されていて、上映直前に『少林寺』となったという説があるが、1980年7月の時点では新聞にも『少林寺』というタイトルで記事が載っていた。もしかしたら監督交代前に途中まで撮影された幻の作品がそのタイトルだったのかもしれない。
- 本作品以前にも多数の少林寺映画(この作品まで135部が製作されたといわれているが、真偽は不明)が作られているが、本物の少林寺での撮影および協力を得られたのはこの作品が最初と言われている。(これも真偽不明)
- 一行が撮影に訪れたときは、寺や土地は荒廃し、見渡す限り広がる山野、草木はどれも1メートルほどの高さに生い茂り、寺に至る道すら無く、寺には大修道院長、門番、管理人兼料理人の3人の姿しか無く、武術の稽古をしている人など誰一人見当たらなかったそうである。
- 本編に登場する馬、1000名にも及ぶ兵士たちはすべて人民解放軍の兵士たち。
- ロケの総踏破距離は2万キロに及んだ。
- この映画がフィリピンで公開される際に、リー・リンチェという名前は呼びにくいということでJET LI=ジェット・リーという名前が生まれたと言われているが、日本でその名前が使われ始めたのは、ハリウッド進出後『リーサル・ウェポン4』のあたりからである。
- 統計によると、1974年から1978年に少林寺を訪れた観光客は20万人前後。これが映画『少林寺』公開後の1982年に訪れた観光客は70万人にも上り、さらに最高期の1984年になるとなんと260万人もの人が訪れる一大観光名所となった。その後、90年以降はブームも落ち着いたが、それでも150万人前後の観光客が毎年訪れるようになった。
また、近年再び少林寺が協力したTVシリーズや映画が再び多数つくられるようになり、現在では200万人ほどが少林寺を訪れるという。 - 日本版のテーマソングは、キース・モリソンこと木森敏之氏が担当。
- 2005年にキングレコードから発売された「少林寺」 アルティメット・エディション DVDには、オリジナル版(北京語)・日本初公開版(北京語)、TV版(日本語)、新録音版(日本語)の4つの音声が収録されており、ジェット・リーの吹替えはTV版が水島裕、新録音版が森久保祥太郎が担当している。
- この作品の製作時の状況などは、ジェット・リー物語【第4章】少林寺ブーム到来 -1980~1982-をご覧ください。
評価一覧・レビュー
大手レビューサイトでどのような評価付けをされているかの一覧です。
サイト名 | 言語 | 評価イメージ | 評価点数 | /最大点数 |
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amazon.co.jp | 日本語 | 評価9 | 4.6/ | 5 |
goo映画 | 日本語 | 評価7 | 70/ | 100 |
Yahoo!映画 | 日本語 | 評価8 | 4.07/ | 5 |
allcinema | 日本語 | 評価7 | 7.29/ | 10 |
みんなのシネマレビュー | 日本語 | 評価7 | 7.09/ | 10 |
ぴあ映画生活 | 日本語 | 評価7 | 66/ | 100 |
IMDB | 英語 | 評価7 | 7.1/ | 10 |
allmovie | 英語 | 評価6 | 3/ | 5 |
amazon.com | 英語 | 評価8 | 4/ | 5 |
Filmaffinity | スペイン語 | 評価6 | 6.2/ | 10 |
Daum | 韓国語 | 評価5 | 5/ | 10 |
豆瓣电影 | 中国語 | 評価8 | 7.9/ | 10 |
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パンフレット
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