92年に自分のプロダクションを設立し、永盛娯楽との長期契約以降ノンストップで映画を製作してきたジェット・リーこと李連杰がようやくその契約や金銭問題から解放。そして芸能生活を引退しようと心に決める時期。(1995~97年)
現代劇への転身はまずまずの成果を上げていたジェット・リーが、再び盟友・徐克(ツイ・ハーク)と組んで『ワンチャイ天地風雲』で再び大ヒットを飛ばす時期になります。
冒険王
95年、ツイ・ハークとの『三国志』やジャッキー・チェンとの共演企画も浮上していたが、日本から戻ったリンチェイは、契約がまだ残っている永盛娯楽と自身のプロダクション正東製作(イースタン・プロ)合作で新たな作品の撮影に取り掛かる。
97年の香港返還を見据え香港・中国合作となったその作品は、香港の人気SF作家ニー・クワンの人気小説を原作としたもので、タイトルは『冒險王(冒険王)』に決定。
『東方不敗(スウォーズマン/女神伝説の章)』以来となる4年ぶりの程小東(チン・シウトン)監督作品となった。
共演者として、すでに共演経験のある關之琳(ロザムンド・クワン)や倪星(コリン・チョウ)、周比利(ビリー・チョウ)に加えて人気急上昇中の若手俳優・金城武が起用された。
撮影を半分ほど終えた頃、数十におよぶガスボンベが爆発しスタジオが焼失する事故に見舞われるも作品は無事完成。
1996年2月に台湾・韓国で、3月には香港で公開されたが大ヒットには至らず、1,400万香港ドルで28位という興行成績に終わる。
そして94年の『フィスト・オブ・レジェンド 精武英雄』以降、自身の製作会社イースタン・プロの閉鎖を考えていたリンチェイにとってこの作品がイースタン・プロ最後の作品となった。
またこの頃、リンチェイは張芸謀(チャン・イーモウ)監督が構想中の『英雄』という作品の主役候補に上がっていることを告げられるが、張芸謀が思い描いているイメージにはまだ届かず、「まだ顔が幼いので、大人の哀愁が出てくるまで待つ」と言われている。
『冒険王』基本データ
【製作会社】 正東製作(イースタン・プロ)、永盛娛樂製作
【製 作】 崔宝珠(チュイ・ポーチュウ)
【監 督】 程小東(チン・シウトン)
【武術指導】 馬玉成(マー・ユンシク)、程小東(チン・シウトン)
【出 演】
李連杰(ジェット・リー)、關之琳(ロザムンド・クワン)、金城武、楊采妮(チャーリー・ヤン)
羅家英(ロー・カーイン)、倪星(コリン・チョウ)、周比利(ビリー・チョウ)
【撮影期間】 1995年
【公 開】
韓国・台湾:1996-02-10、香港:1996-03-14、日本:1997-04
【興行成績】 香港:1,400万HK$(28位)
ブラック・マスク/黒侠
続けてこの年、『黄飛鴻3 獅王争霸(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇)』以来となる徐克(ツイ・ハーク)との合作がようやく実現。永盛娯楽とツイ・ハークの電影工作室による合作で『黑俠(ブラック・マスク)』を撮ることに。
この『ブラック・マスク』は過去に1度、甄子丹(ドニー・イェン)と関之琳(ロザムンド・クワン)出演で企画されていたこともあり、かつて、アメリカのTVドラマ『グリーン・ホーネット』(1966~67)でブルース・リーが演じたホーネットの相棒カトーを思わせるマスクを着用したリンチェイが活躍する近未来SFアクションとなった。
4年ぶりのゴールデンコンビ復活に加え、鬼才・李仁港(ダニエル・リー)を監督に起用、武術指導には袁和平(ユエン・ウーピン)、劉青雲(ラウ・チンワン)・莫文蔚(カレン・モク)・葉芳華(フランソワーズ・イップ)らが共演し、強力な布陣で製作に臨むリンチェイ。
しかし、それでも『黄飛鴻』シリーズで収めたような興行成績には届かず、96年11月に香港で公開されたが、1,300万香港ドルで29位という結果に。
その後、リンチェイ抜きで『ブラックマスク』の続編や派生作品が作られることになるが、この時点では成功と呼べる結果は残せなかった。
その頃香港映画界では、成龍(ジャッキー・チェン)が『警察故事4 簡單任務(ファイナル・プロジェクト)』で2年連続の首位を獲得。(5,800万香港ドル)
また、周星馳(チャウ・シンチー)も相変わらずの強さを見せつけ、新星・鄭伊健(イーキン・チェン)がTOP30内に5作品をチャートインさせる躍進を見せていた。
すでにTOP10内の半数をハリウッド作品が占める事態になっており、香港映画、とくにアクション系の作品にとっては非常に厳しい市場になっていた。
『ブラック・マスク(黒侠)』基本データ
【製作会社】 永盛娛樂製作、電影工作室
【製 作】 徐克(ツイ・ハーク)
【監 督】 李仁港(ダニエル・リー)
【武術指導】 袁和平(ユエン・ウーピン)、林迪安(ディオン・ラム)、谷軒昭
【出 演】
李連杰(ジェット・リー)、劉青雲(ラウ・チンワン)、莫文蔚(カレン・モク)
葉芳華(フランソワーズ・イップ)、龍剛、黃秋生(アンソニー・ウォン)
【撮影期間】 1996年
【公 開】
台湾:1996-10-24、香港:1996-11-09、韓国:1996-12-14
ドイツ:1998-04-02、日本:1999-02-06、アメリカ:1999-05-14
【興行成績】 香港:1,300万HK$(29位)
復活!黄飛鴻
『黑俠』で4年ぶりに仕事をすることになったリンチェイとツイ・ハークは、この現状を打破すべく、『黄飛鴻』シリーズ復活を計画。
徐克自身にとっても、趙文卓(チゥ・マンチェク)の『黄飛鴻之五 龍城殲覇(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ5 天地撃攘)』以来、2年ぶりとなる正統シリーズ作となった。
しかしこの『黄飛鴻之西域雄獅(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲)』では、ハリウッド初進出作品『ダブル・チーム』の監督など多忙なツイ・ハークは製作に回り、監督と武術指導を洪金寳(サモ・ハン・キンポー)が担当。キャストも關之琳(ロザムンド・クワン)、熊欣欣(ホン・ヤンヤン)とオリジナルメンバーを集めた。
また、今回はゴールデン・ハーベストではなく、永盛娛樂での製作となったが、永盛の向華強が創設した中国星集団(チャイナスターエンタ)のバックアップを受け、総製作費12億円とも言われるシリーズ最高額を投じて完成。97年2月に香港公開された。
ツイ・ハーク監督による3部作とは演出が異なる部分も多かったが、これが3,000万香港ドルの興行収入を叩き出し、93年の『方正玉』以来の大当たり。年間でも4位となる大ヒットを飛ばすことに成功した。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲』基本データ
【製作会社】 永盛娛樂製作、中國星集團
【製 作】 徐克(ツイ・ハーク)
【監 督】 洪金寶(サモハン・キンポー)
【武術指導】 洪金寶(サモハン・キンポー)
【出 演】
李連杰(ジェット・リー)、關之琳(ロザムンド・クワン)、熊欣欣(ホン・ヤンヤン)
Jeff Wolfe(ジェフ・ウルフ)、龍剛(パトリック・ロン)、吳耀漢(リチャード・ン)
【撮影期間】 1996年
【製 作 費 】 5,000~9,400万HKドル(約7~13億円)
【公 開】
香港:1997-02-01、韓国:1997-02-22、ドイツ:1998-02-13
日本:1999-02、スぺイン:1999-06-01、フランス:2000-11-08
【興行成績】 香港:3,000万HK$(4位)
再生時間 1:25
再生時間 2:34
再生時間 3:24
李連杰(ジェット・リー)と徐克(ツイ・ハーク)
ジェット・リーと徐克(ツイ・ハーク)は、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇』の時にギャラ問題で揉めケンカ別れしたというのが通説になっているようですが、これまで本サイトで当時の状況を詳しく追ってきた限りではそのようには思えません。
こういった話になっているのは日本だけなのか、現地でもそうなのかわかりません。
もし、現地でもそのような通説になっているとすれば、契約問題が表面化するのを防ぐためのゴールデン・ハーベストの策略なのかもしれませんね。
実際に『ワンチャイ天地争覇』の撮影が終わったのが92年の秋頃、再び一緒に仕事をする話が表面化したのが95年秋頃です。ということは3年ほどの期間しか空いていません。
たしかにゴールデン・ハーベストとジェット・リーの契約問題の時に、徐克は板挟みになっていたわけで、それによって2人がケンカもしくは関係がギクシャクしたことは十分考えられますが、そこまで騒ぐほど関係が悪化していたわけではないと私は思っています。
最近では、『龍門飛甲』でそれこそ十数年ぶりにタッグを組んだ2人ですが、とてもその関係は良好に見えます。
ヒット・マン
1997年は香港返還の年でもあった。
7月には香港の映画人が一堂に会し、盛大な『香港返還イベント』が行われ、リンチェイも参加。成龍(ジャッキー・チェン)や洪金寶(サモハン・キンポー)らとともに舞獅の演目をこなした。
歓迎ムードの式典ではあったが、当時の映画界は興行上位をハリウッド作品が占める割合が年々増加。今後の先行きも実際は不透明な部分が多く、これを見据えて、数年前から香港の映画スターや、映画監督らがハリウッド進出を進めており、監督では呉宇森(ジョン・ウー)や徐克(ツイ・ハーク)、俳優では成龍(ジャッキー・チェン)をはじめ、周潤發(チョウ・ユンファ)、楊紫瓊(ミシェル・ヨー)、洪金寶(サモハン・キンポー)らが既にハリウッドへの足掛かりを掴んでいた。
香港の返還は経済界へも影響を及ぼし、利智(ニナ・リー)が92年に行った山東省の海韻花園への1,000万米ドルの投資が破綻。浅水湾の時価8,000万元の豪邸を抵当にして、銀行から資金を借りなければならなかった。
ツイ・ハークからのオファーを断ったリンチェイは、永盛娯楽との最後の作品である『殺手之王(ヒット・マン)』を撮影することに。
『殺手之王(ヒット・マン)』は陳嘉上(ゴードン・チャン)製作のもと、董瑋(トン・ワイ) が監督兼武術指導を務め、任達華(サイモン・ヤム )、梁詠琪(ジジ・リョン)、曾志偉(エリック・ツァン)などが共演した。
前作『黄飛鴻之西域雄獅(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲)』で再びトップクラスの興行成績を収めたリンチェイだったが、98年4月に香港で公開された本作品の興行収入は1,000万HKドルに留まり、21位という結果に終わった。
こうして1992年以降、利智の借金返済や、自身の映画会社の成功を目指し、5年間で15本もの映画をノンストップで撮り続けたリンチェイは、やっと契約の呪縛から解放。
と同時に、映画作りにも疲れ果て、映画界からの引退を決意する。
『ヒットマン(殺手之王)』基本データ
【製作会社】 永盛娛樂製作、創作蚤製作、中國星集團
【製 作】 陳嘉上(ゴードン・チャン)
【監 督】 董瑋(トン・ワイ)
【武術指導】 董瑋(トン・ワイ)、他
【出 演】
李連杰(ジェット・リー)、任達華(サイモン・ヤム )、
梁詠琪(ジジ・リョン)、曾志偉(エリック・ツァン)
【撮影期間】 1997年
【公 開】 香港:1998-04-03、韓国:1999-04-10
【興行成績】 香港:1,000万HK$(21位)
商品情報
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おぉ~!なるほどぉ~!
早くも次回が気になりますです!(笑)
ここを読むにつけ、ジェットの人柄に心酔してしまいまして
ジェットの全てが知りたくなり
最近まさにこの頃のDVDを、大量に買ってしまいました
これらがあって、スピリットとかダニーとかウォーロードがあるのね!と
でも以前はちょっと苦手だったハズなのに
なんか、クセになりますね
香港映画独特のグダグダ感となんじゃそれ感(笑)
まぁブルースリー先生の信者ってとこからして
免疫はあったんでしょうけど
ジェットのは突き抜けてます
まぁ、何があろうとジェットの技で帳消しになっちゃいますけどね
ハマってしまいそうです
ほんとはもっとジェットの内面的な部分というか、心境の変化や考えていた(だろう)ことを
もっとかければ良いのですが、時系列で出来事を追っていくだけで精いっぱいなのです。(;д;)
もっと文章力があれば、その名の通り「物語」調に書けるのですが・・・
ジャッキーと違ってジェットはバリー・ウォンなんかともよく仕事してますので、
ベタな香港映画ノリというか、お金をかけたB級テイストの作品に多く出演してますよね。
他の映画と同じ目線で真剣に鑑賞すると微妙なところも有りますが、
その辺を心得て観ると仰る通り「クセ」になります(^-^)
こんばんは。僕もそこまで詳しくないのですが、いちお僕がいろんなネットなどで見た情報を整理すると、元々ジャッキーの企画として長く温めてきて、新作として候補に上がりながら何度も頓挫していたのが「西域雄師」で、(酔拳3になるはずだったようです。)それをもしかしたらナイスガイの現場でサモハンに語ったところ、知らない間に作られて、彼が怒ってサモは謝ったそうです。仲間だと信じてたから語ったんでしょうが…。ちなみにジャッキーはジョニー・トーにも長年の企画「ファイヤーマン」を語ってパクられて、「ファイヤーライン」として撮られてます。(懲りてない…。)分かりませんが、whoami?は最初の企画から記憶喪失の部分を使って作られたのかもしれませんね。続編のシャンハイ・ナイトでこうもり傘を使ったアクションがありましたが、あれはウォン・フェイフォン映画では定番のものらしく、それでジャッキーは当初の企画への思いから使ったのではないか?と、「香港電影的日常 第三集」の管理人さんのfakeさんが語っておられました。(今はお休みされてますが、この方すごいです。いちおリンク貼っておきます。http://kungfumovie.blog109.fc2.com/)いつも曖昧な情報な僕ですが、これは大体正しいと思います。(笑)
結構ジェットとジャッキーって仲良いですけど因縁みたいなもの感じます。重案組の主役がジェットからジャッキーになったり、ハイリスク撮られたり、(笑)ワンチャイで起こったワイヤークンフーブームに不満だったジャッキーが酔拳2を作ったり、そしてこの西域雄師と…。
僕の情報が少しでもお役に立てたら嬉しいです。では。
オーケーさん詳しくありがとうございます。
では『メダリオン』までサモハンとは仲違いしていたのかもしれませんね。
香港では日常茶飯事とはいえ、そんなことはジャッキーも重々承知の上で
信頼していたということでしょうかね。
『ファイヤーマン』の話しは初耳でした。
てっきり企画自体が消滅していたと思っていたのですが、、、
あと、『シャンハイ・ナイト』の傘のシーンってチャップリンとかキートンとか
そっち系からのオマージュだったような気が。
前に元ネタの映像を観た気がしたんですけど、詳しく思い出せません。
こんにちは。待ってました!今回もうならせる内容です。
冒険王のセットで数十(!)のガスボンベ爆発とか、ヴァンダムとの共演の話があったとかいろいろありますが、西域雄師って大ヒットしたんですね。最近DVD買ってようやく観たんですが、正直期待してたほどじゃなく、やはりジェットのこのシリーズは西欧列国に支配された中国でフェイフォンが戦うというのが魅力だったので、舞台が西部になると魅力が減った気がするし、最後もガンマンと対決というのもイマイチでした。(急にマーシャルアーツ使い出したのは笑いましたが。)それでも大ヒットしたのは、新鮮さとジェットのフェイフォン復帰という点がよかったんでしょうね。にしても、この年サモハンはこの映画とナイスガイと二本も大ヒット飛ばしましたね。
余談ですがこの映画、ジャッキーがサモハンに長年温めた企画をまんまパクられたようで、(汗)激怒したジャッキーはハリウッドでシャンハイ・ヌーンを作ったわけですが、たまたま最近TVでやっていたので久々に観ましたが、当時はあの軽さがいいと思えなかったですが、今観るとジャッキーの可愛さ、明るさの魅力が出てたし、オーウェン・ウィルソンの魅力も感じれたし、ストーリーも二人の友情が育まれるところなど、なかなかよく出来てると感じました。どっちがいいかと聞かれたら、僅差でこっちかなと感じました。
あと今さらですが、トップページのリニューアルいいですね!特に上のジャッキー、ジェットなどの画像が毎回「どこで見つけるんだ?」というくらいのもので、毎日変わってるしすごいですね。あれ見るだけで楽しいです。またジェット・リー物語含め、記事の更新も楽しみにしてるので、頑張って下さい。では。
オーケーさんこんばんは。
余談についてですが、やはりそうでしたか。。。
大分前にそんな話を見かけたことがあったのですが、
今回の記事作成時に調べたら情報が無かったので記述はしませんでした。
『ワンチャイアメリカ』は『ナイス・ガイ』の後に撮られたので、もしかして
『ナイス・ガイ』の時にジャッキーがサモハンに話した企画を速攻パクったんでしょうかね(*゚o゚*)
who am i?もちょっと似てる気が・・・
もしもっと詳しい話をご存知でしたらぜひ教えて下さい。
あと、トップページ上部の画像はとりあえずあと数日分はストックがありますが、
いつまで続けれることやら・・・(汗)