ジャッキー・チェンのアメリカ進出第1弾作品。監督はブルース・リーのヒット作『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ。
自伝でジャッキー本人も語っているように、本作品のアクションは精彩を欠き、香港では80年の興行成績ランキング4位を獲得したものの評価が低い作品。
テレビ出演や雑誌インタビューなどプロモーション活動を精力的に行ったにもかかわらず、アメリカでの興行成績も良い結果を残せなかった。
目次
- ギャラリー
- ポスター・DVDジャケットなど
- その他の画像・資料
- 商品情報
- 関連コンテンツ・リンク集
『バトルクリーク・ブロー』の動画集
この作品のサントラ動画は、バトルクリーク・ブロー(1980)サントラ をご覧ください。
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本編動画(TV日本語吹替)
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『バトルクリーク・ブロー』の作品詳細
基本情報/スタッフ&キャストなど
製作年 | 1980年 |
---|---|
公開情報 | 香港:1980-10-16/日本:1980-09-06 アメリカ:1980-08-29 |
時間 | 95分 |
興行成績 | 香港:HK$ 5,776,530 年間ランキング4位 日本:推定9億4,000万円 年間ランキング位 全米:8,527,743$ 年間ランキング68位(オープニング週は全米第1位) 台湾(台北市)では年間1位を獲得 全世界:推定1,300万$ 年間ランキング位 |
製作費 | 推定400万$(600万$説や800万$説もあり) |
製作会社 | 嘉禾電影有限公司(ゴールデンハーベスト) |
製作 | 鄒文懷(レイモンド・チョウ)/佛烈尹就(フレッド・ワイントローブ) |
監督 | 高洛斯(ロバート・クローズ) |
脚本 | 高洛斯(ロバート・クローズ) |
出演者 | 成龍(ジャッキー・チェン)/
馬高(マコ岩松)/
姬斯汀狄貝兒(クリスティーヌ・デ・ベル) 荷西花拉(ホセ・フェラー)/ 趙家玲/ 冀朝理 H.B.Haggerty(ハードボイルド・ハガティ)/ 郎麥斯(ロン・マックス)/ 岑潛波 大衛雪納/ LennyMontana/ MaryEllenO’Neill JoycelyneLew/ SonnyBarnes/ LarryDrake EarlMaynard/ GeneRader/ RobertShaw BigJohnHamilton/ CharlesBalcar |
PICK UP アーティスト
成龍(ジャッキー・チェン)
馬高(マコ岩松)
姬斯汀狄貝兒(クリスティーヌ・デ・ベル)
荷西花拉(ホセ・フェラー)
H.B.Haggerty(ハードボイルド・ハガティ)
郎麥斯(ロン・マックス)
LennyMontana
趙家玲
公開時の新聞広告
香港公開時の新聞広告です。(1980年10月)
興行成績ランキング
1980年の香港興行収入ランキングです。(外国語映画を含む総合ランキング)
各国タイトルリスト
漢題 | 殺手壕(繁体字) 杀手壕(簡体字) |
---|---|
邦題 | バトルクリーク・ブロー |
英題 | The Big Brawl |
Battle Creek Brawl Battle Creek | |
伊題 | Chi tocca il giallo muore |
仏題 | Le Chinois |
独題 | Die große Keilerei |
西題 | La furia de Chicago |
あらすじ
シカゴの町では、2つのファミリーが対立しており、ことごとく衝突していた。その日も裏町で黒装束の大男が相手を打ちまかしていた。
この大男キッス(H・B・ハガティー)は、二大ファミリーの一つピッツバーグのボス、モーガン(デイヴィッド・シェイナー)に雇われたファイターだ。彼が倒した相手の雇い主は、モーガンと対立するもう一つのファミリーのボス、ドミニチ(ホセ・フェラー)だ。
一方、シカゴでファミリー・レストランを経営する父と、医者をしている兄、それに武術を教えてくれる叔父のハーバート(マコ)らに囲まれてのびのび育ったジェリー(ジャッキー・チェン)は、その日も恋人のナンシー(クリスチーヌ・ド・ベル)とドライブを楽しんでいた。しかし、家に戻ってみると、ドミニチの手下が父親を脅していた。
そんなチンピラたちをあっさり退散させたジェリーだったが、それを見ていたドミニチの甥レジェッティ(ロン・マックス)は、屈辱と怒りに燃えていた。
ナンシーらと組んで町の“ローラー・スケード」レース”に出場したジェリーは、見事優勝し、その賞金を兄の診療所の準備資金にあてた。
一方、ジェリーの強さに目をつけたドミニチにテキサスの小さな町バトルクリークで行なわれる“バトルクリーク格闘技選手権”に彼を出場させ、キッスと闘わせようと考えた。
もともと出場するつもりでいたジェリーは、兄のフィアンセを人質にして出場をせまるドミニチの言うことを聞いた。
ハーバートをコーチに特訓が開始し、いよいよ競技の日がやって来た。世界中のつわ者たちが集まり、人人でふくれ上がったバトルクリーク。
ジェリーもキッスも予想通り次々に強豪たちを倒していった。しかし、やがて意外な事実が判明した。レジェッティがモーガンと通じており、自分がシカゴのボスにおさまるためにキッスの優勝をもくろんでいたのだ。
ハーバートを人質に教会に縛りつけると、彼とひきかえにジェリーに負けることを強要した。し
かしハーバートは脱出に成功した。そのことをジェリーは知り、全力を注いで競技に挑み、見事キッスはもとより、レジェッティをも倒すのだった。
小ネタ
- 本作品の製作費はソースによって記述が異なっており、劇場パンフレットによると製作期間2年6カ月、製作費18億円(820万ドル)とのこと。(ホンマかいな)雑誌「スクリーン」のインタビューでは600万ドル(約13億円)映画と記述。
- 撮影は毎日3時間ずつ2ヶ月間行われた。
- 鋼鉄の巨人”キッス”を演じるハードボイルド・ハガティは、かつてプロレスラーとして全米チャンピオンになった実力を持つ。現役時代はアントニオ猪木やジャイアント馬場とも対戦している。
- 作中のバトルクリークは、アメリカテキサスのサン・アントニオから30マイル離れた町フローレスビルに作られ、スタッフやエキストラなど総勢3000名(エキストラは1200名)が集結した。
- 日本公開前の1980年7月26日にジャッキーは来日しており(8月2日まで1週間滞日)、一般的にはこれが「ジャッキーチェン初来日」として語られる(実際に当時の新聞にも掲載)ことが多いが、実際には前年の79年11月、『スネーキーモンキー蛇拳』公開前に来日しており、それが初来日である。
- 前述の80年の来日時にジャッキーは京都で、日本で開発された夢のスーパーカー「童夢号」を1,500万円で購入している。
これは「DOME P-2」のことだと思われる。(実際にジャッキーが購入したのは何色か不明)
- ジャッキーは本作品の撮影終了後にオーストラリアのキャンベルに直行し、両親に家を買ってあげた。
- 本作品での武術指導をジャッキーとする場合も多いが、自伝「僕はジャッキーチェン」によるとこの映画の最も不満な点について「スタントの振り付けが出来なかったこと」と語っている。また、『ドラゴノロード』撮影中の新聞記事の中で、次回作である『プロテクター』について書かれている記事があり、その撮影の時には『バトルクリークブロー』の教訓を生かして、今度は武師を数名連れて行くというようなことが書かれていたので、この作品ではやはりジャッキーは武術指導はしていないと思われる。
- 製作当時の新聞記事やロケ地などその他の情報は、ジャッキー映画製作年の謎【後編-11章】アメリカ進出と初プロデュースをご覧ください。
評価一覧・レビュー
大手レビューサイトでどのような評価付けをされているかの一覧です。
サイト名 | 言語 | 評価イメージ | 評価点数 | /最大点数 |
---|---|---|---|---|
amazon.co.jp | 日本語 | 評価6 | 3.2/ | 5 |
Yahoo!映画 | 日本語 | 評価5 | 2.4/ | 5 |
みんなのシネマレビュー | 日本語 | 評価4 | 3.71/ | 10 |
IMDB | 英語 | 評価5 | 5.4/ | 10 |
allmovie | 英語 | 評価5 | 2.5/ | 5 |
amazon.com | 英語 | 評価7 | 3.6/ | 5 |
Filmaffinity | スペイン語 | 評価5 | 5.2/ | 10 |
豆瓣电影 | 中国語 | 評価6 | 5.8/ | 10 |
PICK UP レビュー
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