プロフィール
- 【名前】
- 傅聲/傅声
- 張景賢(本名)/张景贤
- 張富聲/张富声
- アレクサンダー・フーシェン
- フーシェン
- Alexander Fu Sheng
- Fu Sheng
- 【出身】
- 香港
- 【生年月日】
- 1954年10月20日
- 【没年月日】
- 1983年7月7日
- 【年齢】
- 28歳没
- 【主な職業】
- 俳優
- 【著名な親族】
- 弟:張展鵬 /チャン・テンペン(俳優)
- 妻:甄妮/ジェニー・ツェン(歌手)
70年代半ば、張徹(チャン・チェ)監督のもとでブルース・リーが急逝した後の香港武打片界のトップを走った人気スター。伝説上の武術家・方世玉(フォン・サイヨ)を当たり役とし、80年代にかけて活躍したが若くしてこの世を去ったため“薄命の貴公子”とも呼ばれている。
1955年、富豪の子として生まれ幼少時より武術を学ぶ。71年にショウ・ブラザースの俳優養成所に入り、その後張徹監督作品で端役出演を数本こなし、74年の『朋友』への出演でアジア映画祭の最有望新人賞を受賞、注目を集める。
『方世玉與洪熙官(嵐を呼ぶドラゴン)』の主演に抜擢されてからは「長髪の美少年」として、張徹による“少林英雄傳四部作”などに出演。その人気を決定的なものとし香港武打片界のトップの座へ駆け上がった。
プライベートでは歌手の甄妮(ジェニー・ツェン)と結婚。さらなる活躍が期待されていたが、70年代末から撮影中の事故など度重なる不運に見舞われ、83年に俳優である実弟の張展鵬(チャン・テンペン)の運転する車に同乗中の事故により28歳という若さで帰らぬ人となった。ブルース・リーの急逝に続き「香港映画界第二の悲劇」として多くの人がその死を悼んだ。
来歴
- 1955年
- 香港有数の富豪で「太平紳士」と言われた張人龍の11人兄弟の9番目の子として香港で生まれる。
- 香港やハワイで南派少林の蔡李佛派の武術を学ぶ。ハワイで行われた空手大会で2位に入賞する。
- 1971年
- 16歳でショウ・ブラザースの俳優養成所に第一期生として入る。
- 1972年
- 父親の友人であった張徹(チャン・チェ)監督の第四世代のゴッド・サンとなり、『仇連環(復讐ドラゴン 必殺拳)』でスクリーンデビュー。脇役で数作品に出演する。
- 1974年
- イギリスの名門ホラー映画会社『ハマー・プロダクション』とショウ・ブラザーズの提携作品『朋友』に出演。アジア映画祭の最有望新人賞を受賞する。
- 張徹が『方世玉與洪熙官(嵐を呼ぶドラゴン)』の主演に抜擢、「長髪の美少年」として人気を博す。
- 続けて『少林子弟(新・嵐を呼ぶドラゴン)』、 『洪拳與詠春(洪家拳対詠春拳)』に出演する。この頃、張徹監督と武術指導家の唐佳(タン・ツァ)が喧嘩別れする。
張徹がショウ・ブラザース傘下の映画会社「長弓電影公司」を設立。ともに台湾に渡り、“少林英雄傳四部作”のラストにあたる『少林五祖(続・少林寺列伝)』に出演、香港武打片界のトップの座へ駆け上がった。また、この作品の撮影のために訪れた台北で人気歌手の甄妮(ジェニー・ツェン)と恋に落ちる。- 1975年
- 台湾での2作目となる『馬哥波羅(カンフー東方見聞録)』に出演。この頃から張徹監督とその右腕の武術指導家・劉家良(ラウ・カーリョン)の対立が表面化。
- 次の作品である『洪拳小子(ヒーロー・オブ・クンフー 裸足の洪家拳)』を撮影後、劉家良は張徹の元を去る。
- 1976年
- 12月、甄妮(ジェニー・ツェン)と結婚。かつてブルース・リーが住んでいた家を購入し新婚生活を送る。
- 1976~1977年
- ショウ・ブラザース史上最大のオールスター映画『少林寺(少林寺列伝)』、 現代アクションの『唐人街小子(ヒーロー・オブ・カンフー 猛龍唐人拳)』などに出演しある程度の成功を収めるものの、2人の有能な武術指導家を失った張徹監督の作品は一時ほどの人気は得られず大ヒットには至らず、張徹監督は「長弓電影公司」をたたみ香港へと戻る。
- 1979年
- 張徹監督の元を離れ、孫仲(ソン・チュン)監督の『風流斷劍小小刀』に出演。この作品の撮影中の事故で脳震盪を起こし一時的に視力を失う。(※当時の新聞記事)
- 1980年
- 楚原(チョー・ユン)監督の『英雄無淚』の撮影中、右足を負傷。長期休養を余儀なくされる。
ショウ・ブラザースとの契約が満期となるが、交渉の末再契約に至る。- 1981年
- 劉家良監督の『五郎八卦棍(少林寺秘棍房)』を撮影事故により途中降板。フーシェンの死後に脚本を変更して撮影を再開、1984年に完成した。
- 1983年
- 7月6日午後10時30分頃、俳優である弟の張展鵬(チャン・テンペン)の運転するポルシェ911に同乗中、対向車を避けようとして道路脇の壁に激突。フーシェンの乗っていた助手席側が壁に叩きつけられて大破してしまう。
- 病院に搬送され3時間の手術を受けたが、その翌日7日の3時40分、28歳の若さでこの世を去った。
- ブルース・リーの急逝に続き、「香港映画界第二の悲劇」として多くの人々がその死を悲しみ、葬儀では「痛失良才」の言葉が掲げられた。
他の映画人との関わり
傅聲(アレクサンダー・フーシェン)との関係が深いスター達
- 張徹
(チャン・チェ)監督。フーシェンを見出し多くの作品を監督した。
≫名鑑ページへ - 甄妮
(ジェニー・ツェン)妻。歌手。今もなお活躍中。
- 張展鵬
(チャン・テンペン)実弟。俳優。出演作は少なくそのほとんどがフーシェンとの共演作。事故の後映画界から姿を消した。
傅聲(アレクサンダー・フーシェン)関連作品リスト
要チェック☆注目作品
【1974年】
嵐を呼ぶドラゴン【1974年】
新・嵐を呼ぶドラゴン【1974年】
洪家拳対詠春拳【1974年】
続・少林寺列伝【1975年】
カンフー東方見聞録【1975年】
ヒーロー・オブ・クンフー 裸足の洪家拳【1976年】
続・嵐を呼ぶドラゴン【1976年】
ヒーロー・オブ・カンフー 蔡李仏拳【1976年】
少林寺列伝【1977年】
ヒーロー・オブ・カンフー 猛龍唐人拳【1981年】
カンフートレジャー龍虎少林拳【1984年】
少林寺秘棍房
監督作品一覧
- 1984年:南斗官三鬥北少爺 ※ショウ・ブラザース
出演作品一覧
- 1972年:復讐ドラゴン 必殺拳(仇連環) ※ショウ・ブラザース
- 1972年:四騎士 ※ショウ・ブラザース
- 1972年:年輕人 ※ショウ・ブラザース
- 1973年:警察 ※ショウ・ブラザース
- 1973年:叛逆 ※ショウ・ブラザース
- 1974年:朋友 ※ショウ・ブラザース
- 1974年:哪吒 ※ショウ・ブラザース
- 1974年:嵐を呼ぶドラゴン(方世玉與洪熙官) ※ショウ・ブラザース
- 1974年:新・嵐を呼ぶドラゴン(少林子弟) ※ショウ・ブラザース
- 1974年:洪家拳対詠春拳(洪拳與詠春) ※ショウ・ブラザース
- 1974年:続・少林寺列伝(少林五祖) ※ショウ・ブラザース
- 1975年:カンフー東方見聞録(馬哥波羅) ※ショウ・ブラザース
- 1975年:ヒーロー・オブ・クンフー 裸足の洪家拳(洪拳小子) ※ショウ・ブラザース
- 1976年:八道樓子 ※ショウ・ブラザース
- 1976年:続・嵐を呼ぶドラゴン(方世玉與胡惠乾) ※ショウ・ブラザース
- 1976年:八國聯軍 ※ショウ・ブラザース
- 1976年:ヒーロー・オブ・カンフー 蔡李仏拳(蔡李佛小子) ※ショウ・ブラザース
- 1976年:少林寺列伝(少林寺) ※ショウ・ブラザース
- 1977年:射鵰英雄傳 ※ショウ・ブラザース
- 1977年:海軍突擊隊 ※ショウ・ブラザース
- 1977年:江湖漢子 ※ショウ・ブラザース
- 1977年:ヒーロー・オブ・カンフー 猛龍唐人拳(唐人街小子) ※ショウ・ブラザース
- 1978年:射鵰英雄傳續集 ※ショウ・ブラザース
- 1978年:冷血十三鷹 ※ショウ・ブラザース
- 1979年:絕代雙驕 ※ショウ・ブラザース
- 1979年:生死門 ※ショウ・ブラザース
- 1979年:廣東十虎與後五虎 ※ショウ・ブラザース
- 1979年:風流斷劍小小刀 ※ショウ・ブラザース
- 1980年:第三類打鬥 ※ショウ・ブラザース
- 1980年:英雄無淚 ※ショウ・ブラザース
- 1981年:カンフートレジャー龍虎少林拳(龍虎少爺) ※ショウ・ブラザース
- 1981年:魔劍俠情 ※ショウ・ブラザース
- 1981年:射鵰英雄傳第三集 ※ショウ・ブラザース
- 1982年:小子有種 ※ショウ・ブラザース
- 1982年:神鵰俠侶 ※ショウ・ブラザース
- 1982年:御貓三戲錦毛鼠 ※ショウ・ブラザース
- 1982年:秘技・十八武芸拳法(十八般武藝) ※ショウ・ブラザース
- 1982年:鬼畫符 ※ショウ・ブラザース
- 1983年:花心大少 ※ショウ・ブラザース
- 1984年:少林寺秘棍房(五郎八卦棍) ※ショウ・ブラザース
- 1984年:南斗官三鬥北少爺 ※ショウ・ブラザース
傅聲(アレクサンダー・フーシェン)動画集
出演作品の他の映像は、各作品ページからご覧ください。
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