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ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-


ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-


ジェット・リーこと李連杰が初めての監督、そして現代劇へと初挑戦した『中華英雄(ファイナル・ファイター)』の時期です。(1986年~1987年)

李連杰が瀕死の状態になりながらも、懸命に撮り上げた作品ですが、一般的に駄作と語られることが多い本作。
しかし、その背景を知ると駄作という一言では語ってはいけない気がしてしまいます。

初監督作『龍之愛』始動

86年、莫大な製作費を投じた『南北少林(阿羅漢)』がまずまずの成績を収めたとはいえ、当時の香港映画の流れには勝てなかった。

少林寺(功夫)ブームの終焉を確信した銀都機構は、この年5年の契約期間が満期となるリンチェイの次回作に頭を悩ませる。

当時、ジャッキー・チェン、サモハンらは、80年代はじめより現代劇へと転換を図り、すでに成功を収めていた。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

しかし、当のリンチェイ自身は『南北少林』で受けた精神的なダメージで、映画製作に魅力を感じなくなってしまい、早くも引退することを決めていたのだった。

そこで銀都機構は、当初計画していた『飛紅巾』や張鑫炎監督、于承惠主演による『戦国風雲』へのリンチェイの参加を取りやめ、脚本と監督をリンチェイ自身に担当させることで、好きな映画を作って良いからまた映画を撮ろう、と説得。

いくら武術に秀でているとはいえ、リンチェイの出演作はわずかに3本。
自らの経験不足は重々承知の上だったが、『南北少林』撮影時に感じた様々な不条理を、自らの映画の中で表現することで世の中に訴えることが出来るのではと思い、この話を引き受けることに。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

こうして1986年8月、製作費は2,000万元(前作『南北少林』の倍)と巨額の予算で、『龍之愛』が87年1月の完成を目指して撮影開始される。

リンチェイは製作期間や予算などの重圧に耐えながらも、自らの経験不足を埋めるべく、懸命に取り組んだ。

その頃からリンチェイの体にある異変が起きていた。
たびたび腹痛に見舞われ、特に徹夜の時なんかはひどく痛んだ。

しかし、弱音を吐くことは出来なかった。
そう、自分は監督なのだから・・・

この時期の幻の作品がこちら。

『中華英雄』倒れる

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

その後、作品のタイトルは『中華英雄』へと変更。
当初はリンチェイ自身が担当していた脚本も、政治的な要素から変更が加えられていった。

前3作で助監督を務めた施揚平(スー・ヤンピン)が脚本と現場監督として、リンチェイをサポート。
相手役には欧州のボクシングチャンプ、カート・ローランド・ピーターゼンが配された。

そうして撮影は進み、10月の時点で半分、11月には3分の2を撮り終えていた。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

しかし、その頃リンチェイの体は限界に達していた。
精神的・肉体的な疲労が増すにつれ、腹痛の痛みも増した。

周囲から見ても、リンチェイの憔悴ぶりは明らかだった。

ある日の撮影中、簡単なアクションシーンをこなすことでさえ難しくなった。

そして、その直後、リンチェイは突然倒れ意識不明に陥る。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット 『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

奇病と趙学群

リンチェイは緊急入院。

何週間も食事すら出来なく、点滴で生命を維持していた。

中国武術界の至宝である彼のもとへ、国家の手配で東洋・西洋問わず様々な名医が訪れたが、誰もその原因すら特定できず、治療することはできなかった。

原因不明の奇病。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

病気の原因を探るため、腹部の切開を勧められたがリンチェイはこれを断り、友人の勧めで趙学群という一人の女性を頼った。

彼女は霊的な能力を持つといわれる人で、リンチェイは彼女に背中をマッサージされた二日後、大量の黒い血を吐きだした。

不思議なことに、その後治療を続けるたびにリンチェイは回復に向かっていく。

こうして趙学群は、リンチェイにとっての命の恩人となり、その後の彼の人生において大きな影響力を持つこととなった。

復帰と再中断

その後、まだ全快とは言えず、心配する声も多い中、リンチェイは現場へと復帰。

何とか遅れを取り戻そうとしたものの、次々と災難が降りかかる。

鼻を骨折。

さらには高所からの落下シーンで肋骨を7本も骨折し、再度撮影の中断を余儀なくされる。

リンチェイの急病とケガによって、87年1月の公開は叶わず、製作会社は計画を変更、夏休みの公開を目指して、ふたたびリンチェイの回復を待つこととなった。

李連杰(ジェット・リー)と成龍(ジャッキー・チェン)

華僑日報, 1987-02-12(李連杰が成龍に「龍泉宝剣」を送る(1年前に成龍が武師紹介、夕食を共に)

2008年、『ドラゴン・キングダム』で夢の競演を果たしてくれたジェット・リーとジャッキー・チェン。
その時のインタビューによると、ジェットは70年代終わりごろにジャッキーの映画のビデオを見て、ジャッキーは80年にジェットがアメリカで演武を見たとか。(確かにジャッキーは80年にアメリカにいたけど、ジェットは『少林寺』撮影中にアメリカに?)

ジャッキーがジェットを見たのは、香港での武術表演でその時ジェットは11歳。(74年頃かな?)

初めて会ったのは、ジャッキーがアメリカで映画を撮っている時、当時16歳のジェットの表演を見に行きバックステージを訪れた時らしいです。(1979年~80年のお話ですね。ジャッキーが『バトルクリーク・ブロー』を撮影しにアメリカにいた頃のことだと思います。)

その後ジェットは『少林寺』に出演し、プロモーションで香港を訪れたが、ジェットは国宝の重要人物だったので非公式にしか会えなかったらしく、ジャッキーが車で迎えに行き、ホテルの個室で夕食を共にしたとか。
その後もジェットが香港を訪れるたびに、夕食を共にしたり、夜景を見に行ったりしていたのだとか。(85年頃から交友が始まったとも語られています。)
一緒にいるところを写真に撮られたりしてはマズかったらしく、ジェットを気遣っての密会だったようですね。

右の画像はこの頃の新聞記事で、ジェットがジャッキーに「龍泉宝剣」を贈ったというという内容です。
ジャッキーはお返しにダウンジャケットをあげたそうです。
ジェットが長剣をあげたのは、1年前(『南北少林』の時?)にジャッキーがジェットに武師を紹介したお礼のようです。

ちょうどこの頃は、ジャッキー作品をジェット作品が一時的に興行を抜いたこともあって、メディアでは二人を比較するような記事が多かったのですが、当の二人はそんな感じではなかったみたいですね。

映画のプロモーションの一環として、そういった話が語られることは多いですね。(たとえば『ラッシュ・アワー3』でのジャッキーと真田広之など、『昔からの友人なんだ」と言いつつも、とてもメイキング映像を観る限りそうは思えないと感じたり・・・)

でも、『ドラゴン・キングダム』の時のふたり(メイキングやプロモの時など)は本当に仲が良さそうで、それを観るだけで幸せな気分になったものです。
現状では、再共演は厳しそうですが、なんとか実現できないかなぁ。。。

結婚

そして、3か月後。

1987年4月、それまでに撮影されたものあまり満足できず、またリンチェイの状態を不安に感じた製作会社は、助っ人として徐小明を派遣しリンチェイをサポートさせることになり、再撮影がスタート。

6月。徐小明のヘルプによって、撮影は順調に進み4分の3ほど終えた頃、リンチェイは黄秋燕(ホァン・チューイェン)と極秘結婚
北京の古い家にジェットの母親と共に移り住んだ。

7月、様々な困難を乗り越え、『中華英雄』の撮影がようやく完了。
また、この頃黄秋燕との交際を認めたものの、公には2年後に結婚するということで、既に結婚している事実は伏せられたままだった。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット 『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

この作品の編集作業は秋ごろまで続き、翌88年2月の公開が決定。
次回作として徐小明監督、李連杰主演作品の計画も浮上する。

リンチェイの体は依然として問題を抱えており、医者からは安静にするように言われていたが、映画のプロモーションで各地を飛び回った。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット 『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット
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黄秋燕(ホァン・チューイェン)との結婚

李連杰(ジェット・リー)と黄秋燕(ホァン・チューイェン)

黄秋燕は、1961年8月30日、父・黄伯寿、母・陳良環という裕福な舞踏家の両親のもと生まれ、その後、北京業余体育学校へ通うようになり、ジェット・リーと出会います。

彼女はやさしくて、朗らかで、しかも恥ずかしがりや。
そしてそんな彼女のまわりにはいつもたくさんの人が集まっていたようです。

全国武術チャンピオンにこそなれなかったものの、北京の大会では蛇拳と剣術で優勝。

幼い頃から多くの時間を共に過ごす姉弟のような関係だった二人ですが、『少林小子(少林寺2)』での共演をきっかけに、二人の仲は急速に進展していったようです。

黄秋燕はよく李家に通っていたそうですが、逆にジェットが黄家を訪れることは稀で、あまり黄家との関係は良好とは言えなかったみたいですね。

そして1987年6月3日に二人は結婚をするわけですが、式も披露宴も行わず、親しい友人にも知らせず、両親には結婚後に事後報告。黄秋燕の両親は二人の結婚にあまり賛成ではなかったみたいですね。

また、この結婚は趙学群による占いで、黄秋燕と結婚すれば家庭はうまくいくと言われたことも影響しているのではと言われています。

  • 華僑日報, 1987-07-14

    華僑日報, 1987-07-14
    (黄秋燕は結婚対象と交際を認める)

  • 華僑日報, 1987-10-08

    華僑日報, 1987-10-08
    (黄秋燕とは2年後に結婚、「中華英雄」編集作業、徐小明と次回作の予定)

  • 華僑日報, 1987-11-11

    華僑日報, 1987-11-11
    (黄秋燕とは2年後に結婚、二男一女希望)

  • 華僑日報, 1988-06-16

    華僑日報, 1988-06-16
    (黄秋燕と結婚)

『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』の製作経緯や関連記事

『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』に関する新聞記事やインタビューなどの情報をまとめると、

  • 1986年8月、『龍之愛』として撮影開始。
  • 1986年10月、『中華英雄』撮影中。半分を撮り終える。
  • 1986年11月、撮影順調。3分の2が終了。李連杰が監督・脚本・主演の3役。
  • 1987年1月、李連杰の怪我と病気で撮影中断中。計画を大幅に変更。3カ月間撮影中断。
  • 1987年4月、徐小明がヘルプで派遣。
  • 1987年7月、香港・青島ロケを十数日で完成。
  • 1988年2月、香港公開。

初期のジェット・リー作品には、必ずと言っていいほど怪我(病気)による撮影中断・延期のジンクスが付きまとっています。

そのため、この頃の出演作品が非常に少ないのは残念でなりませんね。

  • 華僑日報, 1986-10-22

    華僑日報, 1986-10-22
    (李連杰「中華英雄」撮影中)

  • 大公報, 1986-11-03

    大公報, 1986-11-03
    (李連杰「龍之愛」撮影中)

  • 華僑日報, 1986-11-09

    華僑日報, 1986-11-09
    (改題と3役)

  • 華僑日報, 1987-01-19

    華僑日報, 1987-01-19
    (ケガで製作遅延、夏休上映予定、製作費2000万元)

  • 華僑日報, 1987-05-03

    華僑日報, 1987-05-03
    (李連杰、経験不足で会社は不満、徐小明をヘルプで派遣)

  • 華僑日報, 1987-06-14

    華僑日報, 1987-06-14
    (4月から徐小明ヘルプし、4分の3終了、再度徐小明と組む可能性も)

  • 華僑日報, 1987-06-28

    華僑日報, 1987-06-28
    (徐小明『中華英雄』撮影中、8月には終了予定))

  • 華僑日報, 1987-07-05

    華僑日報, 1987-07-05
    (撮影1年、病気で3か月中断、その後鼻骨折、香港と青島ロケを十数日で完成)

  • 華僑日報, 1988-01-29

    華僑日報, 1988-01-29
    (徐小明監督、李連杰主演作品の計画中)

  • 華僑日報, 1988-02-14

    華僑日報, 1988-02-14
    (「中華英雄」について)

李連杰(ジェット・リー)と王祖賢(ジョイ・ウォン)

余談ですが、87年ジェット・リーは徐克(ツイ・ハーク)製作、程小東(チン・シウトン)監督の『倩女幽魂(チャイニーズ・ゴースト・ストーリー)』撮影現場を訪れ、王祖賢(ジョイ・ウォン)と記念撮影しちゃってます。

『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』公開

1988年2月16日、『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』がついに公開。

リンチェイが命をかけて撮り上げた作品だったが、評価は得られず、興行的に失敗。

香港での興行収入は1,100万HKドル、年間では39位という成績に終わる。

その後、趙学群のもとで治療を続けるリンチェイ。

その体は8か月を過ぎたころから、ようやく回復に向かって行った。

失意のリンチェイだったが、この頃「深圳中華武術国際発展有限公司」を設立、中国武術の発展のため、黄秋燕とともにアメリカへの移住を決める。

そして、この作品以降、自身でメガホンをとることは二度と無かった・・・

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』基本データ

『中華英雄(ファイナル・ファイター 鉄拳英雄)』基本データ

【監督】李連杰(ジェット・リー)
【武術指導】徐小明(ツイ・シウミン)

【出演】
李連杰(ジェット・リー)、卻柏德遜(カート・ローランド・ピーターゼン)、
趙爾康(シャオ・イーオン)、宋佳(ソン・チャ)、PauloTocha(パウロ・H・P・トチャ)

【製作】1986年8月~1987年7月
【製作費】2,000万元(約8億6千万円)

【公開】1988-02-16(香港)、1998-02-16(日本)

【興行成績】香港:1,150万HK$(39位)

この他の動画や詳しい情報は、ファイナル・ファイター 鉄拳英雄/中華英雄(1987)
の記事をご覧ください。

本来の『中華英雄』はどうのような作品だったのか

手直しされる前の本来の『中華英雄』、というか当初のタイトルである『龍之愛』とはいったいどのような作品だったのでしょうか。

完成後の『中華英雄』からは想像もできないタイトルですよね。

『中華英雄』の脚本は施揚平(スー・ヤンピン)と捷爾戈(ジェ・アージ)がクレジットされていますが、最初は脚本もジェット・リーによるものだったようです。

のちにジェット・リー自身もインタビューなどで語っているように、当初は自分が『南北少林』の時に感じた香港人と大陸人の不平等を別なものに置き換えて表現したかったはず。
アメリカ人が悪い、日本人が悪いといったありがちな作品ではなく、戦争後の中国政府のあり方みたいなものへの批判的な作品だったために、検閲を考慮して製作会社側が改編したんでしょうね。

引退を撤回して、慣れない監督まで引き受け、大病を患ってまで撮った作品だったのに、自分の本当に伝えたかったことがかなわず・・・

こうした背景を考えると、単なる駄作とは言えなくなりました。
この作品の暗さやジェットの怒りの表情はまさに彼の心を映したものだった気がします。

余談ですが、劇中での採血シーンはジェット・リー本人による実際の採血という話は有名ですね。(病気で本当の採血が必要だったという可能性もありますが・・・)

う~ん、なんだか、いろいろと納得しちゃいました。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット 『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

ちなみに、本作品のロケは北京、青島、広州、香港で行われ、戦艦、軍隊、戦車などのシーンは案の定、徐小明によるもののようです(笑)。

2,000万元(約6億5千万円)と言われる製作費が、かなりこのシーンで使われた気がします・・・

全編を通してなんだかまとまらない印象を受けるのは、検閲を意識しての脚本の変更や途中から徐小明が参加したからなんでしょうか。。。

『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット 『ジェット・リー物語【第7章】謎の病 -1986~1987-』のエピソードショット

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