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ジャッキー映画製作年の謎【特別編-3章】85~89年-復帰とこだわりの作品作り

『【第3章】85~89年-復帰とこだわりの作品作り』の画像

80年代ジャッキー作品特別編の最終章は、『サンダー・アーム』撮影中の大怪我から復帰したジャッキーが、『プリジェクトA2』、『ポリス・ストーリー2』といったヒット作の続編を製作。ゴールデントリオ最後の作品『サイクロンZ』、ドラマ性を追求した『奇蹟/ミラクル』を製作する1989年までの動きを追っています。

一作品に対するこだわりが強くなり、製作期間も長期化、そして製作費も膨大になっていきます。

サンダーアーム 龍兄虎弟(1986)

『サンダーアーム 龍兄虎弟』の画像

作品自体の企画は、1985年3月の時点で曾志偉(エリック・ツァン)の企画として新聞に紹介されています。この時点ではジャッキーの名前はなく、当初は絡んでいなかったのかもしれません。

そして『ポリス・ストーリー』、『ファースト・ミッション』、『七福星』と立て続けに3本の作品の撮影が終わったジャッキーは、曾志偉(エリック・ツァン)監督ですぐにこの作品の製作に取り掛かります。

8月にはすでにジャッキーはユーゴスラビアへ。その後9月2日に『ファースト・ミッション』のプロモーションのため来日、9月4日には日本を立ち、ふたたびユーゴスラビアへ。

飛行機を乗り継ぎ丸々2日かけて9月6日に到着したが、その翌日9月7日にユーゴスラビアのザグレブで撮影中に15メートルの高さから落下、頭がい骨骨折の大事故に遭い、撮影を3分の2ほど残し一時中断となります。

この3分の2は終了というのを考えると、8月は中盤まで『ポリス・ストーリー』の撮影が入っていましたので、実質半月で3分の1が撮り終えていたということになるんでしょうか。もしこの事故が無ければ85年中に完成していたのは間違いなさそうです。

『『サンダーアーム』撮影中1』の画像

事故の後ジャッキーは、85年10月17日にヨーロッパの病院で精密検査を受け、無事退院し香港へ戻ります。

驚異的な回復を見せたジャッキーは、自身のプロダクションの作品製作や来日してテレビに出演、ファンクラブでのクリスマスパーティーなど精力的に仕事をこなす。

『『サンダーアーム』撮影中2』の画像

そして、翌86年3月に本作品の撮影に復帰し、それまでの監督であるエリック・ツァンがジャッキーのケガによりスケジュールが合わなくなってしまったため、ジャッキー自らメガホンを取ることになります。

『『サンダーアーム』撮影中3』の画像

4月29日には再びユーゴスラビアロケに出発、その後ヨーロッパ各地でのロケを終え、6月14日に帰国したようです。

公開は、当時の日本でのジャッキー人気を物語るように香港よりも5カ月も前の86年8月16日に日本で最初に公開されています。

プロジェクトA2 史上最大の標的/A計劃續集(1987)

『プロジェクトA2 史上最大の標的』の画像

本作品は、1985年9月に『サンダーアーム』の撮影中、大けがを負った時に空いた時間で構想を練り、『サンダーアーム』完成後に、前作同様サモハン、ユンピョウとともに製作する予定だったが、2人は『イースタン・コンドル』の製作で参加出来なかったとのこと。

そして1986年10月3日にクランク・インし、撮影は徹底した極秘体制で進められ、翌87年6月にクライマックスシーンを撮影、日本公開の直前の7月9日にクランク・アップしています。

サモハンとユンピョウの穴を埋めるかのように集められた5人のヒロインや刑務所のシーンを含む「幻の初期版」などでも有名な本作品だが、何といってもセット、小道具から衣装に至るまでジャッキーの徹底したコダワリが随所に見られる作品でもあります。

『『プロジェクトA2』幻のシーン』の画像

総製作費18億円といわれる巨額な製作費。この作品のせいで他の作品が一切撮影出来なかったというほどの規模でスタジオを独占したと言われているセットに費やされたのは、その半分以上のおよそ10億円といわれています。

『『プロジェクトA2』撮影中』の画像

サイクロンZ/飛龍猛將(1988)

『サイクロンZ』の画像

本作品の製作経緯はよくわかりませんが、すでに『ポリス・ストーリー2』や『奇蹟-ミラクル』の製作準備に入っていたと思われる1987年秋に製作が開始されているようです。

ジャッキーが86年の『サンダー・アーム』から90年の『プロジェクト・イーグル』までの6本の主演作の中で唯一、自身が監督しなかった作品で、ゴールデンハートリオが活躍する最後の作品となってしまいました。

おそらくは監督であるサモハンの呼びかけに応えた形での主演だと思われます。ちなみに、初期タイトルなのか語報なのかわかりませんが、1988年1月の撮影中の記事ではタイトルが『飛龍福星』となっていました。

下はその1月21日の新聞ですが、3人それぞれが写真付きで別の記事で掲載されていました。(下画像は写真だけ加工して掲載)日本だけでは無く、香港でもこの3人の注目度が高かったことが伺えますね。

『1988年01月21日、華僑日報』の画像

香港での公開が2月11日ですので、ギリギリまで撮影したいたようですね。

『『サイクロンZ』撮影中の3人』の画像

また、この時のジャッキーの抱えているプロジェクトは『サイクロンZ』のほかに5作品あったようで、まず『ポリス・ストーリー2』、続いて『奇蹟/ミラクル』、そして幻の作品として有名な『滅火群雄(ファイアーマン)』、『プロジェクト・イーグル』、そしてハリウッド作品1本(これが何なのかは不明)となっています。

ポリス・ストーリー2 九龍の眼/警察故事續集(1988)

『ポリス・ストーリー2 九龍の眼』の画像

87年秋にともに製作準備が開始された『奇蹟/ミラクル』が、脚本練り直しの為中断、また、サモハン監督による『サイクロンZ』の撮影がはいったため、本作品も中断され、翌88年に『サイクロンZ』の撮影終了後にクランク・インしたものと思われる。『サイクロンZ』撮影中に受けた雑誌のインタビューにも次回作は『ポリスストーリー2』で早くクランク・インしたいと答えている。

幻のヒロイン朱寶意(エミリー・チュウ)の存在や大幅な脚本変更、終盤シーン撮影中のマギー・チャン負傷など問題は多少あったものの撮影は順調に進み、初公開となる日本の8月13日の公開日直前まで撮影が続けられ、出来あがったフィルムから順次日本に送られ編集して公開されたほど、当時の日本でのジャッキー人気は凄まじかった。

ちなみに日本公開時、ジャッキーチェン「監督・主演」10本記念超大作と謳われていた。当時は特別気にかけなかったが、よくよくカウントして見るとここまでのジャッキー監督作は8本しかない。変だな~と思いパンフレットで調べたところ、『バトルクリーク・ブロー』と『プロテクター』の香港版をジャッキー監督としてカウントして10本ということのようです。(『バトル・・・』って香港版てあったっけ?)

奇蹟 ミラクル(1989)

『奇蹟 ミラクル』の画像

製作の準備は1987年の秋から始まったものの、本作品の脚本練り直しのため、『ポリスストーリー2 九龍の眼』が優先的に製作され、結局本作品は間に『サイクロンZ』、『ポリス・ストーリー2』を挟んだために1年半という長い製作期間となった。(実際に要した期間は1988年9月21日のクランクインから1989年6月4日のクランクアップまでの約8カ月半)

クランクインも、『ポリス・ストーリー2』の撮影完了直後、8月20日が予定されていたが、その後9月5日に変更。しかし、ジャッキーがマレーシアでのチャリティの時、演目の練習時に全治1ヶ月のケガをしてしまったためさらに延期されることに。さすがに1ヶ月も待てないと言うことで9月21日にクランクインしたが当初はケガが完治していないため、アクションがないシーンを先に撮影していたらしいです。

ジャッキーはこの作品の完成後、90年に『プロジェクト・イーグル』の撮影に入るまで10カ月もの長期に渡って、自身の主演作の撮影をしていません。

『『奇蹟/ミラクル』撮影中』の画像

対象作品まとめ

今回は作品数が少ないため、一気に4年間をまとめましたが、85年の大事故のあとは製作スケジュールにも変化が出てきています。

基本的には1作品に集中して取り組み、撮影後はプロモ活動や次回作の準備期間として数ヶ月インターバルをとってまた撮影というパターンです。(『サイクロンZ』から3連作してますが・・・)

この時期はジャッキーの一作品に対するコダワリが非常に強くなっていて、その分製作時間が長くなったり費用がかかったりと周囲は大変だったろうな~と思います。

当然、公開本数も以前よりは減って来て年に1~2本程度になり、ファンにとっては寂しい時期に。そして日本では、第1世代のジャッキーファンが思春期に突入(私がまさしくそう)し、ジャッキー人気も徐々に落ち着いてきます。

『1986年から89年の4年間の香港と日本でのジャッキー作品公開状況』の画像

それでは、ここで取り上げた6作品を一覧表にまとめてみます。

1986年から89年のジャッキー作品
製作時期初公開邦題
(原題)
製作会社監督香港興収HK$
(総合順位)
備考
(1985年8月~)1986年3月~6月1986-08-16
[日本]
サンダーアーム 龍兄虎弟
(龍兄虎弟)
嘉峰電影
(攝製)Gハーベスト
成龍
曾志偉
35,469,408
(1位)
主演
撮影中に大ケガで一時中断
1986年10月3日~1987年7月9日1987-07-25
[日本]
プロジェクトA2 史上最大の標的
(A計劃續集)
嘉峰電影
威禾電影
Gハーベスト
成龍31,459,916
(3位)
主演
1987年秋(11月頃?)~1988年1月1988-02-11
[香港]
サイクロンZ
(飛龍猛將)
嘉峰電影
Gハーベスト
洪金寶33,578,920
(3位)
主演
最後のBIG3主演作品
(1987年秋~)1988年2月~8月上旬1988-08-13
[日本]
ポリス・ストーリー2 九龍の眼
(警察故事續集)
嘉峰電影
威禾電影
Gハーベスト
成龍34,151,609
(2位)
主演
(1987年秋~)1988年9月21日~1989年6月4日1989-06-15
[香港]
奇蹟 ミラクル
(奇蹟)
嘉峰電影
威禾電影
(発行)Gハーベスト
成龍34,036,029
(2位)
主演

下記はこの頃の製作時期イメージ図になります。

『1985年から89年のジャッキー・チェンの動き』の画像

商品情報

今回で約2カ月に渡って連載してきた [ジャッキー映画製作年の謎] シリーズはひとまず終了となります。ふぅ・・・

80年代最後の作品『奇蹟-ミラクル』の後は長い休息期間を経て多少迷走期に突入していくわけですが、また機会があれば90年代以降のジャッキー作品についても取り上げられればと思っています。

カテゴリ: ジャッキーチェン研究室.


4 件のコメント

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  1. るひー says

    サイクロンZのメインキングを見ると・・・
    https://www.youtube.com/watch?v=0XLXKJMj3aw

    カチンコのタイトル表記の変遷が面白いです。

    タイトル  撮影日   監督
    賀歳88  1987/11/30 サモハン
    群龍譜  1987/12/17 サモハン
    群龍譜   1987/12/20 ジャッキー
    群龍譜  1988/1/2  サモハン 
    飛龍福星 1988/1/11  ジャッキー

    監督がジャッキーとなっているとこは部分的にジャッキー監督なのか
    ジャッキーのガチンコが使われただけかよくわかりません。

    • KungFuTube says

      こんばんは。
      当時は3人ともかなり多忙だったので、この作品の制作は相当バタバタしていたみたいですね。
      その過程で2~3班に分けて撮っていた(それぞれ成龍・洪金寶・元彪)そうなので、
      おそらく仰る通りカチンコの名前はその場面を撮っていた人物の名前になっているのではないでしょうか。
      タイトルの変遷もバタつきを連想させますね~。

  2. macee says

    はじめまして!あなたのジャッキー分析に脱帽です。こちらもジャッキー世代です。日本のマーケットは過去のジャッキーブームを忘れつつもありますが、応援し続けたいですね(゚o゚;; しかし、近年の作品は中国色が極めて高いのはご指摘のとおりですが、映画の始まりに(成龍作品もしくは、a jackie chan film)の表記がないのは、本人にとっても思い当たるところがあるのでしょうか‥とにかく、これからもよろしくお願いします

    • kungfufan says

      maceeさんはじめまして。
      ブーム再来は厳しいかもしれませんが、まだまだ火は絶やさずに応援していきましょう!



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