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ジャッキー映画製作年の謎【後編-8章】契約問題と『ヤングマスター』

『【第8章】契約問題と『ヤングマスター』』の画像

今回はジャッキー・チェンと羅維の契約問題、そしてそんな中製作された『ヤングマスター』や、結局幻の作品となったオリジナルの『醒拳』などについて、1979年から1980年にかけてのジャッキーの足取りを調べていきます。

この頃から、『酔拳』に続く『笑拳』の大ヒット、そして契約問題でジャッキーに関する新聞記事も3日に1日は掲載されるぐらいに倍増していきます。

自伝の記述を確認

自伝「僕はジャッキーチェン」の今回の範囲を要約すると次のようになります。

羅維とジャッキーと新たに契約を結び、次回作は『醒拳』だと発表する。

一方、ウィリーは先の羅維との契約に、「他で好条件があった場合は、契約を破棄できる」という条件が含まれていると思っているため、ジャッキーの移籍先を探すため奔走していた。

ゴールデンハーベストから100万HKドルの移籍話が持ち上がるが、まだまだジャッキーの市場価格は上がると踏んでいたウィリーは、それに飛びつかずじっと次のラウンドを待っていた。

ゴールデンハーベストの提示額が270万HKドルまで上がっていた頃、その話が羅維の耳に入り羅維は激怒。
ジャッキーとウィリーに契約書を突き付ける。

そこに書かれていたのは、ジャッキーが他へ移籍するために必要な金額は1,000万HKドルということだった。
契約時の話では10万HKドルのはずだったが、ジャッキーが空白の契約書にサインしてしまったが為に、金額を改竄させられてしまったのだ。

ウィリーはクビになり、ジャッキーは自らの軽率な行動を悔やむ。

しかし、落ち込む2人のもとに救世主が現れる。ジャッキーに恩のある契約係の支配人が、もし裁判になった場合、羅維の契約書改竄を証言してくれるというのだ。

ふたたび希望の光を見出した2人は、ジャッキー・チェンの「競り」を再開する。

1週間後、ゴールデンハーベストは420万HKドル、ショウブラザーズは500万HKドルの提示額だった。
ウィリーは、経営者の人格、そして今後の世界戦略を考えて、ゴールデンハーベストへの移籍を勧める。
当時ゴールデンハーベストのトップスターだったマイケル・ホイでさえ、1本の映画につき10万HKドルだった頃に、420万HKドルのボーナスは破格だった。

そしてジャッキーはゴールデンハーベストでの第1作目『ヤングマスター/師弟出馬』の製作に取り掛かった。

しかし、撮影が進むにつれ撮影現場で不審な出来事が起こり始めていた。放火やゴールデンハーベストの重役の車に血だらけの犬の頭が置かれていたこともあった。

そんなある日、ジャッキーのもとにトライアッズといわれるギャングたちがやってきて、ジャッキーは羅維のもとに連れて行かれ、あらためて契約を迫られる。出演料はジャッキーの言い値で構わない、と。ジャッキーはその返答を保留する。

『ヤングマスター』の撮影は3分の2ほど進んでいたが、他の障害が出てくる前に完成したかったジャッキーは、自身と撮影チームをボロボロになるまで酷使していた。
そんなジャッキーを見て心配してくれるウィリーに対して、ジャッキーは羅維とギャングのことについて打ち明けた。

ウィリーが問題解決のため、レイモンド・チョウに相談している頃、再びジャッキーのもとに度々トライアッズが現れるようになっていた。そこでジャッキーは羅維の作品に出演することを約束してしまう。

数日間、『ヤングマスター』のポストプロダクションの仕事と、羅維の『醒拳』製作現場を往復する。しかし、羅維の姿はなく、撮影機材もそれは酷いものでとても映画をつくれるような環境では無かった。

そしてようやく事態は問題解決に動き出す。羅維との間の1,000万HKドルの契約についてはレイモンド・チョウが引き受け、トライアッズとの問題に関しては王羽(ジミー・ウィング)が仲裁に入ることになったのだ。

その後、ジャッキーとウィリーは台湾に少し滞在し、そこから南米へ。その頃香港では『ヤングマスター』が公開され大ヒット。そしてジャッキーは単身アメリカへ向かうことになった。

ちょっと長くなりましたが、大体こんな感じでしょうか。

この羅維との問題に関しては、自伝「僕はジャッキー・チェン」で詳細が語られるまでは、”ジャッキーが二重契約しちゃって失踪した”というような、どちらかというとジャッキーに非があるような書かれ方をしていました。

本当の真実は我々には知る由もありません。個人的にはジャッキーが語っていることが真実に近いのだろうと思っています。(ジャッキーにも非はあると思いますが・・・)

『ヤングマスター』撮影までの長い道のり

『蛇拳』、『酔拳』、『笑拳』の3作ヒットで変わっていくジャッキーの扱い

さて、当時の香港映画界ではこのような契約関係のトラブルは結構あったようです。どこのプロダクションも金の成る木は手放したくないというのは当然なのでしょう。

ジャッキーに関しては、呉思遠へレンタルされ1978年3月に公開された『スネーキーモンキー蛇拳』のヒットによって、「金の成る木」とみなされるようになっていきます。

その翌月のジャッキーの誕生日には羅維がスポーツカーをジャッキーに贈っています。

そして、呉思遠に対して2度目のレンタルも決まるのですが、羅維はなかなかジャッキーを手放さず、『拳精』、『龍拳』、『鬼手十八翻』と立て続けに自身の作品に出演させます。

羅維の作品の合間を縫ってなんとか完成した『ドランクモンキー酔拳』が10月に公開され、メガヒットを記録。

『酔拳』に続く呉思遠との合作の話もあったようですが、ジャッキーが「金の成る木」だと確信したのか、ジャッキーが監督することや映画の収益の分配金を承諾してジャッキーを囲い込み、他のプロダクションへの貸し出しを禁止してしまったようです。

下の記事には『拳精』の時の撮影現場の写真も掲載されています。

『1978年11月09日、華僑日報』の画像
新聞記事:1978年11月09日『華僑日報』

そして、いよいよ『笑拳』の撮影が終わったころあたりから、ジャッキーの周辺が騒がしくなっていきます。

ゴールデンハーベストとの二重契約

下の記事は『笑拳』完成間近の78年12月の記事ですが、すでにこの頃にはジャッキーのゴールデンハーベストでの製作話が出ていたようですね。

また自伝でも書かれていた100万HKドルの話を断ったことも記述されています。(ここではゴールデンハーベストではなく、某公司となっていますが)

ちょっと訳に自信が無いのですが、この時すでに羅維は台湾の会社にジャッキー作品を1部70万HKドルで10部、合わせて700万HKドルで版権を売っていたようですね。さらに350万HKドルを前金として受け取ったということでしょうか。この辺のことが、後の1,000万HKドルの解除金につながっているのかもしれません。

次もその頃の記事ですが、これによると12月はじめにジャッキーは台湾でゴールデンハーベストと契約(240万HKドル)してしまったということです。

そして、羅維がこの件に関して法的な行動に出ようとしていて、400万HKドルの賠償を求める。また、契約の解除には自伝にもあるように1000万HKドルが必要というようなことが書かれているのではないでしょうか。

また、この頃には前章でも触れたように、羅維が『鬼手十八翻』と『笑拳』のダブリ契約で問題になっています。

また、これも前章でふれましたが、ジャッキーは『笑拳』で監督・脚本・武術指導・主演の4役で410万HKドルの収入を得ていたようです。

豊年影業公司とは

ところで『笑拳』の出品公司である豊年影業公司。これはジャッキーとウィリーが共同で立ち上げた会社ということになっているが、実際はどうだったんだろうか。あくまでも、『笑拳』は最初に羅維と交わした契約のうちの1本。

もととなる作品が『鬼手十八翻』であったため、脚本に羅維の名は残っているものの、他には羅維の文字はない。しかし、羅維の奥さんである許麗華の監製となっている。

豊年影業は契約問題でゴネる2人(ジャッキーとウィリー)を納得させるために羅維が作った会社(子会社?)のような気がする。とりあえず、役員なんかにして、儲かったらそこからもボーナスあげるからとか言って・・・。

実際、ジャッキー達が関わった豊年影業の作品は『笑拳』のみで、その後は豊年影業の作品として、『賊贓 (1980)』、『暗夜 (1986)』、『勇闖江湖 (1986)』、『厲鬼纏身 (1987)』などが発表され、監製や出品者として羅維の名がクレジットされている。

それか、もしかしたら契約問題の解決条件のひとつとして、会社ごと羅維に譲渡された可能性もあるかもしれませんね。

幻のジム・ケリーとの共演作品 『掠取(SUNTCH)』とサモハンとの合作計画

もうひとつ脱線。この頃、羅維プロでの次回のジャッキー作品は『醒拳』が予定されていたわけですが、そのほかにも国際市場への進出も狙っていたようで、スペインとの合作計画も考えていたようです。

ちょっと観たかった気もしますが(怖いもの見たさ?)、共演はなんと占基利(ジム・ケリー)!

『ジム・ケリー(Jim Kelly)』の画像

3・4月に予定されていたようで、タイトルは『掠取(SUNTCH)』(※略奪という意味)。製作費は600万米ドル、ジャッキーのギャラは80万米ドル(約400万HKドル)で考えていたようですね。

ここで、ちょっと興味深い記事をもうひとつ。ジャッキーは『笑拳』さ撮影が落ち着いた78年12月半ば頃に、サモハンに連絡をして一緒に作品を作れないかと打診していたようなのです。

以前にジャッキーとサモハンの合作話はあったみたいですが、なかなか実現は難しかったようです。うまく訳せないのでその理由については推測なんですが、まさにモメているプロダクションの問題、ギャラ的な問題、ほかにも2人のスター共演には色々と障害があったみたいですね。 ちなみに、ユンピョウは2月にゴールデンハーベストと3年契約を結び、サモハン監督による『モンキーフィスト猿拳(雜家小子)』で初主演を果たしています。

古装片でのジャッキーとサモハンのダブル主演作品も観てみたかった気もしますな~。

ジャッキー・チェン争奪戦と王羽(ジミー・ウォング)登場!

話を元に戻します。2月17日、『笑拳』が香港で公開され大ヒット。これにより、ジャッキーの市場価値はさらに跳ね上がることになります。

また、2月末からはどこのプロダクションでの作品か不明ですが、台湾で新作の撮影を開始する予定だったみたいです。

結局、この作品は撮影されず3月に。ジャッキーは呉思遠やショウブラザーズとも会合しています。ちなみにショウブラザーズは3作品で1,500万HKドルを提示していたようです。

3月半ばの時点で、成龍獲得合戦はショウブラザーズよりもゴールデンハーベストがやはり優勢になっていたようです。

そして、ジャッキーはゴールデンハーベストとの協議を終え、世界進出の計画が徐々に進行していきます。

この時進行中の企画として、作品名は挙げられていませんが、香港でジャッキーが監督・脚本・主演と『ヤングマスター』と思われるものと、もう1本はアメリカとの合作で、監督候補として『燃えよドラゴン』のロバート・クローズと、もう一人は『第三兵団』の薛尼菲勒(誰の事だろう?)の2人が上がっていて選任中と書かれています。結果的にはロバート・クローズが選ばれ、『バトルクリーク・ブロー』が作られることになります。ちなみにこの時、ジャッキーとウィリーは南米のコロンビアにいるようです。

3月28日の記事では、その後のジャッキーと羅維の話し合いによって、1年で2本のゴールデンハーベスト作品と1本の羅維作品を撮ることに。

いや~、先入観かもしれませんが、この画質で見ても、羅維の悪そうな感じと、ジャッキーのふてくされた感じが伝わってくるようです。

そしてついに王羽(ジミー・ウォング)が仲裁役として登場します。自伝では『ヤングマスター」完成後に登場しますが、実際はかなり早い段階で関わっていたようです。

『醒拳』と『ヤングマスター』を同時撮影計画

その後、ようやく話もまとまりかけて、ゴールデンハーベストの『ヤングマスター』と羅維の『醒拳』が製作されることに。下の記事は『醒拳』の製作会議の記事で、監督にはエリック・ツァンが起用されています。

4月21日には、まだ香港では未公開だった『龍拳』(台湾では1月に公開済み)が公開されることになり、羅維からは当然ジャッキーにもプロモーションに参加するよう言われていました。

しかし・・・19日に行われた『龍拳』の記者会見をブッチしちゃいます。

また、ここで問題になってきたのが、台湾でのジャッキー映画の版権について。以前、羅維はジャッキー作品10部を700万HKドルで売っちゃっていますが、ゴールデンハーベストで製作される作品についてはそれに含ませるわけにはいかないということで、なにやら羅維が困っているような感じです。

ついに撮影『ヤングマスター』

撮影開始とプチ失踪

まだゴタゴタしつつも、1979年4月23日、ついに『ヤングマスター/師弟出馬』がクランクイン!(というか、撮影開始の行事のようなものを行っただけ)
しかし、羅維の『醒拳』よりも先にこちらをクランクインさせたことでまたゴタゴタしたみたいです。

また、この記事では王羽がジャッキーのゴールデンハーベスト作品(おそらく『ヤングマスター』のこと)の台湾での版権を220万HKドルで獲得したようです。この金額が少ないのか大きいのかはちょっとわかりませんが、今回の仲裁役でなければおそらく実現しなかった取引だったでしょうね。

そして、翌日24日には、羅維の『醒拳』がクランクインします。(こちらも『ヤングマスター』同様に開始行事のみ)

『クランクイン行事』の画像

『ヤングマスター』から1日遅れのクランクインとなりますが、ジャッキーは45分遅刻してしまいます~。

これでようやく両作品とも製作が進むのかなと思った矢先、なんとジャッキーは26日に突如オーストラリアへ行ってしまいます・・・。

『醒拳』撮影開始?

その後、王羽が連日ジャッキーに電話を入れ、香港に戻るように言い聞かせます。そして、5月13日ジャッキーは香港に戻り『醒拳』の撮影に。

本来は外でのロケが予定されていたようですが、天候不順のため室内での撮影に変更されたようです。おそらく現存しているスチール写真はこの時に撮られたものでしょうね。

『『醒拳』スチール写真、李麗麗と』の画像

余談ですが、ジャッキーは20日間オーストラリアへ逃亡?していたわけですが、『醒拳』の撮影所では1日1,000HKドルの費用がかかっていてトータルで40,000HKドルの費用を羅維が負担していたようです。

その後、ジャッキーは『醒拳』の撮影は一切行おうとせず、『ヤングマスター』の撮影にかかりきりに。どうやら『ヤングマスター』を8月1日までに完成させ、(建前上は)その後『醒拳』の製作に取り掛かる予定だったようです。

ゴールデントリオと『酔拳』日本買い付け

ここでちょっと一息。本文の流れとは無関係ですが、この頃に掲載されたジャッキー、サモハン、ユンピョウの3ショット記事を。

『ゴールデントリオの3ショット写真』の画像

また、この頃日本へジャッキー作品が初上陸します。ご存知『ドランクモンキー酔拳』が1979年7月21日に公開となります。

実は『酔拳』は下の記事にあるように、1978年12月の時点で既に買いつけられていたようです。

その価格は50万ドル(240万HKドル)。日本円にして約1億円ほどです。また、公開時の宣伝費用として1億4千万円ほどが投入されたと当時の香港の新聞に書かれていました。

そして結果は皆さんご存知の通り、日本で大ヒットを記録するわけです。(興行収入に換算すると推定19億円ほど)

ジャッキー精神分裂症!?完成しない『ヤングマスター』

さて、8月1日の完成を目指して撮影を進めていた『ヤングマスター』でしたが、下の記事にあるように6月22日の時点ではまだ、10分の1ほどしか撮影は進んでおらず、完成見込みが8月中旬に。

『ヤングマスター撮影中1』の画像

ジャッキーは引き続き8月中旬をメドに『ヤングマスター』の撮影を進め、8月9日に羅維に『醒拳』の撮影がやっと出来るよ~と連絡を入れます。

『ヤングマスター撮影中2』の画像

しかし・・・どういう意図でジャッキーがそんな連絡をしたのかわかりませんが、『ヤングマスター』はまだ完成しておらず、この時点で7,000フィート(80分ぐらい?)しか撮影が終わっていない様子。

「精神分裂症」とは随分とショッキングな見出しですが、言ってることがチグハグなことを指しているのか、それとも『ヤングマスター』をより完成度の高いものにしようとする姿勢に対してなのかわかりませんが、結局また『醒拳』の製作には取り掛かれませんでした。

『ヤングマスター撮影中3』の画像

10月中旬になってもまだ『ヤングマスター』撮影中。そして、ジャッキーの設立した「拳威影片」の創業作品である『孖寶闖八關』の撮影が開始されています。(元名は「孖寶至尊龍」)

第2のジャッキー「龍方」

いっこうにジャッキーが『醒拳』の撮影を開始せず、『ヤングマスター』の撮影に没頭している頃、いよいよマズイと感じたのか羅維は李健民を龍方(ロン・ファン)と改名、『上海灘大亨』へ出演させ、「第2のジャッキー」として売り出そうとします。

『龍方(Jimmy Lung Fong)』の画像

そして、羅維はこの龍方主演の『笑拳怪招續集』を台湾で撮影中とあります。しかし、『笑拳怪招續集』なる作品は見当たらず、気になったものでまた脱線・・・

ジャッキーに直接絡んでいる人意外は全く無知な私。どうやら調べていくと『笑拳怪招續集』は、『至尊威龍』という作品である可能性が高いようです。

この『至尊威龍』については、醒龍さんが詳しく書かれています。→至尊威龍 | 電影フリークス

『酔拳』がもともと『蛇形刀手續集』だったように、タイトルが変わったり、ストーリーに直接的なつながりがないことは珍しいことではなく、この『至尊威龍』も内容的には『笑拳』の続きではないようです。

『一對活寶闖天下(別題:至尊威龍)』の画像
一對活寶闖天下(別題:至尊威龍)

また、第2のジャッキーではなく、ブルース・リー、ジャッキーチェンに続く、第3のドラゴンというような呼ばれ方もしていたみたいですね。

ちなみにこの龍方は、羅維のもとで『雍正與年羹堯』という作品にも主演しており1980年9月に香港で公開されています。

これはおそらく実在した年羹堯という人物の映画だと思われますが、あのブルース・リーも映画化を考えていたと言われています。

『ブルース・リー、『年羹堯』のスナップ写真』の画像
ブルース・リー、『年羹堯』のスナップ写真

もとはショウブラザーズがブルース・リー主演で考えていたようですが、結局ブルースは『燃えよドラゴン』を撮ることに。

また、1978年に今度はジャッキーチェン主演でこの『年羹堯』を撮ろうともしていました。で、結局これを実現したのが第2のジャッキー、龍方を擁する羅維だったということです。

遂に完成!『ヤングマスター』・・・そして失踪!!

さて、話を戻しますが、この時期いっこうに『醒拳』の撮影が進まないため、『醒拳』の監督をする予定の曾志偉(エリック・ツァン)に『踢館』という作品を作らせます。(180万HKドルで総合29位)

そして11月あたまに、いよいよ痺れを切らした王羽が、ジャッキーが『ヤングマスター』を撮影しているゴールデンハーベストの撮影所に突然現れます。写真を見てなにやらただならぬものを感じたのは私だけでしょうか・・・

『『ヤングマスター』撮影現場に王羽登場』の画像

すでに『ヤングマスター』は130日間撮影しており、15万フィートもフィルムを使用、そのうち使える部分は1万3千フィートと、相当な費用がかけられており、まだ完成が見えてこない状態でした。

ジミーさんからの催促でジャッキーは焦ったのか、11月8日の新聞には『ヤングマスター』撮影中に、ジャッキーが高いところから落下しケガをしたとも報じられています。(本当に撮影中なのか?)

しかし、実は『ヤングマスター』の撮影はもう大詰めを迎えており、ユンピョウのシーンでまだ未撮影の部分があるものの11月15日までには終わる見込みと12日の新聞で報じられていました。

『『ヤングマスター』撮影中のジャッキーとユンピョウ』の画像

『ヤングマスター 師弟出馬』の画像

そしてついに『ヤングマスター』が完成するのですが、ここでなんとジャッキーは完成直後、アメリカへと逃亡してしまうのでした・・・。

完全に計画的な犯行ですなこりゃ。ジャッキーは『ヤングマスター』のフィルムをアメリカまで送ってこさせ、そこで編集作業をしたそうな・・・。
この後もまだしばらく羅維との問題は解決しないのですが、本章ではここまでとし、これ以降は次章に持ち越します。

ちなみに、ジャッキーはアメリカへ逃亡後、『スネーキーモンキー蛇拳』公開(12月1日)を控えた日本を訪れ、「真の初来日」(『バトルクリーク・ブロー』の時が初来日だという説が多いため)を果たしています。この時、ジミー・ウォングがジャッキーを追って日本へ来たが、すでにジャッキーはアメリカに去っていたとの話も残っています。

『『ヤングマスター』撮影中のジャッキーと共演者たち』の画像

あと、いつの記事かわからないのですが、日本でもジャッキーの失踪事件は記事になっていたようで、その内容がこれまたショッキングなものになっています。

「消された?!カンフーの星 ジャッキー・チェン -暗黒界から魔手-」

「遺書残し謎の失踪 -人気の重圧、ノイローゼ説も-」

『ジャッキー失踪に関する日本の新聞記事』の画像

というもの。凄い見出しですね~。

公開情報

こうして『ヤングマスター/師弟出馬』は11月半ばに撮影が終了し、1980年2月9日香港公開となります。

そしてご存知の通り記録的な大ヒット、香港映画としては初の1,000万HKドルを突破し、自身初となる年間総合1位の興行成績を達成します。

公開時の新聞広告

香港公開時の新聞広告です。

『ヤングマスター 師弟出馬』の新聞広告

興行成績ランキング

1980年の香港興行収入ランキングです。(外国語映画を含む総合ランキング)

『ヤングマスター 師弟出馬』の興行収入ランキング

このころのちょっとした裏話として、ジャッキーは『ヤングマスター』をクリスマス前に公開したかったようなのですが、同じゴールデンハーベスト作品で袁和平(ユエン・ウーピン)監督、サモハン主演の『燃えよ!デブゴン7/林世榮』が譲ってくれず翌年2月の公開となったようです。

これは、もともとこの作品を撮るにあたって、袁和平(ユエン・ウーピン)とゴールデンハーベストとの契約に含まれていたようです。それだけ、興行収入増が見込める時期ということですね。

しかし、興行成績は『燃えよ!デブゴン7/林世榮』が400万HKドル(79年総合6位)と、『ヤングマスター』の圧勝で終わります。

ちなみに、このクリスマスから年明けにかけての公開時期はゴールデンハーベストではサモハンの指定席のようになっていたみたいです。

ついに83年にその座をジャッキーに明け渡し・・・って『プロA』にもサモハン出てるし・・・サモハン強し!

まとめのイメージ図

今回も寄り道しまくりで、随分と長くなってしまったので、ざっとまとめておきました。

『1979年のジャッキーの動きまとめ』の画像

商品情報

カテゴリ: ジャッキーチェン研究室.


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