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History of 倉田保昭【第6章】地獄のニコイチ軍団 ドラゴン・ニンジャ部隊

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History of 倉田保昭【第6章】地獄のニコイチ軍団 ドラゴン・ニンジャ部隊


日本が誇る和製ドラゴン倉田保昭氏の、生誕から現在に至る60余年の軌跡。

1980年、『Gメン’75』降板後に再び海外へと活動の場を広げたドラゴンが、ニンジャブームを巻き起こすも、ブームは終焉。
再び国内外へのテレビへと、活動の場を求める1983年までの4年間の歩みを追いました。

ドラゴン再び海を渡る

1980年 34歳:ふたたび海外作品増加

昨年とは打って変わり、80年は精力的に芸能活動を進める。

まず1月からは、再び日本でのテレビシリーズにレギュラー出演。

その『新・江戸の旋風』は、刑事ドラマ風にアレンジされた異色ともいえる時代劇で、8月までレギュラーを務めることに。

また、1月半ばには中共系の香港の映画会社・長城公司による『情劫(愛的死)』の日本ロケに顔出し出演。

Gメンでも共演した、丹波哲郎が出演する日本ロケの作品ということでの参加だったが、台湾では倉田氏が中共ロケの中共映画に出演されたとの誤解を呼び大問題に。

結局、自ら台湾へいって釈明し事なきを得たが、あやうく全出演作の台湾公開禁止という事態になるところだった。

『情劫(愛的死)』

単発でゲスト出演したテレビシリーズ『服部半蔵 影の軍団』では主演の千葉真一との初カラミが実現。

お互いに日本のアクションスターとして第1線で活躍してきた両雄による1対1のアクションシーンは京都の撮影所の注目を集めた。

『服部半蔵 影の軍団』 千葉真一

さらに、全17回のテレビシリーズ『猿飛佐助』へのレギュラー出演も掛け持ちするなど、時代劇への出演が多くなっていく。

2本のテレビシリーズが終了した後は、『土曜ワイド劇場』『旅がらす事件帖』『江戸の朝焼け』などへのゲスト出演と、単発でのテレビ出演が増えていった。

海外では、姜大衛(デビッド・チャン)が製作・監督・主演を務めるコメディ『貓頭鷹』に参加。姜大衛と久しぶりに共演したほか、曾志偉(エリック・ツァン)らと共演。

『貓頭鷹』 『貓頭鷹』 『貓頭鷹』 『貓頭鷹』

また、呉思遠(ウー・シーユェン)からは、『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』のオファーが。

監督は袁和平(ユエン・ウーピン)で、武術指導も袁家班が担当。前年に大ヒットしたジャッキー・チェンの『酔拳』メンバーによる期待作。役どころも良いとのことでオファーを受けるも、呉思遠と袁和平が揉めたり、スケジュール問題などのトラブルが多発。完成はかなり先のこととなった。(⇒82年)

実際の撮影は1ヶ月ほどであったが、袁和平(ユエン・ウーピン)がつける特殊な殺陣には苦労させられた。

『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』 『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』 『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』 『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』

2005年発売のドキュメンタリーDVD『英雄ドラゴン~ドキュメンタリー・オブ・ブルース・リー&倉田保昭~』に収録されているインタビューでは、『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』の撮影期間は1ヶ月ほどと倉田氏が語っています。実際に撮影された期間は短かったようですが、完成までの期間については1年とも2年とも3年とも語られており、正確な製作開始時期はまだわかっていません。ここでは、『激突!ドラゴン武術』に記載されている1年という製作期間をベースに記述していますが、79年1月頃から呉思遠との再合作話が新聞記事になっていましたので、実際は3年というのが正解なのかもしれません。いずれにしても当サイトでは、最後に撮影に参加した82年を製作年として扱っています。

ドラゴン、ニンジャになる

1981年 35歳:NINJAブーム

香港では『激突!少林拳対忍者(飛刀‧又見飛刀)』に出演。昨年に続いて姜大衛(デビッド・チャン)と共演。
なじみの梁小龍(ブルース・リャン)に加え、羅烈(ロー・リエ)らとも共演する。

『激突!少林拳対忍者(飛刀‧又見飛刀)』倉田保昭 『激突!少林拳対忍者(飛刀‧又見飛刀)』姜大衛(デビッド・チャン) 『激突!少林拳対忍者(飛刀‧又見飛刀)』 『激突!少林拳対忍者(飛刀‧又見飛刀)』倉田保昭

台湾では李作楠監督の『上海灘大爺』という第一影業作品に出演。こちらも監督含め、楊惠珊(ヤン・ホイサン)、陳星(チェン・シン)などなじみのメンバーが揃った。

『上海灘大爺』倉田保昭 『上海灘大爺』倉田保昭

女流監督・高寶樹(カオ・パオシュー)『孽種(ネイツォン)』にも出演。初めてシリアスな演技へと挑戦。
撮影は3月から5月にかけて約2か月間台湾で行われた。

『孽種』倉田保昭

徐々に海外での仕事の比率が増えて行くなか、日本では映画『ええじゃないか』に出演したほかは、人気テレビシリーズ『太陽にほえろ!』『特捜最前線』へのゲスト出演と、単発での出演に留まった。

その頃台湾では、日本文化が流行で、映画界でも忍者ブームが起こり始めていた。しかし、相変わらず台湾映画界と黒社会との結びつきは深刻だった。

この年、ふたたび自身の企画による、狄龍(ティ・ロン)との共演作、『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』を台湾で撮影。

張徹(チャン・チェ)監督による、いわゆる五毒メンバー、郭振鋒(フィリップ・クォック)、江生(ジャン・シェン)、鹿峰(ルー・フェン)が監督および武術指導を担当し、自身の企画と言うことで倉田氏の弟子7人を連れて撮影に臨んだが、当初の話しとは違い、製作費はほとんどなく、カメラマンも黒社会の人間、毎日のようにスタッフとのトラブルが発生した。結局、倉田氏を含めた日本人メンバーのギャラも未払いに終わり、内情は散々なものとなった。

さらには、その原因が恩人の張徹にあったとわかって、大きなショックを受ける。

『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』倉田保昭 『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』 『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』 『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』狄龍(ティ・ロン) 『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』倉田保昭 『忍者外伝 倭寇掃討作戦(術士神傳)』倉田保昭

そして、アメリカで製作された、ショー・コスギ出演の『燃えよNINJA』がヒットし、忍者ブームが本格化。

台湾で、李作楠監督の『地獄のニンジャ軍団 クノイチ部隊(亡命忍者)』に出演。楊惠珊(ヤン・ホイサン)、陳觀泰(チェン・カンタイ)らと共演した。

『燃えよNINJA』

『地獄のニンジャ軍団 クノイチ部隊(亡命忍者)』倉田保昭

1982年 36歳:ブームの陰り

倉田家は家族で香港旅行に。

空港で呉思遠(ウー・シーユェン)が待っており、以前からトラブル続きで製作が難航していた『激突!キング・オブ・カンフー(霍元甲)』のラストシーンの撮影を頼まれる。

『霍元甲(邦題:激突!キング・オブ・カンフー)』倉田保昭

1週間、夜間だけの撮影ということで了承し、映画がようやく完成。

トラブルの多い作品ではあったが、満足のできる作品となった。

春には、10年来の友人・楊惠珊(ヤン・ホイサン)主演の忍者映画『レディ・ニンジャ2/夜霧の忍び凧(飛簷走壁)』に出演。台湾でヒットを飛ばし、香港でも公開される。

『レディ・ニンジャ2/夜霧の忍び凧(飛簷走壁)』 『レディ・ニンジャ2/夜霧の忍び凧(飛簷走壁)』 『レディ・ニンジャ2/夜霧の忍び凧(飛簷走壁)』倉田保昭

秋には、前作『最佳拍檔(邦題:悪漢探偵)』で成功を収めたシネマ・シティ(新藝城電影公司)が製作した『悪漢探偵2(最佳拍檔大顯神通)』にも出演。

許冠傑(サミュエル・ホイ)、麥嘉(カール・マック)競演の痛快コメディで、ホイ兄弟とは以前から面識があったが、中でも特に仲が良かったのが許冠傑で、その彼とようやくスクリーンで共演するチャンスが巡ってきたのだった。

この作品は翌春に公開されるや、『悪漢探偵』に引き続き見事総合1位に輝き、香港史上最大の大ヒット作となった。

『悪漢探偵2(最佳拍檔大顯神通)』 『悪漢探偵2(最佳拍檔大顯神通)』倉田保昭 『悪漢探偵2(最佳拍檔大顯神通)』

日本では秋に、テレビシリーズ『暁に斬る!』に単発でゲスト出演。

以降しばらくは、日本に腰を落ち着かせての仕事が中心となっていく。

活動の場は再びテレビへ

1983年 37歳:台湾テレビドラマ進出

元旦放送の新春ワイド時代劇『寛永御前試合』に出演。

続けて、久しぶりのテレビシリーズ出演となる、全50話の『NHK大河ドラマ:徳川家康』にも出演。

4月、昨年から東京に建設中であった3階建ての2世帯住宅が完成。

5月には、東京・下北沢に待望の「クラタスポーツスタジオ」がオープン。心身ともに健康で礼儀正しい子供の育成を目的としたもので、10年来の夢を実現させる。

大河ドラマへの出演の合間を縫って、金銘(トミー・リー)監督の台湾作品『黑玫瑰』に出演。日本ロケに参加。

『黑玫瑰』 『黑玫瑰』 『黑玫瑰』 『黑玫瑰』倉田保昭 『黑玫瑰』倉田保昭 『黑玫瑰』倉田保昭

他にも、金銘(トミー・リー)の『至尊神偷』に出演。

『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』 『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』 『至尊神偷』倉田保昭 『至尊神偷』倉田保昭

『ニンジャ・サンダーボルト 裏切りと復讐の暗殺集団(Ninja Thunderbolt)』のような、いわゆる「ニコイチ」作品も出現するなど、忍者ブームは最高潮を迎えていた。

『ニンジャ・サンダーボルト 裏切りと復讐の暗殺集団(Ninja Thunderbolt)』 『ニンジャ・サンダーボルト 裏切りと復讐の暗殺集団(Ninja Thunderbolt)』 『ニンジャ・サンダーボルト 裏切りと復讐の暗殺集団(Ninja Thunderbolt)』

この年は、古龍と並び台湾武侠小説家の「四大天王」と言われた臥龍生の武侠小説を原作とした台湾の連続テレビシリーズ『飛花逐月』で、初めて海外のテレビドラマへレギュラー出演。

これまでも幾度となく仕事を共にした高寶樹(カオ・パオシュー)の呼びかけに応え、苗可秀(ノラ・ミャオ)と初共演。5か月近く台湾に滞在することになり、その間、苗可秀(ノラ・ミャオ)らと滞在していたホテルが火災に遭ったり、苗可秀が就寝中の部屋に泥棒が入ったりと、相変わらず台湾でのトラブルは絶えなかった。

『飛花逐月』倉田保昭、苗可秀(ノラ・ミャオ) 『飛花逐月』倉田保昭

日本では、秋以降に『青春はみだし刑事』『火曜サスペンス劇場』『大江戸捜査網』などに単発でゲスト出演をこなしていた。

また、この年発売されたデラックスカラーシネアルバム『激突!ドラゴン武術』の総監修を担当している。

この頃の忍者系作品はちょっと怪しいものも多く、不明な点が多いです。『和製ドラゴン放浪記』の巻末フィルモグラフィーに載っている金銘(トミー・リー)監督の『神出鬼没』なども詳細はわかっていません。『至尊神偷』か『Ninja Thunderbolt』のことではないかと思っているのですが、もしかしたら誰も知らない未知のニコイチ作品が存在しているのかもしれませんね、

このテレビシリーズ『飛花逐月』については、その製作時期および放送時期が定かではありませんでした。『香港アクションスター交友録』では、1983年と倉田氏が語っており、ホテルでの火災などのエピソードも語られています。ネット上では、この作品が86年であったり、88年という表記が多いのですが(放送時期はそうなのかもしれません。)、83年6月にそのホテル火災についての新聞記事が掲載されていたので、製作時期は83年で間違いないかと思われます。

この年はNHKの大河ドラマにレギュラー出演していますが、クレジット上では1983年8月21日放送分が最後なので、大河の撮影終了後に台湾へと渡ったのでは、と思います。

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カテゴリ: スター名鑑.


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