日本が誇る和製ドラゴン倉田保昭氏の、生誕から現在に至る60余年の軌跡。
日本でも一躍スターとなり、人気ドラマ『Gメン’75』のレギュラーとして長期に渡り出演。その間も国内外の作品に、引っ張りだこの約4年間のドラゴンSTORYです。
Gメン’75
1975年 29歳:Gメン’75 草野刑事
昨年11月からレギュラー出演しているTVシリーズ『バーディー大作戦』が5月で終了。
しかし、その後番組である『Gメン’75』にも、草野刑事役で連続レギュラー出演が決まった。
最終的に1979年4月の第202話まで約4年間もの間、レギュラー出演を続けることとなる。
また、『Gメン’75』に出演しながらも、精力的に東映のテレビドラマや映画にも出演した。
『Gメン’75』開始直後には、『水戸黄門 第6部』、8月には『刑事くん』などのテレビシリーズに単発でゲスト出演。
映画では、「女必殺拳」シリーズ第3弾『帰ってきた 女必殺拳』で志穂美悦子と再共演。
さらに、再び東映から千葉真一出演映画のオファーが。
今回、千葉真一は助演で、同じく志穂美悦子主演の『必殺女拳士』。しかし、結局ここでも千葉真一との共演シーンはなく、一度も顔を合わせることなく撮影を終える。
しばらく香港や台湾などの海外作品への出演は無かったが、『Gメン’75』が半年遅れで、『猛龍特警隊』として香港で放送され大人気に。常に30%近い視聴率を叩き出していた。
1974-1975年-日本-TVシリーズ
バーディー大作戦
監督:深作欣二、他
共演:丹波哲郎、谷隼人、沖雅也1975-1979年-日本-TVシリーズ
Gメン’75(猛龍特警隊)
監督:深作欣二、他
共演:丹波哲郎、原田大二郎、1975年-日本-映画
帰ってきた 女必殺拳
監督:山口和彦
共演:志穂美悦子、張美和1975年-日本-TVシリーズ
水戸黄門 第6部 第10話「兄妹拳法絶海の対決・隠岐」
監督:松尾正武(第6部10話)
共演:東野英治郎、里見浩太朗、横内正1975年-日本-TVシリーズ
刑事くん 第4部42話「ハイエナを追え!」
監督:竹本弘一
共演:桜木健一、名古屋章、新井春美1975年-日本-映画
必殺女拳士
監督:小平裕
共演:志穂美悦子、天津敏
再生時間 2:12
再生時間 1:10
『水戸黄門 第6部 第10話「兄妹拳法絶海の対決・隠岐」』オープニング曲
再生時間 1:44
『刑事くん 第4部42話「ハイエナを追え!」』刑事くん 主題歌「コンクリート・ジャングル」桜木健一
再生時間 2:14
再生時間 2:14
再生時間 11:22
1976年 30歳:アクションクラブ設立
76年は、日本初主演映画となる『武闘拳 猛虎激殺!』に出演。
当初は千葉真一が主演として予定されていたが、動物相手のショー映画に出るのは嫌だと拒否したため、倉田氏に主演が回ってきたという経緯はあるものの、晴れて日本映画デビューを飾った。
またこの年、国際的に活躍できるアクションスターを育成する為に「クラタ アクションクラブ」を設立している。
1976年-日本-映画
武闘拳 猛虎激殺!
監督:山口和彦
共演:矢吹二郎、石橋雅史
再生時間 1:55
国内外で大活躍
1977年 31歳:Gメン’75 香港-マカオロケ開始
3月に72年の『方世玉(邦題:武道大連合 復讐のドラゴン)』の続編にあたる、『ドラゴン少林拳(旋風方世玉)』が香港で公開されるが、前作の出演シーンが挿入され、クレジットもされたが新規の撮影は無かった。
しかし、同作品の姉妹編である『少林寺必殺舞扇拳/少林寺マスター(方世玉大破梅花樁)』には出演。
台湾ロケで再び孟飛(メン・フェイ)と共演。アクション監督である劉家良(ラウ・カーリョン)のもと、数十本の丸太の上での危険な撮影をこなした。
4月末には、その『方世玉大破梅花樁』公開に合わせて香港へ。
同時に、『Gメン’75』の海外ロケシリーズ、「香港空手シリーズ」2話分のロケをマカオで12日間行い、日本へと戻った。
今回が初めてとなった「香港空手シリーズ」は、その後本編の視聴率が落ちてくるとカンフル剤として製作されるほどの人気を博し、企画段階からロケハンや出演者とのギャラ交渉なども倉田氏が兼任しつつの出演だった。
9月には、2度目となる『Gメン’75』香港ロケが行われ、白豹や宿敵として楊斯(ヤン・スエ)がキャスティングされるなど徐々にアクション色が濃くなっていく。
この後も、宿敵・楊斯を始め、韓英傑(ハン・インチェ)、何宗道(ホー・チョンドー)、梁小龍(ブルース・リャン)、陳觀泰(チェン・カンタイ)、陳惠敏(チャーリー・チャン)など香港スターが多数出演。倉田氏が『Gメン’75』を降板後も、続けて何度も製作されることとなった。
この年、ほかには、せんだみつお主演の映画、実写版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に、『Gメン’75』のメンバーで特別出演もしている。
77年1月の記事で、李作楠が台北で第一公司の上官靈鳳(シャンカン・リンホー)、倉田保昭、王道、譚道良(タン・トゥリャン)、チャック・ノリスらが出演の作品を撮影していると書かれた(と思う)ものがあります。(下資料参照。)しかし、今のところそれに該当するような作品が見当たりません。倉田&ノリスの幻の共演作だったのかもしれませんね。
倉田氏の『香港アクションスター交友録』には、この『方世玉大破梅花樁』の時に、日本でのGメンの撮影の為、撮影予定が入っているのにも関わらず、嘘をついて日本に帰国してしまい、大騒ぎに。台湾マフィアから抹殺計画が出され、2年間台湾へは入れなくなったが、香港マフィアの仲介で事なきを得たというようなことが書かれています。
1977年-香港・フィリピン-映画
ドラゴン少林拳(旋風方世玉)
監督:歐陽俊(蔡揚名)
共演:孟飛(メン・フェイ)、譚道良(タン・トゥリャン)、龍君兒1977年-香港・フィリピン-映画
少林寺必殺舞扇拳/少林寺マスター(方世玉大破梅花樁)
監督:歐陽俊
共演:孟飛(メン・フェイ)、譚道良(タン・トゥリャン)1977年-インドネシア-映画
猛男
監督:F. Sutrisno、他
共演:陳惠敏(チャーリー・チャン)、George Rudy(ジョージ・ルディ)1977年-日本-映画
こちら葛飾区亀有公園前派出所
監督:山口和彦
共演:せんだみつお、草川祐馬、浜田光夫参考資料
香港工商日報, 1977-01-13
今、李作楠が撮影、台北で第一公司の上官靈鳳(シャンカン・リンホー)、倉田、王道、タントゥリャン、チャック・ノリスなど。⇒見当たらない。精武門續集は既に撮影済み参考資料
華僑日報, 1977-04-28
洲威影業『方世玉大破梅花樁』の写真と記事、Gメンの香港ロケ、『方世玉大破梅花樁』のプレミア参加、すぐに日本へ戻る参考資料
香港工商日報, 1977-04-29
『方世玉大破梅花樁』拍完。台湾から日本へ。参考資料
華僑日報, 1977-09-15
Gメンの香港ロケ、来月インドネシアで文華・郭南宏導演
再生時間 2:12
再生時間 7:18
再生時間 5:23
再生時間 6:30
1978年 32歳:超新星・成龍(ジャッキー・チェン)!
『Gメン’75』の正月休みを利用して、李作楠監督による第一影業作品『撈家撈女撈上撈(黑色家變)』の撮影に5日間だけ参加。
再び、何宗道(ホー・チョンドー)と共演するも限られた日数の中での特別出演ということで、出番は少なかった。
春には、久しぶりのショウ・ブラザース作品『少林寺VS忍者(中華丈夫)』に出演。
劉家良(ラウ・カーリョン)監督のもと、劉家輝(リュー・チャーフィー)と共演し、カニ拳を披露。水野結花など日本での弟子たちも連れ立っての出演となった。
この作品は年末に香港で公開され、78年度の興行収入15位にランクインするヒットを記録。83年には再び香港でリバイバル上映されたほか、東南アジア諸国でも大ヒットする。
また、この作品で、その後の海外での忍者映画ブームの火付け役ともなった。
この年は、ヒットメーカーであり、この頃には新人発掘の名プロデューサーとしても有名になった呉思遠(ウー・シーユェン)によって、『蛇形刁手(邦題:スネーキーモンキー 蛇拳)』、『醉拳(邦題:ドランク・モンキー 酔拳)』がメガヒット。長い下積みを経て、成龍(ジャッキー・チェン)が一躍トップスターへと躍り出た年でもある。
これにより、ブルース・リーの死去によって長らく低迷していた香港アクション映画界が、再び光を取り戻すこととなった。
9月には、『Gメン’75』香港空手シリーズで、3度目の香港ロケを敢行。楊斯(ヤン・スエ)や米雪(ミシェール・イム)が参加。また、このロケから本格的なアクション編となる。
この時、撮影の合間を縫って、『醉拳(邦題:ドランク・モンキー 酔拳)』撮影中の袁和平(ユエン・ウーピン)と話題の新星・成龍(ジャッキー・チェン)に会いに行く。
そこで成龍と対面した倉田氏は、成龍の愚痴を聞きながら、激励の言葉をかけたという。
そして30日には楊斯(ヤン・スエ)が来日し、倉田氏とともにドリフターズの「8時だヨ!全員集合」に出演している。
この頃の新聞で、なにやら倉田氏とショウ・ブラザースが契約問題で揉めているようなことが書かれていました。
金額は8万HK$(約320万円)とも6万HK$(約240万円)とも書かれています。じっくり訳していないので微妙ですが、もしかしたら先述した『香港アクションスター交友録』での、台湾撮影中から勝手に帰っちゃった事件はこの時なのでは?と思っています。 この書籍での『中華丈夫(邦題:少林寺VS忍者)』と『方世玉大破梅花樁(邦題:少林寺必殺舞扇拳/少林寺マスター)』の順番も逆でしたしね。。。
1978年-台湾-映画
撈家撈女撈上撈
監督:李作楠
共演:何宗道(ホー・チョンドー)、米雪(ミシェール・イム)、金銘(トミー・リー)1978年-香港-映画
少林寺VS忍者(中華丈夫)
監督:劉家良(ラウ・カーリョン)
共演:劉家輝(リュー・チャーフィー)、水野結花、鄭康業(チェン・ホンイップ)
再生時間 5:36
再生時間 4:17参考資料
香港工商日報, 1978-02-05
来月『撈家撈女撈上撈』香港参考資料
香港工商日報, 1978-03-25
中華丈夫、報酬8万元、突然帰国して6万元に?近々再来港参考資料
香港工商日報, 1978-04-09
中華丈夫、再来港。3部契約?参考資料
香港工商日報, 1978-12-29
中華丈夫、カニ拳
『Gメン’75』降板
1979年 33歳:さよなら草野刑事
1月、奥さんとともに香港へ。ショウ・ブラザースや思遠、劉家良らとの作品や、自身の企画による作品の準備を進めた。
2月、『Gメン’75』で倉田氏が登場する最終話、香港空手シリーズ第4弾「Gメン対香港カラテ軍団」のロケで香港に。
すでに恒例となった楊斯(ヤン・スエ)との共演のほか、水野結花も出演し、4月放送分で約4年におよぶレギュラー出演に終わりを告げる。
この頃から自身の企画や製作による作品作りを手掛けるようになっていく。
まず、『Gメン’75』を終え、すぐに取り掛かったのは自身の企画による『倉田保昭の「カンフー大作戦」(懲罰)』。
協利電影とドミニカのプロダクションの共同製作で、約2か月間のドミニカロケに参加。潘健君(トニー・プーン)、鹿村泰祥、李邦臣(山下タダシ)らと共演した。
『Gメン’75』の降板は、続投を望む周囲の声を押し切って倉田氏が決めたことのようですね。
何かのインタビューで、軽くそのことについて触れ、その後しばらく干されてしまった。というようなことを仰っていました。
実際、それまで日本では「東映」関連の仕事ばかりでしたが、これ以降は「東宝」など、他会社の仕事をこなすようになってます。
日本での仕事は単発でのゲスト出演が多くなり、ジャッキー・チェンの出現で再びカンフーブームに沸く香港や台湾での仕事も少ない時期です。やはり、前述した台湾での撮影放棄事件が尾を引いていたのでしょうか。。。
1979年-香港-映画
倉田保昭の「カンフー大作戦」(懲罰)
監督:門見隆(キャノン・マン)
共演:潘健君(トニー・プーン)、鹿村泰祥
再生時間 5:07参考資料
華僑日報, 1979-01-01
妻と来港、邵氏兄弟参考資料
香港工商日報, 1979-01-04
思遠、劉家良参考資料
香港工商日報, 1979-02-05
来港、Gメン香港ロケ、25日にも再来港参考資料
華僑日報, 1979-02-07
Gメンロケから昨日日本へ。また25日には再来港。ほか、自組の作品や思遠との合作予定参考資料
香港工商日報, 1979-02-26
Gメン来港、自投資片「忍者君○」、劉家良、他公司で邵氏兄弟と問題あり?
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