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History of 倉田保昭【第1章】下積みドラゴン

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History of 倉田保昭【第1章】下積みドラゴン


日本が誇る和製ドラゴン倉田保昭氏の、生誕から現在に至る60余年の軌跡。

1946年の誕生から、たくましい青年へと成長。
そして俳優の道を進むも、目が出ず不安な日々を送る1971年、香港へ渡る直前までのドラゴンの歩みを追っていきます。

アジアの黒豹 誕生~少年期

1946年~ 0歳~:誕生

3月20日、茨城県新治郡桜村で、父・保(たもつ)、母・千代の3番目の子として生まれる。

倉田家は代々続いてきた織物業を営んでおり、子守もいるほど裕福だった。

そして、2人の姉とともにお坊ちゃんとして幼少期を過ごした。

1952年~ 6歳~:坊ちゃん、小学校入学

近くの栗原小学校へ入学。

一学年14,5人ほどの規模の学校ではあったが、学業は優秀で常に総代。

しかし、裕福な環境が災いしてか、とてもわがままな少年に育っていた。

幼いころに百日咳を患い、痩せて体が弱かったが、趣味で空手をやっていた父親から日曜日になると空手の手ほどきを受けていたため、喧嘩に負けたことは一度も無かった。

ただ、喧嘩で負かした相手が泣いているのを見て、貰い泣きをするなど涙もろい一面も覗かせた。

また、この頃から大都会・東京への憧れを抱くようになり始めていた。

1955年~ 9歳~:倒産と引っ越し

小学校4年生の頃、父親が営む織物業が倒産。それまでの恵まれた環境から、過酷な貧しい環境へ生活が一転する。

一家は埼玉県大宮市(現:さいたま市)の長屋に引っ越すこととなり、父親はリヤカーを引いて野菜を売り歩き、母親もガラス玉に糸を通す内職をはじめた。

倉田氏が転入した大宮市立三橋小学校は、これまでと違い1クラスが50人と大きく、いままでのようにとても総代とはいかなかった。

環境の大きな変化の中で、姉の一人がグレてしまったことや、新聞配達をしている時に、遊んでいる同級生と顔を合わせてしまうこと、言葉がなまっていることなどから引っ込み思案になりがちで、勉強にも身が入らなかった。

しかし、そんな環境の中でも持ち前の運動神経の良さを生かし、入部したソフトボール部でスター投手となっていた。

1956年 10歳:映画への目覚め

ある日、父親とともに『力道山物語』を観に劇場へ。

しかし、少年が興味を惹かれたのは、『力道山物語』ではなく、その併映作品である『狂った果実』(津川雅彦主演、準主役の石原裕次郎の出世作)で、その劇中のラブシーンを見て大きな衝撃を受ける。

それ以来、日活映画の大ファンになり、赤木圭一郎に傾倒。ブロマイドを定期入れに入れ、常に眺めていたという。

狂った果実

1958年~ 12歳~:野球と空手の中学生活

大宮市立桜木中学へ入学し、野球部へ。同時に糸東流空手の道場にも通い始める。

野球が終わると、空手道場へ通い、寝るのはいつも12時過ぎという毎日を送っていた。

ただ、野球部ではこれまでと違い活躍できず、欠かさず練習していたにもかかわらず、いつもコーチに怒鳴られ、3年間に補欠で2,3回試合に出るのがやっとだった。

学業も、そんな毎日のせいかおろそかになっていたが、好きな英語だけは成績が良かったという。

青年期

1961年~ 15歳~:たくましい高校生に成長

東京・新大久保の海城高校へ入学。小さいころからの夢であった、東京暮らしが叶う。

しかし、いきなり入学式の日に番町含め5,6人の不良から、目つきが悪いと暴行を受け、東京は怖いところだという第一印象を受ける。

その後、父親の勧めで半ば強制的に柔道部へ入部させられたが、当初はうまくいかず、悔しい思いをすることに。

そのためか、必死に練習に打ち込み、高校三年間トータルで正月の三日間しか休まず、体重もそれまでより10キロ増量したくましい体格へと変貌を遂げた。

同時に空手も続けており、すでに町道場の指導員を務めるほどの腕前になっていたが、熱が入っていたのはやはり柔道の方だった。

そんな中でも、小学校以来の映画熱は冷めることはなく、授業をさぼっては劇場へと足を運んだ。

この頃には日活以外でも洋画をよく観るようになっており、特に『第三の男』のオーソン・ウェルズに男を感じていた。

第三の男

1963年 17歳:受験失敗

高校3年生になり、立教大学のアメフト部への推薦入学を受ける。

体力テストでは、全国3位になるなど問題なかったものの、筆記試験で不合格になってしまう。

1964年 18歳:予備校で一浪

一浪することになった倉田氏は、一年間予備校へ通うことに。

この頃、遠い親戚の久松静児監督を訪ねるが、「お前には向いていない。」と言われてしまい、発奮。頼らずに映画界を目指そうと思う。

1965年 19歳:映画界を目指し大学へ

映画監督を志し、日本大学芸術学部演劇学科に入学。
しかし、途中で監督志望から俳優志望へと転向。

空手部から度々勧誘を受けたが、自らの流派(糸東流)ではなかったため断り、その頃興味を持った合気道の稽古を始める。

下積み時代~飛翔前夜

1966~67年 20~21歳:東映で俳優デビュー

友人の「お前は東映向きだ。」という勧めから、東映演技研修所の第一期生になった。

格闘技の練習とは違って、さほど演技の練習に熱心だったわけではなかったが、その体格の良さが買われ、当時の人気テレビドラマ『丸出だめ夫』で、柔道部のキャプテン役に抜擢され、俳優デビューすることになった。

続いて、丹波哲郎主演映画、『続・組織暴力』にも学生の空手使い役で出演が決まり、映画デビューも果たすことになった。

さらにレギュラーではないものの、東映で『あゝ同期の桜』『特別機動捜査隊』などのテレビシリーズに端役で出演した。

このあたりの記述に関しては、ドラマの放映時期と書籍などによる記述が食い違う部分が多いのですが、より正確と思われるドラマの放映時期を元に書いています。

1968年 22歳:鬼の副将

空手部や少林寺部などから嫌がらせや妨害を受けつつも、友人と共に合気道の練習を続け、4年生の時ついに合気道部設立まで漕ぎ着ける。

副将を務めた倉田氏は、練習で後輩の骨を折ってしまうなど練習に厳しいことで有名で、「鬼の副将」と呼ばれるようになり、大学4年間で一度も女性と話をしないという硬派ぶりだった。

また、武者修行と称して船で香港へ行った事もあった。

1969年 23歳:卒業、バイト漬けの生活

卒業論文だけ出して、逃げるように大学を卒業。当時、日大闘争の真っ只中の就職難。代官山の4畳半の安アパートからアルバイトに明け暮れる日々が始まった。

正午に目覚め、六本木で昼はコーヒーショップでウェイター、夕方から深夜4時までは中華料理店で働き、始発を待って朝6時に帰宅。その繰り返しだった。

ひと月の収入は18,000円、うち8,900円が家賃で無くなった。また、合気道部の後輩達によく奢っていたため、実家にお金を借りに行くことも少なくは無かった。

東映の研修所を辞め、劇団に所属していた いとこ の勧めで、東京俳優生活協同組合(俳協)に入る。

この年、竹下恵子のドラマデビュー作でもあるNHKの『中学生群像』に、体操教師役で1年ほどレギュラー出演していたものの、当然それだけでは食べて行けず、相変わらずバイト漬けの日々が続いていた。

1970年 24歳:不安な日々

『柔道一直線』に出演。桜木健一演じる主人公・一条直也のライバル・鳴門三郎役を2つのエピソードで演じる。

他にもアサヒビールやお菓子のトレッカーのCMなどの仕事にありついたものの、依然として生活は苦しくいつものサイクルでバイトに明け暮れた。

柔道一直線

いつまでも売れない俳優を続けていても・・・そんな不安や哀しみ、自己嫌悪に襲われた。

しかし、何の取り柄もない自分が何をすれば良いのかもわからず、ただただ、今の生活を続けるしかなかった。

1971年 25歳:飛翔前夜

中村錦之助主演のNHK大河ドラマ『春の坂道』に、柔術を日本に伝えたともいわれている中国人・陳元贇役で出演。

この時は、これから自分の人生が大きく変わろうとしていることに、まだ気付いてはいなかった。。。

『激突!ドラゴン武術』の記述に、この頃吉永小百合主演のドラマシリーズに出演と書かれていましたが、その真偽や作品名などは今のところ不明です。

可能性のあるものとしては、倉田氏が出演したNHK大河ドラマ『春の坂道』の前年作品である『樅ノ木は残った』あたりが怪しいかもしれません。

無名時代の倉田氏が出演した作品は、あまり数を知られていませんが、もしかしたらもっとたくさんの作品に端役として顔を出していたのかもしれませんね。

  • 中学生群像

    1969年-日本-TVシリーズ
    中学生群像

    共演:竹下景子、戸田恵子、三ツ矢雄二

  • 柔道一直線 第76-77話

    1970年-日本-TVシリーズ
    柔道一直線 第76-77話
    監督:富田義治
    共演:桜木健一、高松英郎、牧冬吉

  • 春の坂道

    1971年-日本-TVシリーズ
    春の坂道

    共演:中村錦之助、小林千登勢、長門勇

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カテゴリ: スター名鑑.


2 件のコメント

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  1. オーケー says

    こんばんは。いやあ、いきなり倉田さん関連の怒涛の更新びっくりしました。ジェットに続き、倉田さんヒストリーすごいです。裕福な家から貧乏になったとか、下積みが長かったとか、倉田さんの書いた本も今だ読んでないし、とても面白いです!倉田さん関連のDVDも新作以外も何本か買いましたし、これを見て勉強したいと思います。(笑)

    • kungfufan says

      倉田さんの自伝本はおすすめですよ。
      特に台湾でのエピソードとか、
      すごい時代に行ってたんだな~って、
      あらためて尊敬しました。。。



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